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YOUR SONG「僕の歌は君の歌」

「川沿いに見える赤い屋根が僕の家だった」小さい頃、まわりが畑や空き地だったこともあって、僕の家はわりあい遠くからも目立って見えた。赤い瓦ぶきのの屋根は小さな町の中では珍しく、緑の庭木に埋まった赤い屋根と白い漆喰の壁は、遠目に見るとおとぎ話さながらに愛らしかった。少なくともその頃の僕は、そんな風に思って誇らしかったのだ。
 その瓦が意外に色あせていてサラサラと愛想のない感触だということを知ったのは、初めてその屋根にのぼったときだった。晴れわたったその午後の興奮をよく憶えている。最初は梯子を踏みはずさないように、そして上ってからはそこから滑り落ちないように、とドキドキ緊張の連続だった。
 足場の悪い瓦の上を這いつくばるようにしててっぺんまでたどり着いたとき、僕はおそるおそる立ち上がってみた。そのとたん、もうひとつ違う種類の興奮があふれ出した。お寺の鐘楼、自動車工場のガレージで働く人、ヤクルトマークのついた販売店の屋根、小学校の木造校舎、いろんなものが初めて目に飛び込んできた。高いビルなどひとつもない、平坦な町だったから、まるで誰よりも高いところにいるような気がしたのだ。

 それからというもの、屋根の上は僕のお気に入りの場所になった。干したフトンの上でウトウトしたり、雲の流れをながめたりしたものだった。当時は僕の勉強部屋は三畳間しかなく、作りつけの大きな書棚も95パーセントは父親の本で占められていたし、壁は薄くて、父母の喧嘩の声がしょっちゅう聞こえてきた。しかし、このもうひとつの部屋は限りなく広く、どこへでもつながっていた。たとえそこから直接見えない所だろうと。大きな用水路、空き地に作った隠れ家、そして僕が好きだった女の子の家さえも、そこからは近かった。
「ちょうど、学校の向こう側だな」。見えないとわかっていても、その女の子の家の方角が気になってたまらない。
 もし大洪水だったら、ここが大海原だったら、この屋根はきっと船に違いない。と僕は思い描いた。船はあらゆるものを乗り越え、彼女の家をめざして波の上を進むのだ。そして僕は海の中からその女の子だけを救い上げるーー、想像は僕と女の子の壮大なる冒険物語となった。しかし、果てしないと思われた想像も、やはりつきてしまうときがある。そうなるとついに僕らは現実の島に漂着し、梯子を降りる。地面は海ではなくなっていた。そして僕はひとりぼっち…。

 オトナになった現在の僕はマンション住まいで、屋根というものはない。しかし、将来、もし家を建てることがあったとしたら、おそらくその屋根にのぼりたがるのは僕ではなく、僕の子供たちだろう、と思う。そしたら、彼らもやはり大海原を女の子と旅するのだろうか。それとも現実のビル群に押しつぶされてしまうのだろうか。

関口コメント:
このコラムから10年後、僕が建てることになった家には屋上をつけてもらった。ところが子どもたちは屋上には全然興味を示すことはなく、もっぱら僕だけが屋上で日光浴をしたりビールを飲んだりしている。そんなもんだ。

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