やっと「アメリカン・スナイパー」みれた
ツタヤが5本1000円をやってたから、石垣島(映画館ないんですよ)に行ってて見れなかった「アメリカン・スナイパー」を借りた。
いままさに、日本人が見る価値の高まっている映画だと思った。
戦争を始めてしまえば、こういう現実が、自分も身近な周囲も否応なく巻き込む。
きっと、映画に出てきた(実際にアメリカに存在した実話が下敷き)、ヒーローやヒロインを、ぼくらは、身近に見つけて(きっと親族や同僚や友達だ)、賞賛したり、悲哀したり、絶望したり、誹謗したり、そしておそらく、どこかで失う。(映画のヒーローは度重なる派兵に心が壊れ、最期同胞に撃たれる)
現在ぼくらは、この映画の戦争に、当初言われていたような大義はなかった( 大量破壊兵器は発見されなかった し現在続くの混乱とisの誕生を招いた)と、当のアメリカが認めざるを得ないという事を知っている(日本は何故かこの問題に向き合わない)。 映画の中で、当時の戦場で大義に疑問を投げかける兵士は、敵弾に倒れ逝ってしまう (戦意を疑いない高い水準で保っていなければ生き残れないのが実際の戦場なのだろうし、兵士の訓練とはまず疑いを取り去ること、国家の目標もそこに置かれるんだろう) 。
はじめてしまえば、そんな議論など、現実的には無効になってしまうのだと、映画は直接セリフとして扱わない。
けれど、見るものは、それを、はっきり感じる、そのようにつくられている。
この映画の中のリアリティ(監督は過去に、人を殺すというのは地獄だと語ったと聞いた)に、自分たちを、すすんで、追いやるのか、そうしまいと別のみちを選択するのか。
その自由が、まだ、いま日本人には、ある。
#映画 #アメリカンスナイパー #レンタルビデオ #クリントイーストウッド
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