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放課後の生徒会

「えっ!?遥香って会長のこと、好きだったの!?」


「ちょっとまゆたん、声が大きい・・・誰かに聞かれてたらどうすんのよ・・・・」



放課後の生徒会室から漏れ聞こえる、二人の女子の会話。
それが、生徒会で書記を務める真佑と、副生徒会長を務める遥香によるものだということはすぐに分かった。

分かった、のだが・・・

ドアノブに伸ばしかけていた手が、ぴたりと止まる。
そういった話をするのは、周囲に誰もいないということを確認してからにしてほしい。
いや。
もうどんなに恨んでも仕方がないか。
聞きたくなくても、聞こえてしまったのだから。
あぁ・・・
お陰で入りづらくなってしまったじゃないか。
どうしてくれるんだ、まったく。

ドアノブの前で静止した自分の手が、微かに震えている。

こんなことで、動揺する羽目になるなんて・・・・





「かーいーちょ、なにしてんのー?」



またしても、予想外の展開が僕を襲う。
背後から、まゆたんに負けず劣らずなデカイ声。
静止していた体が、小さく跳ねる。
その、あまりに能天気な声の主は、わざわざ振り向いて確認せずともすぐに分かる。
どうせ、会計の△△だろう。
△△は、色々と面倒な男であり、僕は常々苦手視している。
すぐに突拍子もない行動に出ては、僕の予定を狂わせるような、とにかく厄介な奴なのだ。




「・・・・・・・」


「無視かよー、ま、いーけど」


「・・・・・・・」


「入んないんすかー?入んないなら、俺が先に・・・」


「あっ!おい、待て!」



人の声に耳も貸さず、△△は僕の体を押し退けて生徒会室のドアノブを握った。
今、この教室の壁は薄いと判明したばかりだ。
おそらく、この男の声も、中にいる二人には筒抜けであろう。

もう、なるようになれ。

第一、あんな会話を、このような場所でしていたあいつらが悪い。
そう、僕は盗み聞きなどしていない。
いや、むしろ何も聞いてはいないのだ。




ガチャッ



△△の手によって開け放たれたそこには、長机を隔てて向かい合わせに座る、二人の姿があった。
予想通りの光景。
だが、先刻、二人が交わしていた会話についてはあまり深く考えたくなかった。
どうか僕の、思い違いであれ・・・



「か、かいちょ・・・・」




僕の姿を認識した遥香の顔色が変わる。
口をもごもごと動かしながら、なんというか、どう見てもこれはうろたえているという反応だ。
顔も、驚くほどに赤い。

このような顔をする遥香を、僕は知らなかった。
いつも冷静沈着で、淡々と生徒会の業務をこなす彼女の姿しか、見たことがなかった。


ふとした瞬間に思いもよらない顔をして、よく分からない感情で埋め尽くす。
何なんだ、これは。
全然、落ち着かない。




「か、会長、もしかして今のハナシ、聞いてました?」


「あ・・・ああ、たまたま、耳に入った・・・・」



まゆたんの質問に、僕は、声を上擦らせながらも正直に返答した。
そんなもの、聞こえていたに決まっているだろう。
そもそも、お前の声がデカイからこんなことになったのではないか。
この空気、どう対処しろというのだ。
と、いつもの僕なら間違いなく口にしていたことだろう。
だが今は、言わないほうが良いような気がする。
というのも、今までこういった空気になった際に、思ったことを口にして丸く収まった試しがない。



僕は再び、遥香のほうに視線を移す。
彼女はただ、ただ、俯いていた。
長い黒髪の隙間からは、真っ赤に染まった耳が、僅かに覗いている。

これで、僕の思い違いであるという小さな望みは、儚くも砕け散ったというわけか。

これから、今度行われる生徒総会について話し合わなければならないというのに。
こんなことでは、話し合いはおろか、彼女とまともに会話をすることさえ、ままならないではないか。


どうしたらいい・・・・。
僕は突っ立ったまま、何か言えと念力を送るように遥香の顔をにらみ続けた。


だが、ひたすらに沈黙は流れる。


どうやらさすがの△△もこの重々しい空気を察したのだろう。
「終わったら呼んで」とだけ言って、ドアを開けた。
逃げたな、と僕は咄嗟にそう思ったが、考えてみればこれは、あいつには何一つ関係のない話である。
やつの背中を見送った後、室内に、ばたん、と少々乱暴にドアが閉まる音だけが響いた。


そしてまた、一瞬のうちに訪れる重く長い沈黙。


僕は視線だけで、まゆたんに部屋を出るようにと告げた。
これはもう、二人きりで話すほかない。
それに、まゆたんがいるとまた話がこじれそうな気もする。
とにかく今は、二人きりになるべきだろうと咄嗟に思い付いたのだ。


彼女は僕が言わんとしていることを案外すぐに把握し、そして、静かに立ち上がった。
僕は、そんなまゆたんと入れ替わるように今の今まで彼女が座っていたパイプ椅子に腰をおろす。




ガチャン



先刻より幾分か小さい、ドアの開閉音。
そんなことに気を使えるなら、もっと初めから・・・と頭の中でまゆたんに対する文句は膨らむ一方だ。


・・・・・はぁ、


頭の中で、小さく溜め息を溢した。
目の前には、俯いたままの遥香のきれいな旋毛。

今更ながら僕達は、二人きりになってしまったのだ。
まぁ、遥香と生徒会室で二人きりになるというのは、よくあることだけど。
事情が違うと教室の雰囲気はこうも変わって見えるのか。

いつもはもう少し、居心地が良かった気がする。

少なくとも、まゆたんや△△より話は通じるし、一緒にいて面倒だと感じたこともない。
彼女と二人の時間は、わりと、好きだったのかもしれない。


だけど今は、やっぱりいつもと違う。
それは、彼女の気持ちを知ってしまったからだろうし、彼女が見たこともない顔をして俯いて黙りこけるからだろうし、僕の彼女に対する感情が、ほんの少し、揺らいだからだろう。
なんて、うっかりそんなことを考えてしまったが、訂正。
最後の、「揺らいだ」というのは、きっと何かの気のせいだ。
「揺らいだ、気がした」だけだ。




「・・・・会長」



ようやく彼女は、顔こそ上げないものの、口を開いた。
いつも通り、芯の通った声で、いつも通りに僕を呼ぶ。
今気付いたけれど、彼女の声は酷く、耳馴染みが良い。
好きな声とまでは言わないが、呼ばれて、返事をするのが億劫だと感じさせない程度には、良い声だ。と思う。



「ん」



急に呼ばれたからか、そんな気の抜けた声しか出なかったが、まぁ致し方ない。
何の気なしに膝の上に置いていた手のやり場に困って、僕は、机の上で組んでおくことにした。
体が強張っているのというのは、自分自身が一番把握している。
重ねた手のひらは、僅かに湿っていた。
少し、汗をかいているようだ。
冬なのに変だ、と思った。




「私、会長が好きです」






自分の手元に置かれていた視線を少し上に動かすと、真っ直ぐに僕を見る彼女の真っ赤な顔が映った。
この、酷く耳馴染みの良い声が、まさか僕の鼓動を速める日が来ようとは、予想外も良いところだ。


そう。


僕は彼女を前に、酷く焦っていた。
それはもう、認めざるおえないほどに。


「・・・・・・ちくしょう」




小さく呟いて、組んだ両手の上に額を乗せる。
女というのは、実に厄介だ。
意図も簡単に、僕のことを振り回す。
本当、困る。
それに、疲れる。

ただそれは、まゆたんや△△と接しているときの疲れとはまた違った意味の疲れで。
何が違うのかと聞かれると、種類が違うとしか答えようがないのだが。

それは僕にとって、決して悪くない、疲れなのかもしれない。




「会長?大丈夫ですか?」


「それ、は・・僕の台詞だ・・・!」


「・・・え?」


「お・・おま、お前の方こそ・・・正気の沙汰じゃないな、ぼ、僕にこ、告白する・・なんて・・・おかしい、だろ、絶対・・・」



腰を数センチ浮かせ、震える両手で机を叩く。
自分の手がこんなにも震えている理由も、口がうまく回らない理由も、僕にはあまりよく分からない。
が、とりあえず目の前の彼女が唖然とした表情を浮かべているのだけは分かる。



「・・・会長、もしかして、焦ってます?」


「そ、それは・・焦るに決まってるだろ・・・」



浮かせていた腰を、大人しくパイプ椅子に沈める。
僕としたことが、少しばかり感情的になってしまった。
ふぅ、と息を吐いて、気持ちを落ち着かせる。

ああ、考えている分には全然楽なのだが。
それを言葉にするのは何故こうも難しい。
言葉にせずとも伝われば、どんなに楽か。
と、僕は度々思う。

そうすれば、余計なことを口走って、今みたいに恥をかくこともないのに。



「・・・・なぁ、」


「はい」


「本当に、僕で良いのか」


「はい」


「そうか」


「はい、そうじゃなきゃこんな、取り乱したりしませんから」


「ははっ、それはそうだ」



彼女は、まだほんのり赤い顔で、前髪を整える仕草をした。
ああ、そうか。
取り乱したといえば、僕も、かなり取り乱したよな。
こんな姿、あの二人に見られようものなら、僕はお仕舞いだ。
やはりアレは僕らしくなかった。

小さく咳をする。
この教室中の空気が、段々と心地よくなっていくのを感じた。
そうか。
この、今感じているありのままの気持ちを、伝えればいいのか。
落ち着きさえ取り戻せば、僕にできないことは何もない。



「遥香、少しだけ、僕の話を聞いてほしいんだが・・・」


「はい、どうぞ」


「えっと・・僕は不器用で、感情の起伏が激しくて、とても短気な性格だ」


「はい、知ってます」


「そう、遥香がそれを知っているということを、僕も知ってる、だけど君は、そんなどうしようもない僕にも、普通に接してくれるだろ?」


「はい、そうですね」


「それがわりと心地良いというか、安心するというか・・・」


「はい」


「それってつまり、どういうことなんだろうな・・・」



くそっ。
なんだこのもうあと一歩のとこで答えが出ないもどかしさは。
思わず、彼女に答えを委ねてしまったが、この感じを彼女は理解してくれただろうか。
つくづく、自分の不器用さに腹が立つ。



「ふっ、くく・・・・」



・・・・ん?

遥香、もしかして・・・




「笑ってるのか?」










「それは、笑いますよ」



遥香が笑っている。
あの、冷静沈着な遥香が。
それも、声を出して豪快に、笑っている。
それは僕にとって、あまりに意外すぎる反応で、けれどももっと意外なのは、その顔が案外しっくりきていたということだ。



「強いて言うなら、私は会長の、そういう鈍感で可愛いところが好きです」


「な、なにを言ってるんだ、お前は」


「自分の気持ちにも気付かないほど、あなたが不器用ってことですよ」


「いや・・益々、意味が・・・お、教えてくれないか?」


「嫌です」


「なん、だと」



何故だ。
遥香は答えを知っているんだろう。
じゃあ、何故・・・
何故そんな、嫌がらせのような真似を・・・




「私は会長の口から、聞きたいんです」


「僕の、口から・・・」



それができないから苦労しているというのに。
なんだか今日の遥香は、いつになくワガママだ。
それも、不思議と不快に感じられないのは、きっと、彼女が・・・
いや、違う。
僕が、彼女のことを・・・



・・・・・あ。



分かった、かもしれない。




ようやく僕は理解した。
彼女が答えを教えてくれない理由も、思わず吹き出した理由も、なにもかも。



そしてやっと、答えに行き着いた気がする。




「本当に僕は、どうしようもないな・・・」


「・・・・え?」


「気付くのが遅くなって、本当にすまない・・・僕は遥香のことが、好きだ・・・」












少しの間が空いて、彼女は「ふっ」と吐息を漏らした。
白い手を口元に当てて、微笑んでいるようだ。
そして僕が何かを口にする前に、「知ってますよ」と言った。
イタズラ好きの子供のような笑みに、不覚にもドキッとする。
いや、もう不覚ではないのかもしれない。
今、認めたばかりではないか。

そして彼女は、小さく、よかった、と呟いた。
嬉しそうな、だけど今にも泣きだしそうな、僕の好きな声で。



「・・・よし、そろそろ始めようか」



この空気に、耐えきれなくなった。
気まずさから、とかではない。
これ以上彼女と二人でいると、熱くなる顔や、沸き上がる感情を抑えられなくなりそうだと感じたのだ。




「あの、」


席を立とうとする僕の動きを、彼女の声が制した。
中腰という、微妙な体勢になっていた僕は、その声を受け、再び椅子に座り直す。
先刻気持ちを伝えてからというもの、僕は彼女の顔をうまく直視できなくなってしまった。
気恥ずかしさと、緊張と、あと、ほんの少しの物足りなさを感じている僕には、彼女がどんな表情をしていても、一瞬にして壊れてしまえる自信がある。

って、一体何を考えているんだという話だが。

だから今だけは、なるべく早くあの馬鹿共の力を借りたいと、わりと本気で思っていたりする。
・・・ちくしょう。
あいつら、なにやってるんだ。
早くぶち壊しに来いよ。
こんなときだけ空気が読めてどうする。

などという僕の思いは、まぁ通じるはずもないのだが。



「・・・なんだ?」



これはもう、諦めて話を聞くしかなさそうだ。
・・・・はぁ、まいった。
もう終わったと油断していた、僕の負けだ。
この理性は、いつまで持つだろう。




「・・・あの、会長」


「・・・・うん」


「私、本当に、会長の彼女ということで良いんですよね?」



・・・・は?



「・・・なんだ、何を言われるかと思えば、そんなことか」


「え、いや、そんなことって」


「不安なのか?」


「それは、そうです・・・」



不安、か。
そんな余計なこと、感じる必要もないというのに。
気持ちを伝えただけでは、駄目だということか?



「・・・・遥香、ちょっと、こっちに来てくれないか?」


「え?」


「いいから」



彼女は僕に言われるがまま、席を立った。
僕も同じタイミングで席を立ち、彼女が目の前まで来るのを待つ。
どうしたら、彼女を安心させることができるだろう。
口元に拳を当てて、考える。

僕の数メートル手前で彼女は不思議そうに首を傾げてみせた。
その、ぶら下がった手首を拾い上げるようにそっと掴む。
反動で距離が僅かに縮んだ。

初めて触れたそれは、思っていたよりずっと細く、簡単に折れてしまいそうだと思った。
なんですか?と弱く口にする彼女は、今どんな顔をしているのだろう。

今は、掴んだ手を引き寄せることも、離すこともできない。
きっと今、手元に注がれている視線を動かすことができれば、引き寄せることだって容易いはずなのに。


それすら・・・・




「会長、こっち、見てください」



僕の好きな声がした。
いつもの彼女の、落ち着いた声だ。

この感じ、何かに似ている。
ああ、あれだ。
犬が飼い主の言葉にだけ反応するような、そんな感じだ。
まぁ、僕は犬ではないけれど。
でも、もう同じようなものなのかもしれない。
どうしてか、彼女の声にだけは、敏感に反応してしまう。





「そんな、泣きそうな顔しないでください」


「お前が言うな」



久しぶりに直視した彼女は、目を潤ませて笑っていた。
きっと僕の背がもう少し高ければ、上目遣いにでもなったのだろう。
いや。
今回ばかりは背が低くて良かった。
そんなものを目の当たりにしたら、自分がどうなってしまうか分からない。

そうじゃなくても、こんなに、堪らない気持ちなのだから。




「遥香」


「はい」


「好きだよ」


「・・・はい」





手を引いて、僕の頼りない胸で彼女を受け止める。
今まで意識してなかったけど、身長、あまり変わらないんだな。
だからか、抱き締めた時、耳が触れ合ってしまいそうなほど、顔が近い。

なんだろう。
息が、苦しい。
それと、熱くてかなわない。



「僕には、よく分からないんだが、こういうことは、その、彼女としか、したいと思わないものなんじゃないのか?」


「・・・そうとは限らないと思いますけど、」


「そ、そうなのか・・・?」


「でも、少なくとも会長は、そうやって思ってくれてるってことですもんね」



背中に回された彼女の手に、ぎゅっと力が加わり、僕らの距離はゼロになった。
ついさっきまで、彼女が僕のことを好きな理由とか、そんなことばかり考えていた気がする。
でも、すべて、無駄なんだと分かった。
言葉にせずとも、分かることもある。
僕は彼女が好きで、彼女も同じ気持ちでいてくれているのだから、今はそれだけで充分だ。


背中で、彼女の腕がほどける。
僕も、抱き締めていた手を離して、再び僕らは向き合った。
彼女の潤んだ瞳に、赤面する僕の間抜け面が映る。
彼女にも、そう見えているのかと思うと、また例えようのない恥ずかしさに襲われる。

僕は右手でかけていた眼鏡を外し、その手で、彼女の長い髪を耳にかけた。
微かに指先に触れた頬は柔らかく、熱を帯びていたけれど、視界はぼやけているため、その表情は確認できない。




ただ、彼女が小さく、息を吸った音がして、僕はゆっくり目を閉じる。










ガラガラッ




「ちょっとーまだ終わんないんすかー・・・って、ええええ!?」



オイ。
オイオイオイ・・・。

唇が触れるまであと数センチというところで、僕は目を開ける。
また、予想外の邪魔者が現れやがった。
くそ、まゆたんのやつ、何故△△を止めておかないのだ・・・。

僕は遥香の頬に手を添えたままの状態で硬直する。
触れた頬の熱が、徐々に上がっていくのが分かった。

なんてタイミングが悪いやつだ。
とりあえず、腹に蹴りの一発でも入れなければ、この怒りは鎮まらないだろう。

眼鏡をかけ直し、サッと邪魔者の方に顔を向ける。



「△△ー」


「・・・ご、ごめん、会長、許して」


「許さん!あと三秒後に貴様の腹を蹴り飛ばす、三、二、」


「ま、まって!勝手にカウントダウン始めないで!」


「一」



ドゴォッ




この日、結局話し合いどころではなくなったというのは、まぁ、わざわざ説明するまでもないことだ。
そして、今日という日が僕と遥香にとって、特別な日になったということも。









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