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生きやすい世の中になりますように

人間はなんだかんだ言って、自分のことが一番大事なんです。

友達のため、家族のため、チームや組織のため。いろんな立場の人から色々と聞くこともありますが、きっとそれらは全てキレイごとなんです。

極端でしょうか?

自分がいてこそのチームや組織なのであって、例えば自分が落ち込んでいたり不貞腐れていたら、それは果たしてチームや組織にとって有益になるでしょうか。そんな人が「チームや組織のために」なんてまず言わないでしょうし、そもそもその前に自分のメンタルを回復させるべきです。

逆に言えば、落ち込んだり不貞腐れそうな時、いわゆる逆境の時に「チームや組織のために」と自信を奮い立たせられるような人がリーダーたりうる人材なのでしょう。そんな人が果たして世の中に何人いるでしょうか。

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自分のことより周りのことを優先できる、極端に言えば自己犠牲の精神を持つ人ですが、そのような人は世の中から尊重されるべきと考えます。

世の中には逆の、周りのことよりまずは自分のことを、と考える人が何とも多いです。大局的な見地から進めていけば物事が首尾よく進みそうなものを、目先のラクさを優先して結果的に計画を破綻させていく例を、最近は特に多く目にします。また、もっと恐ろしいのは、自分さえよければ周りがどうなってもいい、いくら攻撃しても構わない、という思考が、世間の少数派とはもはや言えない状況になってきていることです。

もうそれは泥棒や戦争の理屈のようで、やられる前にやるのだ、と言わんばかりに感じてしまいます。生きやすい世の中になってほしいという願いからはどんどん遠ざかっているように思えてしまって、ものの例えでは無く胃が痛くなるばかりです。

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どのスポーツでも同じなのかもしれませんが、自分がサッカーに関わることが多いので、今回もサッカーの話題から。さきほど、自己犠牲の精神を持つ人、と言いましたが、サッカーのレフェリーもそれに近しい存在であると思っています。

しかし、ここでも、自分本位でしか物事を見られない人たちが増えていることの弊害を感じずにはいられません。例えば、記事中にはこんな文章がありました。

レフェリーたちにアンケートをとると、大半の人がそうした嫌な思いをした経験があるといいます。ある女性のレフェリーは、男性の監督からあまりにひどい言われ方をした試合の「審判報告書」に、「この試合でレフェリーをやめます」と書いてきたそうです。

どんな言われ方をしたのかはわかりませんが、「やめます」と言うに至るまでには、おそらく1度や2度の体験ではないはずです。特に日本人は自己表現が苦手な民族とも言われるので、この女性レフェリーのように想いを表わすことなくフェードアウトしてしまった人もいたのではないでしょうか。文章にするとたった一文ですが、その裏にあるものを想像すると、このケースは本当に氷山の一角なのだろうと思うのです。

おわかりでしょうか、レフェリーは、試合をするためにお願いしてやってもらっているのです。だからときに不満はあるかもしれませんが、その決定を尊重し、従わなければならないのです。

従え、と、声高に言うのは気が引けます。でも、「こうあってほしい」という主張をすることが緊張するのに比べて、批判する人は果たしてどれほどの覚悟でその言葉を発しているでしょうか。

「そんなつもりじゃなかった」「カッとなって、つい」「そんな風に受け取られるとは思わなかった」

攻撃側が使う常套句は、想像力の欠如を認めているとも言えます。言葉のナイフを突きつけそうになる前に、どうか想像力を働かせてほしいと、そう願うばかりです。

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私自身、10年弱、審判活動をしていたことがあります。一時休止しているのは、仕事や個人的な問題との両立を諦めてしまっただけであって、今回のJFAの記事にあるような体験をしたわけでも何でもないです。

でも、活動を振り返って、暴言を言われたり攻撃されたりしたことがあったかと思い返してみると、そういうのは思い出せないのが正直なところです。ミスジャッジや失敗談、選手のスーパープレーや大会参加中の思い出が出てくるばかりで、いま思えば恵まれた審判活動だったな、という風に感じます。

つまり、言いたいことは、物事には1つだけでなく色んな側面があるのだということを、もっと理解して想像してほしい、ということなのです。

先の記事だけを見ると、レフェリーってしんどそうだな、と思われるかもしれませんが、もし本当にそうなら、志す人はどんどん減っていくはずです。でも、15年前と比べると、登録数は7万人以上、特にU-15やU-18は200%、300%以上も増えているというデータもあります。

日本の文化としてもっと根付いていくためには、楽しさや面白さ、やりがいといった、審判活動のポジティブな側面をもっと共有していくことも必要ではないでしょうか。

表面に見えていることだけで批評することを否定するわけではありませんが、でもそれはどこまで行っても表面的な討論にしかなりません。それよりもファンサポーター、選手、レフェリー、チームスタッフなど、色んな立場の人がお互いを理解し助け合っていった方が、サッカー界全体を向上していけるはずです。

サッカー界の良い流れがやがては世の中全体をも巻き込んで、誰もが生きやすい世の中になっていって欲しいと、そう願っていますし、そういう行動を是非お互いに心がけていけたら嬉しい限りです。

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