大学へのうらみつらみを育てようの会


 些細なことで吐くようになってしまったのは去年の6月ごろからだった。
 当時、研究室に所属したばかりの私は、毎晩遅くまで模型作りに勤しんでいた。おそらく、その頃の私は遅刻も欠席もない、模範的かつ勤勉な生徒だったと思う。課題も、ギリギリ優くらいの評価は貰えていた。次のグループワークでもいつも通りにやれば、きっと優のまま終われる。順調だった。

 授業を受けている時、突然吐き気に襲われた。吐いちゃだめだ。口元を押さえてひたすら耐えていたが、いつまで経っても教授の話は終わらなかった。ゼミではなく、ただの取りこぼしていた教養科目。教授は自分を認識しているわけでもない。咄嗟に退室した。多分目立っていたけれど周囲を気にする余裕なんてなかった。トイレで吐いた。
 私は雪国出身で、暑さになれていなかったし、その日はちょうど飲み物を持って行くのを忘れていた。教室は人で埋め尽くされていたし、汗の匂いが充満していた。熱中症や脱水症状だろうと思って、その日は大学に残らずにすぐ帰った。
 けれど吐き気は数週間続いた。

 結局グループ発表は散々だった。低クオリティの模型とプレボを前に私は震える声で発表した。グループの子が1人、途中で泣いて退席した。私は先生に厳しく叱られた。他のグループが発表する前に、私は退室して保健室で泣いた。見つからないように荷物を取りに戻って、大学からは逃げるように去った。
 夏休みに入った。

 原因はストレスだった。確かに、帰省して2週間ほどしたら、吐くことは無くなったし、新学期が始まって2週間ほどしたら再び吐くようになった。わかりやすく大学がストレス源だった。
 後期が始まると、1人休学していたし、私以外にも2人、休みがちな人がいた。ギリギリの状態の仲間はそれなりにいたが、課題をちゃんとこなせている人もいたし、その中には、心因性の体調不良に理解がなく、休む人を軽蔑し、馬鹿にする人もいた。
 その頃には私は大学に失望していた。講評の際の教授の言葉の一つ一つが冷徹で、残酷で、恐ろしかった。にわかであることが許されない。ちょっとした「好き」の芽が念入りに踏み潰されていく。興味があって選んだはずなのに、講評時に投げかけられた言葉が連想されてしまうから、とそのジャンルを避けるようになってしまった。
 学生も嫌いだった。大学という狭い世界の中で、教授との仲の良さで序列を作っている視野の狭さにゾッとした。もちろん尊敬できる人もいるけれど、真面目に課題をやっていたとしても、おそらく社会に出た時何の評価も得られない、それに気づかず10人もいない学生の中で、内申点だけのカーストで威張っている人間もいた。
 残酷な言い方をすると、育ちも違った。話していて、許容できないようなことが多すぎた。倫理や道徳心、「これは言わない」というブレーキ、全部違った。聞いているだけでストレスになるから、だんだん研究室から足が遠のく。遠のけば嫌われる。悪循環だった。
 私が選んだ大学だ。私は私の選択を肯定したい。いい人もたくさんいるし、尊敬できるところもたくさんある。でも同じくらい、この大学のために精神をすり減らしている自分の現状は、どうにかしないといけないとも思う。
 選んだのは自分。悪いのは自分だ。
 だけどこのまま潰されるよりは、大学への敵意を育てて戦う方が、良いんじゃないだろうか。私は傲慢になりたい。他責思考に切り替えないと、潰れてしまうんじゃないかと思うのだ。
 ……なんか。 「こんな程度の低い人たちに媚びたくない」くらい堂々と思えるくらいにならないと、中退しそうで怖いなあ。攻撃的な人間ってこうやって生まれているのかな。
 だから最近は、大学への恨みつらみを育てようと思っています。多分絶対よくない。

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