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ステレオ写真で遊ぼう

【1993年に新潟日報でスタートした連載を原文のまま掲載】

 最近映画化もされた人気漫画「ぼのぼの」の中で、主人公のラッコ、ぼのぼのがある遊びを発見する。それは片目ずつ交互に閉じたり開いたりすると、そのたびに視界に映るものが右や左にずれたように感じる、というものだった。そういう一人遊びにすぐ夢中になってしまうぼのぼのだったが、短気なアライグマ君にはどうしてもそのおもしろさを理解してもらえない。「何をくだらねえことやってんだよ」と蹴りを入れられるのが常である。

 そのくだらない遊び、は一言で説明すると「両眼視差」というものである。左目と右目は離れている分だけ視界がずれる。それによって人間は立体や距離を把握する事ができるというわけだ。それは常識である。その常識をいちいち感動体験し、遊びとしてとらえてしまうのがほのぼののすごいところなのだが。

 そして、両眼視差が生んだもう一つの偉大な遊び、それがステレオ写真である。立体写真とか、3D写真とも呼ばれる。

 微妙にずれた二枚の写真を並べ、交差法、平行法といった両眼の視点ずらしによって(あるいは専用のビューワーを使って)立体に感じる、というものだ。なんだくだらない、といわず、ぜひ一度体験してみることをお勧めする。五〇年代にも一度ブームがあったらしいが、また最近、ちょっとしたはやりでもある。なにしろ、サッカーボールは空中で止まっているし、細川ふみえちゃんの胸は飛び出して見えるのだ。

 しかし、ステレオ写真にはそういったこけおどしだけではない味わいもある。滝本淳助氏とえのきどいちろう氏で作った「東京3D案内」というステレオ写真集には、町のたたずまいや人々の暮らしぶりが箱庭のように収められている。ステレオ写真といっても写真とは決定的に違うものだということもよく分かる。どちらが優れているかというのではなく、はっきり別物なのだ。

 その証拠に、写真では面白くないアングルでも、ステレオ写真では絶妙の遠近を配置していたりする。僕らは視点を前の方から奥に向かって移動させたり、その逆をやったり、ということが可能だ。写真においては平面のための「個」であるものが、ステレオ写真では「個」のまんまに感じられる。つまり、現実を、正しくは現実のある一瞬をそのまま閉じ込めている感じがするのだ。それが時に涙が出そうなくらい愛しいものに見えたりする。

 今年の九月二十二日、ロンドン郊外で国際ステレオ会議なるものが開かれた。世界中からステレオ写真愛好家たちが四百人集まったという。中でも、ロデオの落馬を撮ったものや、セスナを飛ばして撮った空撮写真、ミニチュアで作ったジオラマ写真、などがウケていたそうだ。その会議に日本から参加した編集者のK君は、日本はまだまだたちおくれている、と奮起したらしい。同好の友人らと茶会を催しては、ステレオ写真を回し見し、「結構な立体感で…」とやっているそうな。

 カメラ発明とほとんど同時に考えつかれていたステレオ写真だが、別にこれといった目的があったわけではない。遊びに始まり、どこまでもいっても遊び。くだらないと笑う人に、この世界は永遠に見えない。

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