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青可荘203号室、思い出が染みついた部屋

青山学院大学2年生から約5年間、サザンでデビューしてからもしばらく住んでいたのが祐天寺駅近くの6畳一間の下宿でした。半畳のキッチン付きで風呂なしトイレ共同、階下には大家のおばあさんが障害者の娘さんと二人暮らししていました。

1万5千円という格安な家賃と、祐天寺駅から徒歩3分という立地の良さが気に入って引っ越したのですが、学校のある渋谷から10分ほどという便利さのせいか、訪問者はひっきりなしでした。最高滞在人数15人という記録も作ったその六畳間にしょっちゅう出入りしていたのは、中野坂上からサニークーペでやってくる年上の後輩K。彼は有名な「祐天寺密室すれ違い事件」の張本人。(「突然ですがキリギリス」参照)
泊まってっていいですか、とそのまま一週間居候してほどんどの時間を布団の中ですごしていった後輩N。いい加減に帰れば、と言わなければずっと居座っていたかもしれません。
部屋に泊ると必ず金縛りやラップ現象を起こす放浪者Kはなぜか「大センセイ」と呼ばれていました。
泊めてね、と言っていつも真っ暗な押入れの中で寝ていくヒッピー娘のA、「預かっておいてね、使ってもいいから」とボンドの缶を置いていかれた時にはさすがに戸惑いました。
友人宅を転々とする東大生ドラマーTは次の居候先としてこの部屋を物色しにきました。数日後に引き出しの中にしまっておいたなけなしの現金と共に彼は二度と現れることはありませんでした。
そんなことがあっても出かけるときにドアに鍵をかけないという習慣が変わることはありませんでした。電話もなかったので、約束なしで訪れる友達が多かったからです。祐天寺駅の改札にあった伝言板もよく使いました。携帯電話のなかった当時はそんなものでした。
待ち合わせてもすれ違い、訪ねてきても留守といういわゆる「持ってない男」O。中学からの長年のつきあいでしたが人間は変わらないもので、僕が部屋に帰った時には必ず恨めしい気持ちを綴った彼の書き置きが残っていたものです。

秋の気配を感じるようになったある夜、203号室のドアをノックしたのはK子ちゃんでした。同じ高校から同じ年に上京して東京の大学に通っていた彼女とは3ヶ月前くらいに極めてぎこちないデートをしたばかり。しかし、あまりの無様さに自分で恥ずかしくなってしまって、以降は連絡を取っていませんでした。多分嫌われたんだろうという思いもありました。前から好きだった相手の突然の訪問は普通なら嬉しい驚きだったはずですが、その時の僕はバンド活動が楽しくて、その夜も翌日の練習の準備をしていました。久しぶりに練習スタジオを借りることになっていたし、新しく手を付ける曲も決まって気合が入っていたのだと思います。むしろ突然何でこんな時に、と戸惑っていたような気がします。
「久しぶりだね、元気だった?」K子ちゃんはほろ酔いだったようで、部屋の窓を少し開けて、ふぅ、と息をつきました。
「関口くんってさ」しばらく沈黙が続いた後にK子ちゃんが口を開く。それは思いがけない言葉でした。「童貞だよね」

それはまさに図星だったのですが、あのぎこちないデートで見抜かれていたのか、とか、なんて答えたらいいのか、とか、恥ずかしさと自己嫌悪で言葉が出てきません。どのくらいの合間があったのか、その間何を考えていたのか思いだせませんが、僕が彼女に言い放ったのは、「明日までにやらなくちゃ いけない事があるから、帰ってくれないかな」という言葉でした。あんなに好きだったK子ちゃんに対してです。何らかの覚悟を持って、もしかしたら勇気を振り絞って初めて僕の部屋を訪ねてくれたかもしれないK子ちゃんに対して。今になって思えばどうしてそんなひどいことしたのかなと、心が痛くなります。

次の日に練習する曲のベースラインを耳コピーしながら過ごしたあの夜のことを思い出す45年後の自分。人生の分岐点というものがあるとしたら、何気なく現れた分岐点もたくさんあったはず。きっとそこで自分は無作為にどちらかを選んで来たのだろうと思います。貧乏だったけど極めて平穏だったあの学生時代、だらだらと明け暮れる日常の中であれは唯一何かを選択した瞬間だったのかも、と今となっては思うしかありません。
青可荘203号室にいろんな人たちが残していった思い出。置いて行った人たちの方はすっかり忘れているに違いありません。出来ればK子ちゃんも忘れていますようにと願うばかりです。

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