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もしも永遠に今日がつづいたら

【1993年に新潟日報でスタートした連載を原文のまま掲載】

 明日という日が来なけりゃいいのに、と思うことが時々ある。

 それは、とっても気持ちのいい天気の日だったりして「ああ、毎日こんな日だったらいいな」と思うときか、あるいは精神状態としてはその逆で、締め切り前の「もっと時間が欲しい。今日が四十八時間欲しい」などと思っている時である。

 今年見た中で気に入っている映画のひとつ”Groundhog Day”(確か邦題は『恋はデジャヴ』)とかいう、どうしようもないタイトルだった)では、ビル・マーレー扮するリポーターの主人公が同じ一日を何度も体験してしまう。朝、目覚まし付きのラジオからソニー&シェールの歌が流れるのを始まりに、道を歩けば同じ人が同じ言葉を掛けてくる。同じ仕事の現場に向かうと同じ出来事が起こる、という具合だ。映画自体は軽くて、結構笑えるのだが…。

 際限なく同じ一日が続いている、それがわかったとき、人はどういう行動をとるか。例えば、あなたならどうするか。

 罪を犯しても、どれほどお金を得ても、次の日はチャラである。だれかと知り合っても次の日はまた初対面。自殺してみても、また同じ日がはじまるだけ。

 明日という日は来なけりゃいい、などと思っている人でも、そのうちうんざりしてしまうに違いない。

 映画の中では、主人公役のビル・マーレーが、ひそかに恋心を抱いていたアンディ・マクドウェルをくどき落とそうと躍起になる。何度も繰り返される一日の中であれこれと試行錯誤するが、うまくいかない。

 最近また話題になっている「チベット死者の書」風に解釈してみると、この映画はとても象徴的な物語かもしれない。繰り返される一日は輪廻(りんね)転生の人生、滑稽な主人公は、永遠に続くカルマの中でもがき続ける人間の姿、と置き換える事もできる。カルマを断ち切って解脱しない限り、人間は次のステップには進めない、と「死者の書」は言っている。

 いくら書物を読んだとしても、人間の一生や、そのまた上の魂の行方に関しては、はっきり言って死んでみない限り、こういうものだと言い切ることはできない。僕らがわかるのはせいぜい今日、明日の事くらいだ。

 しかしそれにしても、毎朝同じ時刻に起きて、同じ電車に乗り、同じ仕事場で同じ顔ぶれの中で同じ仕事をこなす。サラリーマンでなくとも、多かれ少なかれ、毎日同じ事の繰り返しである。確かに嫌な日もあり、すてきな一日もあったはずだが、容赦なく次の日はやってくる。まるで人生の縮図。

 一日一日を同じように生きることも、これまた人生の極意かもしれないが、今一つ悟り切れない僕は、何のための明日なのかと考えてしまう。

 子供のころを思い返すと、とても明日が待ち遠しかったような気がする。何かとてつもなくいい事が待っていそうな気がしたのもだ。

 明日起こりそうなことが大体予想できてしまう、寂しい、そして退屈な大人になってしまった僕たちはどうしたらいいのだろう。

 明日をもっといい日にするためにはどうしたらいいのだろう。

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