見出し画像

LISTEN TO THE MUSIC

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】

 最近、ジャズ・クラブやライブ・ハウスによく出かける。いろんな意味で、昨今の大ホールのコンサートに欠如しているものがそこにはある、と僕は思う。
 先日も六本木のピットインで大村憲司バンドを見た。メインの大村さんをはじめ、メンバーは息の合ったベテランぞろい。和気あいあいとしたなかにも、それぞれの個性がはっとするような輝きを放つ、本当にのびのびと楽しいライブだった。しかも真近でそういうものに触れることができたことはまったく幸福だったとしか思えない。
 そのときのドラマーは、あの村上”ポンタ”秀一だった。あの、と書いたのは、メインの大村さんと古くから仲間だということや、だれもが認める、日本一のセッション・ドラマーということでもある。しかし、僕にとっては特別な思い入れも意味している。

 10年前のことだ。僕らは青山のスタジオで2枚めのアルバムをレコーディングしていた。デビューアルバムでアマチュア時代のストックを吐き出してしまっていたことや、テレビや取材などでメチャクチャなスケジュールだったこともあって、困難続きのレコーディングだった。

 そんなときだった。彼がふらりと現れたのは。おそらくとなりのスタジオあたりで仕事していたのだろう。その頃からすでにトップ・プレイヤーだったから、デビューして1年足らずの僕らとしては彼の姿を見ただけで極度に緊張した。彼はそんなことを全然気にとめぬ様子で、セッティングされたドラムに近づいていった。いきなり叩き出すんだろうか、と僕らはかたずを飲んで見守った。しかし、彼は立ったまま、スティックでボンボンとタムを鳴らすと、すぐにドラムのヒロシに向かって手まねきした。
「ちょっとチューニングしようか」
 いきなり、ドラムのチューニングが始まった。ドラムのヒロシがそのときのことをどれだけ憶えているか知らない。ただ僕はむやみに感動したのだ。

 さらに2週間ほどたった頃。僕らのレコーディングも佳境にさしかかり、スローバーラードの唄入れをやっていたときのこと。再び彼がスタジオに現れた。今度はコンソール・ルームのイスに座って、じっと黙ったまま桑田の歌を聴いていた。しばらくして、彼はうなるように呟いた。「うーん、いい曲だね」。そして、さらにこう言ったのだ。
「2番のさ、”言葉につまるようじゃ”って歌詞のところ。あれはやっぱり、言葉につまってるんだからさ。そんな感じで歌ったほうがよくない?」
 それを聞いて桑田がそのとおりに歌った結果、「いい!」とだれもが思い、ますますその曲が魅力的になったことを確信した。その曲、「いとしのエリー」が収められたアルバムのクレジットには、小さく”Thanks to Shuichi Murakami”と載っている。たったそれだけの話なのだが、僕はそのときの驚きに近い感動を忘れずにいる。そして、それは、僕が音楽を続けるうちに、しだいに、ある確信へと変わっていった。

 それはとても簡単なことだ。音楽が人間に与えてくれるものはたくさんある、ということ。そしてそれを本当に感じている人こそが、愛にあふれた音楽を作れ、愛にあふれた人間でいられる、ということだ。ポンタ(ごめんね敬称略)のドラミングを聴くだけでもわかると思う。
「ほら、こんなに楽しくて、やんちゃで、ロマンチックで、せつないだろ」
 風通しのよい身体に音楽は浸み込んでいくる。

LISTEN TO THE MUSIC
1972年、ドゥービー・ブラザーズが初めて放ったヒット・シングル。彼ららしさが詰まった曲。周知の活動の後、解散。今年、再結成ツアー中。

関口コメント:
Thanks to Shuichi Murakamiとクレジットを指示したのは僕でしたが、そのせいで、レコーディングはスタジオミュージシャンがやっているのでは?などと誤解を生じる羽目にもなった。ドラムは全て松田弘です。ごめんね、ヒロシ。



スクリーンショット 2020-10-27 10.19.39


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?