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満たされる

原色のお洋服が好きだった。

情熱の赤、スペインの空のような青、向日葵のような黄色、5月の、キラキラ輝く日差しを受けた桜の葉のような緑。

色を使って、はっきり彩るお化粧が好きだった。

お洋服やお化粧で、これがわたしだと言いたかった。

その気持ちを否定する訳ではないけれど。

だけど、気付いた。

ここ2年、モノトーンのお洋服が増えた。お化粧は、素肌に少しだけ色を足すだけになった。気付けば、シンプルなシャツに、シンプルなパンツ、そんなスタイルで毎日を過ごしている。

たぶん、如恵留くんを好きになって、自分そのものに自信がついたから。(もちろん、自信を示すアイテムに原色を持ってきたっていい。原色に負けない自分こそがパワーだったりもするしね。ただ、わたしの場合は、モノトーンの気分だっただけ。なんとも曖昧なものです。)

如恵留くんのファンになったからといって、魔法にかかったように、自分がランクアップした訳ではない。(そうだったらおもしろいけど、ランクアップできるからという手段としてファンになるのはちょっとね。)

わたしは、どう足掻いたって、わたしでしかなくて、いつもどうしようもない失敗ばかりしている。なんなら地面を這いつくばってる。

どうしようもない毎日だけど、それなりに毎日なんとかやっている。如恵留くんと一緒の時代に生きて、たくさんの刺激(と文字数)を分けてもらって、かわいい笑顔を分けてもらって、それを自分の糧にして、仕事をして、生活をして。いつもより少しだけ、目標に手を伸ばしてみたり、出会わなければ読まなかった本を読んでみたり。そんなことが、とても楽しくて。ありがたくて、うれしくて。(そうそう。本棚の、如恵留くんに出会わなければ読まなかった本の段が、満杯になったよ!)

それが自信と、つながっている、の、かな?(そこは自信がない)

「好き」ってなんだろう、って、たまに思う。

たぶんわたしは、如恵留くんのことが大好きだけど、わたしが好きな如恵留くんって、「如恵留くんそのもの」というより、「わたしの頭の中の如恵留くん」の方が近いのかもしれなくて。「あなたが好き」って、本当は、よく分からないんだ。

でも、これだけは、はっきり言える。

わたしは、如恵留くんを好きな自分が好き。

如恵留くんを好きなわたしは、温かいもので満たされていて、少し上を見上げながら歩いている。それが愛なのか何なのかは、よく分からないけど。

それでいいんじゃないかって思う。例えそれが、「あなたのための好き」じゃなくても、「正真正銘の愛」じゃなくても。

如恵留くんを見て、ただただかわいいと、しあわせだと思う瞬間が大切。如恵留くんを見上げながら、心を近くに置きに行きたいと願う自分を良いと思える。如恵留くんに出会う前より、少し大きな円の中で生きてる。それに名前がなくたってわたしには十分。

本当は、モノトーンのお洋服を選びがちになったのは、年齢のせいかもしれない。色より素材で選ぶようになったからかもしれない。例えそうだとしても。

満たされている、と感じられるその日々がわたしにとっての日常であること。そのことを、しあわせだと思う。

ちひろさんの、この記事から始まる一連のnoteがとても素敵で。勝手にすみません、突発的にわたしも書いてみました。あまりに素敵だったので。

https://note.com/chi_kirin/n/n98b5313817b3


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