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土井監督のおかげでアンナチュラルが存在するというスイッチの話

はじめに。アンナチュラルの制作に土井監督は一切関わっていません。ではなぜこのタイトルなのか。

土井監督とは言わずとしれたベテラン演出家の土井裕泰さんのことであり、このほど公開される映画『罪の声』の監督だ。この罪の声は、私が脚本を担当している。映画の公開にあたって取材を受けると必ず「なぜこの作品の脚本を引き受けたのか」と聞かれる。理由はいろいろあるのだが、その中でも「監督が土井さんだったから」というのはかなり大きい。土井さんの確かな演出力をもってすれば脚本と演者が二割増しでよく見えるからなのだが、あるインタビューで私は「土井さんには恩義もあるので」とも発言している。10社以上の取材を受けたのでその発言がどの媒体だったか忘れてしまったが、せっかくなのでこの「恩義」の話を書き留めておこうと思う。

土井さんと出会ったのは2013年にTBS日曜劇場で放送された『空飛ぶ広報室』というドラマだ。これはその前に私が映画『図書館戦争』の脚本を担当し、その仕事が評価され、空飛ぶ広報室も同じ有川ひろ先生が原作だったために「野木に任せれば大丈夫だろう」というような流れで白羽の矢が立った。私は当時まだ駆け出しで連ドラ全話を一人で書いたこともなく、TBSドラマも初登板だったのに、よくぞまあ看板枠である日曜劇場の全話を任せたなあとその大胆さに感心と感謝を覚える。(ちなみにその大胆な采配は罪の声のプロデューサーでもある那須田さんによるものだが、今その話は脇に置いておく。)

土井さんといえば名だたるドラマの演出をされていて、もちろん作品は見ているし名前も存じ上げていた。TBSのエースディレクターとも言われるベテラン中のベテランなのだが、実際に一緒にお仕事をしてみると誰に対しても居丈高なところがなく、むしろ「どうしてそんなに?」と思うほどの謙虚なお人柄だった。私はデビュー当初から相手が誰だろうと自分の意見をガンガン言っていく人間だったのだが、こんな生意気な新人脚本家の考えもきちんと聞いてくれ、意を汲んでくれ、たくさんの学びを与えてくれた。そのころ土井さんに言われたことは今も大事に胸にしまっている。

次に土井さんと仕事をしたのは『重版出来!』という松田奈緒子先生の漫画が原作の火曜ドラマ。サムネイルはそのときに演出賞と脚本賞を仲良く受賞した、東京ドラマアウォードでの写真。当時はまだ火曜ドラマ=女性主人公の恋愛モノという基軸が出来ておらず、恋愛のレの字もないような熱いお仕事ドラマである。空飛ぶ広報室と並んで良く出来たドラマなので未見の人はぜひ見てください。恩義というのは、この『重版出来!』の打ち上げでの話だ。

ドラマの打ち上げというのはオールスタッフ・キャストが集まり、キャストの事務所の方々や局の上役の人たちもやってくる。必ずスピーチタイムがあり、キャストとメインスタッフの数名が順番にスピーチする。メインディレクターである土井さんのスピーチは順番的に終わりの方だった記憶がある。土井さんは、共に作品をつくりあげた皆への感謝や作品への想いを語ったあと、最後にもう一つといった風情で突然、「TBSは野木さんに、オリジナルドラマを書かせるべきだ」と話しだした。のんきに酒を飲みながらスピーチを聴いていた私は、ふいに俎上に載せられて耳を疑った。どうした。突然何を言い出すんだ土井さん。私の驚きをよそに土井さんは、「オリジナルを書く実力があるんだから、そういう人にはどんどん書かせないと!」と壇上で熱く訴えていた。え?そんなに評価してくれていたの?という驚きもあったが、そのときすでに同年10月スタートの逃げ恥を書くことが決まっていたため心のなかで「そうはゆうても土井さん、次はもう逃げ恥が決まっているよ……」とぼんやり考えていた。土井さんのスピーチが終わってすぐ、近くにいた和田編集長役の松重豊さんが「俺もそう思う!オリジナル書きなよ!」と声をかけてくれた。「じゃあそのときは出てくれますか」とノリで聞いたら「でるでる!」と言ってくれ、実際に出てくれることになるのだがそれは先の話。このときはまだ何のイメージも持てず、ただ「早く逃げ恥を書かないと間に合わない」という焦りばかりだった。なにせクランクインが8月だというのに、重版出来の脱稿がぎりぎりになってしまったため、6月時点でまだ一話の初稿すら書いていなかったのだ。打ち上げの翌日に逃げ恥の全体構成を提出し、土井さんの言葉について考える暇もないまま執筆へと突入した。

ようやく逃げ恥を書き終わった2016年12月末。TBSから「次はこの原作どう?」と超大物人気作家さんの文庫本を渡された。「考えてみまーす」と受け取って帰ったものの、さてどうするか。これきっと、読んだら面白いんだろうなあ。面白かったらきっと、やりたいと思っちゃうんだろうなあ。そしてたぶん、ドラマとしてヒットするんだろうなあ。しかし土井さんが、あれだけの人の前で背中を押してくれたのに、それで良いのだろうか。

結局、文庫本のページを開くことなく、「次はオリジナルをやったほうが良いんじゃないかと思うので、この話はお断りします」と返事をした。

数日後、同じTBSから「女性主人公の法医学もの」というお題のオリジナルドラマはどうかと新しい打診が来た。その後のことは アンナチュラル倉庫 の雑記に詳しい。「人生のスイッチ」というのは拙作ドラマ『MIU404』で使った表現だが、土井さんのあのスピーチがなかったら、アンナチュラル以降の作品群が生まれていたかどうか。いずれは何かしら書いただろうが、それはきっとアンナチュラルではなかったし、アンナチュラルがなければMIU404も存在しない。not found.

2020年10月30日。土井さんと久々にタッグを組んだ映画『罪の声』が公開される。原作は塩田武士先生の小説で、元新聞記者ならではの綿密な取材とリアリティに加え、実在の未解決事件をモチーフにしているだけにオリジナルでは為し得なかったであろう作品だ。

罪の声とは?
1984年、子供たちに大人気だった食玩つき菓子に青酸ソーダが入れられ「どくいりきけん たべたらしぬで」と書かれ、関西を中心とした複数都県の店頭にバラまかれた。犯人はメーカーに金を要求。子供たちの命を人質にとったのだ。
犯人は脅迫状だけでなく、新聞社に「挑戦状」を頻繁に送りつけた。関西弁で綴られたそれは時にユーモアを交え警察を叱責し、日々紙面を賑わせた。犯人と目されたのは似顔絵が有名な「キツネ目の男」。犯人と警察の攻防、それを追うマスコミの三つ巴の争いは、人々を熱狂させた。まるで娯楽のように。攻防は一年以上続いたが犯人は捕まらず時効を迎えた。三億円事件と並ぶ昭和の未解決事件として、多くの人の記憶に刻まれている。
この事件で犯人は、現金の受け渡し場所を指示するのに「子供の声」を使っている。それがもし、幼い頃の自分の声だったら……それが映画『罪の声』の始まりである。

罪の声の土井監督の演出は、端正でありながら力強い。徹底した抑制によって生み出されるリアリズムとその重みを、ぜひ映画館で感じてください。

土井さん、あのスピーチのこと憶えてるかなあ。今度会うとき聴いてみよう。