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夏季限定コーヒーゼリー

今日は弟とランチをして、その後1人で映画を見に行く予定だった。

映画まで2時間ほど時間が空いたので近くの本屋で入り口にたくさん積み上げられていた話題の小説を手に取り、喫茶店に向かった。

家から近く私のテリトリーの中にありながら行ったことのない店だった。

母から「焼き菓子が美味しい店らしいよ」と聞いていたので、ケーキかスコーンを注文しようと意気込んで入店した。

が、メニュー表を渡されるとそこには

夏季限定・コーヒーゼリーセット

の文字が。
感じのいい店員さんにも「コーヒーゼリーおすすめですよ。」と言われ、結局、限定の誘惑に負けてしまった。

コーヒーゼリーが届いた。
正直、微妙だった。

黙って評判のいい焼き菓子を注文すればよかった。
次来た時は焼き菓子を頼もう、と思ったがもうすぐこの地を離れる私には「次」はおそらくない。

私はいつもこうだ。

旅行先やちょっと遠出した先の
「おそらくもう2度と来ない店」で限定の文字に惹かれてしまうのだ。

注文した後にいつも後悔する、もう2度と来ないのであればこの店の看板メニューを食べるべきではなかったのか。

人間はどうしてこうも限定の文字に弱いのだろうか。
一度きりの来店ならどのメニューも、その時「限定」のはずだ。

まぁあれこれ考えてもしょうがないこれはこれで経験だ、と思い後悔を鎮める。


こんなことを考えながらコーヒーゼリーを食べていると、先ほどの感じのいい店員さんが電話をしている声が聞こえてきた。

店員さんが名乗った珍しい苗字に聞き覚えがあった。

小学校の先生だった。

特に担任というわけではなかったが、その先生からは音楽の授業を何年か受けていた。

分け隔てなく明るく朗らかな先生は生徒から人気があり、今でも思い出すいい先生だった。

声を掛けようか迷った。

小学校を卒業したのはもう10年も前のことで、音楽の授業を受けていただけの私のことは覚えていない可能性が高い。

さらにあちらは仕事中で、教師を辞めた背景もわからないため、「先生」などと呼ばれるのは迷惑かもしれない。

色々考えた結果、声は掛けなかった。

ただあの時好きだった先生が素敵な喫茶店で素敵な店員さんとしてコーヒーを淹れている姿を見てなんだか懐かしく幸せな気持ちになった。

書いているうちに映画の時間が近づいてきたので映画館に向かう。

夏季限定のコーヒーゼリーは微妙だったが、いい気分で今日を終えることができそうだ。

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