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だれかをその美しさのゆえに愛している者は、

私が川島如恵留くんを、「たくさんのJr.のひとり」から「世界でたったひとりの川島如恵留くん」として捉え始めたのは、2019年12月、FNS歌謡祭の『Endless SHOCK』のステージだった。その踊りのエレガントさや、ポジションの正確さに釘付けになった。あんなに美しい踊りをする人がいるなんて、信じられなかった。

それからだった。彫りの深い顔立ちを、綺麗な顔立ちだと認識するようになったのは。よく通る声を、好きだと思い始めたのは。初めてアクセスしたYouTubeで、笑った顔を見た時に「わぁ、この人笑うんだぁ」と思った。その笑顔が、信じられないくらいかわいかった。それからは、如恵留くんのかわいさに夢中になった。一度かわいいと思い始めたら、際限なくかわいいに溢れた人だった。巡ってきた14日にブログを読んだ。言葉を尽くして正直な気持ちを語ってくれる心根の真っ直ぐさや、ものの見方や考え方に触れて、胸が熱くなった。あぁ私は、如恵留くんのことが、すごくすごく好きかもしれない。

もうもはや、あんなに踊れなくたって、あんなに華麗なアクロバットができなくたって、難関大学卒じゃなくたって、お金持ちじゃなくなって、豪華な家に住んでいなくたって、宅建の資格がなくたって、英語がペラペラじゃなくたって、如恵留くんのことが好きだと思うところまで来てしまった。(すごいスペックだな、逆に)ありのままの、自然体の、たったひとりの如恵留くんが大好きだ、と。だってこんなにかわいい人、他にいないから。

けれど。本当にそうだろうか?

ひとは、人をその人だから愛すのか、条件によって愛すのか。

私は辻村深月さんが書く小説が大好きだ。その中に千原冬子という人物が出てくる。(『スロウハイツの神様』『光待つ場所へ』)話は脱線するけれど、少し語らせて欲しい。

彼女は根っからの嘘つき女。子どもの頃、子役として成功しなかった頃から、息をするように嘘を重ねていた。自身が小説を書いていても、他の作家の作品や思考や哲学をゴミ同然に売ることができるメンタリティ。けれど、私は彼女が大好きで、彼女の名前を自分のハンドルネームにしている。大好きな彼女の台詞がある。「許すって考え方が、そもそも友達同士の関係としては、不健全だし、カン違いですけど」。

顔立ちがかわいくて、子役というステータスがあり、常に注目を集めていた彼女の初恋は、「テレビに出たからすごい」「雑誌に載ったからすごい」と褒めてくれる人ではなかった。彼女を等身大で扱い、知らない世界を教えてくれた男性だった。では、彼女はその初恋の人を、物知りだから好きだったかというと、それは違うと私は思っている。彼女がゴミ同然に扱った作家は、その初恋の人と条件だけ比較したら同じだったから。むしろ超優良物件。けれど、彼女はその作家を優良物件として見たことすらなかったんじゃないか。だって初恋は、たったひとつだったから。条件で動いたわけではなかったから、比較の土俵にすら上げなかった。私は冬子でも辻村深月さんでもないので、知らないけど。

そんな私は最近、有名な哲学書、パスカルの『パンセ』のこんな一説と出会った。

「だれかをその美しさのゆえに愛している者は、その人を愛しているのだろうか。いな。(中略)もしその人が私の判断、私の記憶のゆえに私を愛しているなら、その人はこの『私』を愛しているのだろうか。いな。なぜなら、私はこれらの性質を、私自身を失わないまでも、失いうるからである。(中略)だから人は、決してその人そのものを愛するのではなく、その性質だけを愛しているのである。」(『パンセ』断章323、前田陽一・由木康訳)

確かにそうかもしれない。いや、多分そう。

美人だから、アクロバットができるから、ダンスが上手いから、声がいいから、賢いから、優しいから、正しいから、愛が原動力の人だから、セレブだから、スタイルが良いから、ピアノが弾けるから、英語ができるから、宅建の資格を持ってるから。どれだけ並べても、その性質しか愛せないのかぁ。そうか、性質だけしか。

だけど。高学歴なのは、英語ができるのは、資格を取得したのは、限りある時間を勉強に振り向けた如恵留くんの意志と好奇心の積み重ね。ダンスが上手いのは、アクロバットが得意なのは、(持って生まれた抜群の運動神経もあるだろうけど)根気強く時間を重ねてきたから。常に優しくあろうとするのだって、正しくあろうとするのだって、強い意志の力が必要。そう考えると、数々のステータスがより輝いて見える。如恵留くんのパーソナリティと直結するように感じられるから。世界の偉大な哲学者・パスカルの言っている事はきっと正解。けれども私は。性質に付随するパーソナリティも愛していると思いたい。そういう信念を持つファンでありたいと願っている。

でもやっぱり、そうは言っても。アイドルを好きになるとき、その人を丸ごと好きなことと、条件を愛すること、どちらが正解かは分からない。条件を愛した方が、アイドルにとってはいいのかもしれない。そして、結局のところ、条件でしか好きになりようがないのだ、とも思う。だって、TVの向こうの本当のパーソンには触れられないから。

何度考えたって、私には答えが出せない。堂々めぐり。あなたはどう考えますか?


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