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ときめきが強さに変わる


「大豆田とわ子と3人の元夫」のなかで、こびりついて離れないセリフが幾つかある。

今日はその中のひとつについて。

第9話のシンシンの台詞がズシンと来て、1ヶ月以上経っても離れない。

恋愛にはときめきのピークがあるからだよ。
だから人は結婚して夫婦になる。
離婚は面倒くさくて、面倒くさいは全てに勝つから、夫婦を繋ぎ止められる。
恋人だったらとっくに別れる出来事を、夫婦は何度も乗り越える。
だから強くなる。
ときめきが強さに変わる。


…夫がもしも恋人なら、とっくに別れる頃だと思う。
お互いに、他に好きな人が出来てもしょうがない。繋ぎ止めるものがなければ。

まさに、ときめきが強さに変わっている。身をもって体験している。
色んなことを相談して、戦略を立てるチームメイトになった。
「疲れた」の共有や、子どもの成長の「喜び」は分かち合っているけれど、
私たちには、ときめきはもう存在しない。


2人で夜更かししたり、ダラダラとお喋りをしたりすることがなくなった。
くだらない話をして笑いあうこともないし、
お酒を買いに部屋着でコンビニに行ったりすることは、もう一生ないんだろうな。


帰宅したら風呂を沸かしながらご飯を食べて、洗濯を回して米を炊き、早く寝て早く起きてお弁当を作り、当番制で子どもの送り迎えをする。
予定外の出来事は、子どもの発熱以外起こらないようにしている。
緻密なチームワークで生活を回しているから、お互いの起こす小さなミスが致命傷になり、めちゃくちゃ腹が立ったりする。

ときめきが存在する隙がない。

夫に笑っていてほしいと思う。元気でいてほしいと思う。
とわ子はその気持ちを「好き」だと言う。

どうだろう。どうなんだろう?
居ないと困る。大切な存在なのは確かである。
つらいことがあったら逃げてほしいし、悩みがあるなら打ち明けてほしい。
でも、ときめきを伴う「好き」とは、もう違う。

色んなことがあっても、ときめきのままな夫婦ってたまに居る。どういうことなんだろうか。
わたしには分からない境地だ。

ときめきメインの友人夫婦がいる。

いつも夫の悪口でいっぱいのその友人は、ワンオペで子どもたちの世話に明け暮れ、一人の時間が欲しいといつもこぼしている。
そして、新しい命が宿った。
しかし今日もまた、夫が何もしない、自由がない、とこぼす。

ただの勝手な想像だけど、この夫婦には歯止めの効かないときめきが存在しているんじゃないか。
外から見れば矛盾しているようだけど、どれも本当の気持ち。こぼれる夫の悪口も、そんな夫にときめく瞬間も、気持ちに正直に生きている証拠だ。

どうやって夫婦のときめきを維持しているんだろう?

「え〜夫のことなんか大嫌いだよ」と言うけれど、嫌いって思えること自体がすごいんだって。

失った「ときめき」をどう補充するか、
夫に求めるのは消耗するし、傷つくリスクがある。
夫以外の知人に求めるのも、リスクがありすぎる。
だから、人はきっと不足した「ときめき」を外注する。

かつてヨン様に恋したミセスの気持ちがわかる。
30代〜40代の知人が皆どんどんBTSの虜になる。

そうやって「ときめき」を手に入れて、自分の心に折り合いをつけて、心の隙間を埋めていくんだろうか。

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