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ヒロのアンティークショップにて

【1993年に新潟日報でスタートした連載を原文のまま掲載】

 ハワイ島はビッグアイランドとも呼ばれ、ハワイ諸島の中では最も大きな島だ。しかし他島に比べて雨が多く、海岸線の大部分が溶岩台地になっているせいか、まだまだ観光開発はすすんでいない。

 僕が訪れたヒロという町は、ハワイ島の東側の海沿いにある。ハワイ州の中ではホノルルに次ぐ第二の都市だそうだが、町中を歩いている限りとてもそんな気はしない。特に古い町並みが残るダウンタウンは、はっきりいってさびれてしまっている。一九四六年と一九六〇年に立て続けに津波が町を襲い、町の半分を沖合にさらっていったという。以来、町は活気を失っていく一方らしい。

 つぶれてしまった映画館、ドアを開け放したままの理容室、その中に見えるスチールのいす、駄菓子屋、そういった軒を並べる店のたたずまいは、どこか懐かしい。そこはかとない風情、などというものではなく、記憶の中にある部分に強烈に訴えかける懐かしさである。

 リチャード・クロフォードのアンティークショップはそんなヒロの町の中にあった。アンティークショップといっても、立派な家具や装飾品、民芸品であふれているわけではない。もちろんハワイアンシャツやキルト、アクセサリー類もあったが、店の中に並んでいるほとんどはガラクタと呼んでもさしつかえないものたちばかりだ。薬の小瓶、カギ、キャンディーのオマケ、雑誌の束、鍋(なべ)。

 何よりも驚くのは彼はそれらすべてを”ダンプ”と呼ばれる町の公営ゴミ捨て場から見つけてきたということだ。

 ガラクタの中に掘り出し物を見つけることもあったらしい。ハンク・アーロンのルーキーカードもその一つだった。宝石や素晴らしい装飾品も見つけたことがあったという。しかし、彼がダンプに通ったのはそんな値打ち物を探すためだけではない。ゴミとして捨てられてしまった物に、もう一度それらが輝いていた時の価値を読みとること、そして時代や人生を思い起こすこと、それが彼の喜びなのだと言う。ダンプにはすべてがある。世界を再構築できるほどのすべてが、とも彼は言う。

 確かに僕らはどれだけの物を手に入れ、どれだけの物を捨ててきたのだろう。手に入れた時には、それらは輝いていたはずなのに、どうして色あせてしまったのだろう。

 高校生になっても、僕は自分の宝物を入れた箱を常に一番いい場所にしまっておいていた。その中身はもちろん僕しかその価値を理解できない物ばかりだった。その宝箱をどうしたのか覚えていない。捨ててしまったのか、それともまだどこかにしまってあるのか。小石、絵はがき、書けない万年筆、おもちゃから取ったゼンマイ。それらがいつのまにか価値を失ったのではなく、僕自身がそれらrの価値を見失ってしまったのかもしれない。そんなことを思った。

 親切にしてくれたリチャードとの別れ際、「また会おうね」と言った後で「いつか」と付け加えた。すると彼はさらに「どこかで」と笑った。またいつかおもいがけぬ場所で記憶のささやかな復しゅうを受ける日がきっと来るに違いない。

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