彼女の芝と、わたしの芝と
一時期、恋人か?というレベルで会っていた友人がいる。実際、彼氏と隔週交代のようなペースで会っていたから今思い出してもちょっと可笑しくなってしまう。
その友人は、女の子なのだけど、私とは全くタイプが違う。人と会ったり話したりするのが好きで、子供が大好きで、喜怒哀楽がはっきりしていて、きらきらとした素敵な夢を持っている。
美味しいものを食べたとき、何故かしかめ面になる私と違って、「美味しい〜!」と何度も言いながらずっとにこにこと食べる。体重や身長を差し置いても骨格レベルで厚みのある私と違って体の線が薄い彼女は、チュールスカートやひらひらとした生地の洋服がよく似合う。
彼女は、自分の可能性や未来を信じている。あえて悪意のある書き方をするならば、夢見がちの節がある。悲観的な現実主義者の節がある私は、正直なところ彼女の夢見がちさに「うーん」と思うことも一度や二度ではなかったけれど、同時にその夢見がちさが羨ましくもあった。
隣の芝は青い。彼女の芝はいつだって綺麗で、かわいらしい花が咲いていてる。でも何年か付き合ううちに、彼女も誰かの芝を羨ましく思っていると知った。自分の元気のない芝を見て悲しんだり、私の芝が彼女を傷つけていたことも、知った。
それに怒りさえせず、彼女は「あなたの芝だって素敵なんだよ」とことあるごとに伝えてくれる。
・・・
来年あたりで知り合って10年になる。流石にそれだけ関わっていると、彼女の夢見がちさは気づけば私にも若干移ってきている、ような気がする。
だって、何年か前の自分なら、誰かと話した内容をネットにアップしてみようなんて思わなかったはずだ。
そういうわけで、そんな友人とラジオをやってみてます。互いの芝を大切にしつつ、違いを楽しんでます。
中身が無いようであるような、やっぱり無いようなラジオですが、元気が無い日の片手間にでも聞いてもらえたら嬉しいです。
私的な追伸:このnoteは、私にしては珍しく衝動的に書きました。やっぱりあなたの夢見がちさが伝播しているんじゃないですかね。(笑)
私の自信と励みになります🫰💃