議論ばかりでは先に進まないと言うけれど
from 時事通信。
いままでの慣例を変えるとき、論争ありけり。
しかし、この報道を信じるなら、ちょいと結論急ぎすぎではございませんでしょうか。
一報を受けて、各メディアや団体から、リアクションは多々ありましたが、議論をしている様子が見えてこないような。
論争、とまでは言わないまでも、これだけ多方面に影響を与えかねない事柄なので、議論はしっかりと進めた方がいいのではないでしょうか。商業的な観点から、選手やチームのいわゆる現場的な観点、どの立場もみなが納得する結論を導くことは困難だとは思いますが、できる限り公約数に近づけていく姿勢は、FIFAとして見せて欲しいと、自分はそう思っています。
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そうは言っても、見る側としては、観戦機会が増えること自体を反対する理由がありません。だって、プレーを見れる機会が多いということは、楽しみも多いということだから。
機会が多くなるとその分ワクワクは減っていく、という意見も見ましたが、本当にそうだろうか、と思う自分もいます。
ただ、先日のIOCの提言を見て、思うところがありましたので、紹介しておきます。
提言の中で、懸念として挙げられていたポイントが3つあります。
・他のスポーツへの影響
・男女平等
・プレーヤーの福祉
1つ目と3つ目は、想像の範囲でしたが、2つ目の「男女平等」については、言われてみて初めて「たしかに!」と、自分は思いました。提言の中での説明を引用します。
カレンダーでの男性のイベントの増加は、女性のサッカーのさらなる促進のための課題を生み出すでしょう。
今回の議論の発端を正確に把握していないままに話し始めていますが、議論になっている隔年開催するワールドカップは、男子の大会についてのみ、の検討になってしまっているようです。
ジェンダーの平等は世間的にも広く叫ばれるようになってきましたが、体格や特徴など、どうしてもそれぞれの性別で異なる部分というのは出てきてしまいます。
それがどうという話しをしたいのではなく、この議論から感じてしまうのは、結局はFIFAも男性組織なのだな、ということです。女性理事を入れたり役員を増やしたり、体制に手を入れていくことをしてはいるものの、根幹にはまだまだ、男性社会が強く残っていることを、垣間見てしまったような気がします。
ただ、男性のワールドカップを仮に隔年開催にしたとして、じゃあ平等に女性も隔年に、となるかといえば、それも違うように思うのもまた事実です。
大会がより良いものになるように、ここから更に議論が尽くされることを、どうか願っております。
「格式の高さは頻度ではなく、クオリティーによって担保される。誰もがそのような大会を心待ちにしている」
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