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祐天寺の観光名所、鉄道とカレーの店「ナイアガラ」

 祐天寺という駅名は駒沢通り沿いに建つ、享保8年に開かれた浄土宗の寺院、祐天寺が由来です。しかし、祐天寺観光名所ナンバーワンはどこか?聞かれたら、それは祐天寺ではありません。おそらく祐天寺住人の10人中9人が「ナイアガラ」と答えることでしょう。祐天寺に来たからには一度は立ち寄らなければいけないお店、それがナイアガラというわけです。

 銀座「ナイルレストラン」から提供される香辛料とギーを基にしたというカレーはしっとりと優しく、今となってはあまり出会わない味かもしれません。僕はカレーで煮込んでいない大きなジャガイモと人参がついた野菜カレーが好きで、よく持ち帰りもしていました。

 しかし、ナイアガラの売りはカレーだけではありません。店頭に飾られた踏切でわかるように、店中貴重なコレクションで溢れる「鉄道」のミニミュージアムとして国内外の鉄道ファンを集める有名店なのです。むしろ「カレー」よりも「鉄道」の方に比重が傾いているのではと思うほどです。

 鉄道部品で埋め尽くされた店内は圧巻で、照明や椅子も実際にSLで使われていたもの。店の入り口で乗車券(食券)を購入して席に着くと、「発車しまーす」のアナウンスとともに蒸気機関車の模型が汽笛を鳴らしながら客席までカレーを運んできてくれる「アトラクション」には子どもたちが大喜びしたものでした。カレーの辛さも鈍行、急行、特急で区別されていました。

 鉄道コレクションはどうやら店内には収まりきれなくなったようで、みよし通りにある平塚幼稚園の正門前にはナイアガラが寄贈した(ことになっている)SLの大きな車輪が飾られていました。ことになっている、というのは、その車輪を定期的に磨いている店員さんを何度か見かけたからです。

 創業者の内藤さんは1935年、地元祐天寺に生まれ、戦時中、疎開先の富山県で汽車を眺めるうち、鉄道好き、SL好きになったそうです。「建てもの探訪」の渡辺篤史に似ている(と僕は勝手に思っていた)内藤さんは白いエプロン姿にいつも駅長の帽子をかぶっていました。内藤さんの微笑ましいエピソードも聞いたことがあります。鉄道の高架ができる前、つまり東横線がまだ地べたを走っていた頃のこと、踏切の信号機の音が鳴るたびに内藤さんは店から表に飛び出し、通過する列車に向かって敬礼していたのだそうです。

 現在、お店は長男の章喜さんが引き継いでいます。平塚幼稚園で車輪を磨いていた店員さんがご長男だと僕が知ったのは内藤さんが他界した後のことです。「銀河鉄道出発式」と銘打たれた内藤さんのお別れ会は「森林鉄道」をモチーフにしたという祭壇が設けられ、地元の人たちだけでなく、鉄道で繋がりのあった多くの人たちが内藤さんを見送ったそうです。

 どこか田舎町の駅のような風情の祐天寺駅ですが、ナイアガラはまさしくそんな駅前にふさわしい店。今も黄昏時に東横線の電車が祐天寺の町を過ぎるたび、店先で敬礼する内藤さんの姿が見えるような気がします。

関口和之

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