記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

ゲ謎を見て「全体と個人」について考えだすオタク

ゲ謎を見たので考えたことを記す。
「Twitterでめっちゃ流行ってるな~(いずれ観るかもしれないから中身にはあまり目を通していない)」くらいの前知識。
鬼太郎はアニメを子供のころに見てて、妖怪ガイドブックみたいなやつを持ってた。

王道ミステリーな始まり方だ! アクションシーンかっけぇ! 愛が、沁みる……。というかんじでとても楽しめた。
てか思ったよりグロかったし、しっかりホラーだったのでびっくりした。

全体という建前、それと欲について

なんか「個人」と「全体」みたいなものについて考えさせられた。
作品の中には国・村・会社のような「全体」の組織が出てくる。そして、水木サイドの登場人物たちはそれに対抗する「個人」であるように思えた。

組織側は「全体のために犠牲になりなさい」「あなたの犠牲が未来を創る」とかなんとか言って個人から人生や命を搾取する。

けど、結局それは組織のトップにいる者たちの利益のためである。
要するにゴタゴタ言いつつもみんな個人の快を求めているだけだ。
「全体のため」ってめちゃくちゃ建前なんだ~! と思った。
人に犠牲を強いる者は、かならずその犠牲によって利益を得る。たぶん。知らんけど。

なんだかんだ個人の欲は止められないのに変に組織の秩序を守ろうとするから醜い謀略につながっていくのかもしれん。「ドロドロしてる」ものの源泉ってここかも……。

でも別に自分の欲するものを追い求めることは悪いことじゃない。そういう気持ちはみんなが持っていい。てかそれが生きることの基本だと私は思っている。
愛する人を助けたいのも、自由になりたいのも本質的には欲だ。

てかむしろ、人間は欲望のために動かなきゃダメだと思う。
なぜなら「組織のため~」みたいな全体主義を支える層のひとつとして「自分で決めたくない層」がいるからだ。欲のない人間は他人に生き方や価値観を決めてもらいたがる。そういう層は全体という建前で個人を利用していきたい人間にとってかなり都合がいい。

つまり、ひとりひとりの個人が「こうしたい」という気持ちを持つことこそが、明るくて自由な未来をむかえるためには重要だ。

欲は個人を脅かすが、それと同時に欲がなければ個人は個人でいられないのだ。

最終的には、「みんなが自分の希望を持って生きていこう! ただし、それによって他の個人を侵害しないように」と思った。

でもときには侵害を避けられないのが現実であって、人間の世はままならないね……。
でも、できるだけ侵害しないようにたくさん死ぬほど頭を使っていこうね、人間。
ほんとうに世のため人のためになることっていうのはこういうことなんだと思う。自分の欲と他者の欲がぶつからない微調整を諦めずにやりつづけること。

おい、こんな社会への痛烈批判をするつもりじゃなかったんだが……。

オタクが幻覚を見る理由がわかった

私も二次創作はするが、原作でストーリーを差し込めるスキマを見つけられない作品での二次創作は難しく感じるので書かない。また、ある程度の根拠がないものは怖くて書けない。
いわゆる「幻覚を見る」ことができない。

で、この作品はTwitterでめちゃくちゃ二次創作を見かける。(中身はまだ見てないからどういうのが主流なのかは知らない)

そしてゲ謎を実際に見てみたことで、オタクがなぜこの作品の二次創作にアツくなるのかちょっとわかった。
あまりに水木とゲゲ郎のコンビの空気感が良すぎる。これは我らの大好きなものだ!

なんでオタクが殺伐とした原作でほのぼの二次創作をするのか、それは「超いいやり取りをするコンビの雰囲気のエキスをずっと引き延ばして吸っていたい」からなんだね。
このコンビはいろんな状況下に置きたくなるしもっと遊んでいたいもの。まだまだ味がするもの。そりゃあおしゃぶり昆布みたいにずっとしゃぶっていたくなるわよ。

理解はできたけど私には書けない。妄想が死ぬほど下手なのでスキマを見つけられない。


そうそう、だいたいリアル因習村の迷信ってぜんぶ科学で裏打ちできるやつか思い込みだと思うんだけど、作品の中の世界では妖怪が確実に存在するのでハッキリと妖怪のせいなのが面白かった。
現実にも妖怪がいたら面白いなぁ。実はいるのかもなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?