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AIに『赤毛のアン』の翻訳をお願いしてみました。

何度も読み返した『赤毛のアン』。
古い作品なので、英文ならThe Project Gutenbergでいつでも無料で読むことができますが、どう翻訳したのかを読み比べてみるのも楽しいものです。
最初に翻訳を手掛けた村岡花子さんの新潮文庫版、読みやすい掛川恭子さんの講談社文庫版、注釈が充実した松本侑子さんの文春文庫版あたりが入手が容易でオススメ。手元にはありませんが、茅野美ど里さんの偕成社文庫版や、図書館でよく見かける篠崎書林の本(調べてみたら、翻訳は谷詰則子さん)も読んだっけ。
和訳を無料で読むなら、物語倶楽部という個人サイトで全編読むことができます。すごいなーこの方。
他にもいろんな方々が訳していて、もちろんその全てを読んだわけではありません。とりあえず第1章の最初の段落に目を通して、その先を読むかどうかを決めています。

さて、今をときめくAIの話題。
使いこなしてみたいとは思うものの、そもそも何にどう使えばいいのかよくわかりません。せっかくだからあれこれ試してみようと思い、とりあえず思いついたのが、慣れ親しんだ『赤毛のアン』の翻訳。試しに、第1章を和訳してもらいました(文章はThe Project Gutenbergから引用しました)。


ChatGPT 3.5の場合

まずはOpenAIChatGPT3.5。結果は次のとおり。

第一章 ライラック夫人の驚き

アボンリーのメインロードが小さな谷に沈み込む場所に、ライラック夫人の家がありました。その谷はハンノキやムラサキシキブに囲まれ、古いカスバート家の森から湧き出る小川が通っていました。この小川は、以前は森の中を急流で複雑に流れていたと言われており、暗い淵や滝の秘密を抱えていました。しかし、ライラックの谷に到達する頃には、静かで礼儀正しい小川になっていました。なぜなら、どんな小川であれ、ライラック夫人の家の前を通る際には、礼儀と品位を正しく守らなければならなかったからです。おそらくその小川は、ライラック夫人が窓辺に座って、通り過ぎるすべてのもの、子供たちを含むすべてのものに鋭い目を光らせていることを自覚していたのでしょう。もし何か変だとか場違いなことを彼女が気づいたら、その理由を徹底的に調べるまで休むことはありませんでした。

アボンリーには、自分のことを無視して近所のことに注意を払う人々がたくさんいましたが、ライラック夫人は自分のことと他人のことの両方をうまく処理できる才能のある人々の1人でした。彼女は有能な家庭主婦であり、仕事はいつもきちんとしており、縫い物のサークルを「率い」、日曜学校を手伝い、教会援助協会と外国宣教補助団体の最も力強い支柱でした。それでも、ライラック夫人はこれらすべてに加えて十分な時間を見つけて、キッチンの窓辺に座って、「綿の経糸」のキルトを何時間も編み続け、アボンリーの主要道路に鋭い目を光らせていました。谷を横切り、赤い急な丘に向かって曲がっていきます。アボンリーは聖ローレンス湾に突き出た小さな三角形の半島に位置しており、そこへ出入りする人は必ずその丘の道を通り、ライラック夫人の見えない目の見張る中を通過しなければなりませんでした。

彼女はある日の早い6月の午後にそこに座っていました。太陽が窓から暖かく明るく差し込んでいました。家の下の斜面の果樹園は、無数の蜂によって囁かれるピンクと白の花婿のような色合いで満たされていました。トマス・ライアンド—アボンリーの人々が「レイチェル・ライアンドの夫」と呼ぶおとなしい小さな男—は、納屋の向こうの丘の畑で遅いカブの種を蒔いていました。マシュー・カスバートはグリーン・ゲイブルズの向こうにある大きな赤い小川の畑で蒔くはずでした。なぜなら、マシュー・カスバートが前の晩、ウィリアム・J・ブレアの店でピーター・モリソンに話したところによると、彼は翌日にカブの種を蒔くつもりだと言ったからです。ピーターが彼に尋ねたからです。なぜならマシュー・カスバートは生涯を通じて何かについて自発的に情報を提供したことがなかったからです。

それでも、なぜマシュー・カスバートがこのような忙しい日の午後の3時半に、穏やかに谷を越えて丘の上に向かっているのでしょうか。さらに、彼は白い襟と最高の服を着ていました。これはアボンリーを出かける証拠であり、また、赤毛の雌馬と馬車も持っていたので、かなり遠くへ行くつもりだということを示していました。では、マシュー・カスバートはどこに行くのでしょうか、そしてなぜそこに行くのでしょうか?

もしアボンリーの他の誰かだったら、ライラック夫人はこれとあれをうまく組み合わせて、両方の質問にかなりの推測ができたかもしれませんでした。しかし、マシューはそう滅多に家を出ることがないので、彼を連れ出す何かが緊急で普通ではないに違いありません。彼は生涯で最も恥ずかしがり屋であり、見知らぬ人の中に行ったり、話す必要のある場所に行くのが嫌いでした。白い襟をつけ、馬車でのんびりと運転しているマシュー・カスバートは、それがめったに起こらないことでした。どんなに考えても、ライラック夫人は何も理解できず、彼女の午後の楽しみは台無しになりました。

最終的に、「夕食後にグリーン・ゲイブルズに立ち寄って、マリラから彼がどこへ行って、なぜ行ったのかを聞いてみるわ」と、立派な女性は結論付けました。「彼は普段この時期に町に行くことはなく、訪問することもありません。もしカブの種がなくなったら、彼は着飾って馬車に乗って追加の種を取りに行くわけではないし、医者を呼びに行くほど急いでいるわけでもない。それでも、昨夜以来何かが起こったに違いないわ。私は完全に困惑してしまったわ。マシュー・カスバートを今日アボンリーから連れ出したのは何かしら、それを知るまで、私は少しも心や良心の平和を感じることができないわ」。

その後、夕食後にライラック夫人は出発しました。彼女はそんなに遠くに行く必要はありませんでした。カスバート家が住む大きく広がった果樹園に囲まれた家は、ライアンドの谷から道路を四分の一マイルほど上ったところにありました。確かに、長い小道がそれをかなり遠くにしていました。マシュー・カスバートの父親は、息子の後に同じくらい恥ずかしがり屋で沈黙しており、家を建てるときにできるだけ遠くに行きました。グリーン・ゲイブルズは彼の開墾地の一番端に建てられ、そこには今でも、他のアボンリーの家が快適に配置されているメインロードからほとんど見えないようになっています。ライラック夫人は、そんな場所に住んでいるとはまったく思いませんでした。

彼女は野ばらの茂みに沿って深い溝があり、草で覆われた小道を歩きながら、「それはただ待つだけだ」と言いました。「それは生きることではない」と彼女が言いました。彼女はキッチンのドアを強くノックし、中に入りました。グリーン・ゲイブルズのキッチンは明るいアパートメントでした—使われていないパーラーのように、痛々しくきれいでした。窓は東と西を向いていました。西の窓からは、裏庭を見下ろす洪水のような六月の柔らかい光が差し込んできました。しかし、東の窓からは、左の果樹園に咲く白いサクランボの木と、小川の谷にあるうなずく細い白樺が見えました。窓はツタの絡まった騒々しい光景に覆われていました。ここにはマリラ・カスバートが座っていました。彼女が座っているときはいつも、太陽光に不信感を抱いていました。それは彼女にとって、真剣に受け止めるべき世界にとって、あまりにも踊りやすく無責任なものでした。そして今、彼女はここに座って、編んでいて、後ろのテーブルは夕食のために用意されていました。

ライラック夫人はドアをきちんと閉める前に、そのテーブルの上にあるすべてのものにメンタルノートを取っていました。3つの皿が並べられていましたので、マリラはマシューと誰かをお茶に招待する予定のようです。しかし、料理は普段のもので、クランベリーのジャムと一種類のケーキしかありませんでしたので、期待されているゲストは特定の人ではありませんでした。しかし、マシューの白い襟と赤毛の雌馬はどうですか?ライラック夫人はこの普通ではない謎めいたことでかなりめまいがしてきました。

「こんばんは、レイチェル」とマリラは元気よく言いました。「今日は本当にいい夕方ですね。座ってください。あなたの家族は皆さんお元気ですか?」

「私たちはみんな元気です」とライラック夫人は言いました。「でも、今日マシューが出かけていったのを見て、心配になりました。もしかしたら医者に行くつもりだと思いました」

マリラの唇は理解して微笑みました。ライラック夫人が訪ねてくることを予想していました。彼女はマシューが不可解に出かける様子を見ると、近所の好奇心には耐えられないと思っていました。

「ああ、いいえ、私は大丈夫です。昨日はひどい頭痛がありましたが」とマリラは言いました。「マシューはブライトリバーに行きました。ノバスコシアの孤児院から少年を連れて来て、今夜の列車で来ます」

もしマリラが、マシューがオーストラリアからカンガルーを迎えにブライトリバーに行ったと言ったら、ライラック夫人はもっと驚いていたでしょう。彼女は実際に5秒間も言葉に詰まりました。マリラが彼女をからかっているとは考えられませんでしたが、ライラック夫人はそうせざるを得ませんでした。

「マリラ、本気ですか?」と彼女は声を取り戻して尋ねました。

「ええ、もちろんです」とマリラは言いました。まるでノバスコシアの孤児院から少年を連れてくることが、よく規則化されたアボンリーの農場の春の仕事の一部であるかのように、平然としていました。

ChatGPT 3.5

リンド夫人(Mrs. Rachel Lynde)がライラック夫人に。うーん。
しかも、"Mrs. Rachel felt that she had received a severe mental jolt. She thought in exclamation points. A boy!"以下が訳されていません。文字数制限があるのかなー。
再度翻訳をお願いすると、ライラック夫人がレイチェル・ライアンド夫人になったり、上では「ハンノキやムラサキシキブ」と訳していた"alders and ladies’ eardrops"が「オルダーやモウセンゴケ」になったり。そればかりか、繰り返すごとに翻訳してくれる長さが変わりました。ケチなんだから、もう。
ちなみに、村岡花子さんは"ladies’ eardrops"を「釣浮草」、掛川恭子さんや松本侑子さんは「フクシア」の花としています。
よくよく読んでみると、マリラの口元に漂うユーモアのくだりはまるまるカット。そんなの訳さなくてもいい、と判断したのでしょうか。私は好きなんだけどなー、マリラのその描写が。

Copilotの場合

お次は、ChatGPTを活用しているMicrosoftのCopilot。
こちらは質問の文字数にも制限があって2000文字まで。その制限内で翻訳してもらいました。
結果はご覧のとおり。

第1章 Mrs. Rachel Lynde は驚いた

Mrs. Rachel Lyndeは、アヴォンリーのメインロードが少しくぼんだ場所に住んでいました。その場所は、オルダーやレディーズイヤードロップスで囲まれ、かつてカトバート家の古い場所の森の中に源を持つ小川によって横切られていました。この小川は、かつてはその森を通る途中で複雑で急流の小川であり、プールや滝の暗い秘密を抱えていたと評判でした。しかし、リンドの谷に到達する頃には、静かで行儀の良い小川になっていました。Mrs. Rachel Lyndeの家の前を流れる小川も、礼儀と風紀を考慮して、Mrs. Rachelが窓に座っていることを意識していたでしょう。Mrs. Rachelは、小川や子供たちを含むすべての通りすがりのものに目を光らせ、何か変なことや場違いなことを見つけた場合、それがなぜそうなっているのかを探り続けることを決してやめませんでした。

アヴォンリーには、自分のことをおろそかにして隣人の仕事に注意を払える人々がたくさんいますが、Mrs. Rachel Lyndeは自分のことと他人のことを両方管理できる能力を持つ人々の一人でした。彼女は優れた主婦であり、彼女の仕事はいつもきちんと終わりました。彼女は「縫い物サークル」を運営し、日曜学校を手伝い、教会援助協会と外国伝道の最も強力な支柱でした。それでも、Mrs. Rachelは「綿の織り」キルトを編むために、アヴォンリーの主婦たちが畏敬の念を抱いて話すように、何時間もキッチンの窓で座っている時間が十分にありました。アヴォンリーは、セントローレンス湾に突き出た小さな三角形の半島に位置していたため、それを出入りする人はすべて、その丘の道を越えてMrs. Rachelの目を避けては通れませんでした。

Copilot

なんていうか、翻訳する気構えが足りない感じですね。

Claudeの場合

一方、ChatGPTの対抗馬として注目されているAnthropicClaude

第1章 レイチェル・リンデ夫人の驚き

レイチェル・リンデ夫人はアヴォンリーの主要道路がちょうど谷間に落ち込むところに住んでいた。その道路は、古いカスバート家の森の奥から源を発する小川に沿って走り、両側にハンノキやフユリンドウの木々が生え、小川は森の中を複雑で勢いのある流れで走っていたが、リンデの谷間に至る頃にはおとなしい小川になっていた。レイチェル夫人の家の前を通る小川ですら、彼女の窓辺から鋭い眼を注がれているのを自覚しているかのように、品行方正を保っているのだった。

アヴォンリーやその周辺には、自分の用事を無視する代わりに他人の用事にしっかり注目する人がたくさんいる。しかしレイチェル・リンデ夫人はその上に、他人の用事も自分の用事も手際よく処理できる有能な人物だった。彼女は手際の良い家政婦で、仕事はいつも時間通りにしっかりと片付けられていた。彼女は裁縫サークルの中心人物で、日曜学校の運営にも携わり、教会の慈善団体と外国伝道支援団体の主力でもあった。それでいて、レイチェル夫人は台所の窓辺に腰掛け、木綿の縞模様のキルトに刺繍をする(アヴォンリーの主婦たちが畏敬の念を持って語るように、彼女は16枚ものキルトに刺繍をしている)ゆとりもあった。そして谷間を横切り、向こうの急な赤い丘を登る主要道路を、鋭い眼で監視していた。アヴォンリーは海に突き出た三角形の半島なので、入り口と出口はこの丘の道を通るしかなく、レイチェル夫人の全知の眼の目を盗らずには通れなかった。

彼女はある初夏の午後、そこに座っていた。暖かく明るい日光が窓から差し込み、家の下の斜面にある果樹園はピンク色の花で装飾されて蜂の大群に襲われていた。夫のトーマス・リンデ(アヴォンリーの人々が「レイチェル夫人の旦那」と呼ぶ小柄な男)は納屋の向こうの畑で晩期のカブ蒔きをしていた。そしてマシュー・カスバートは、かの緑が丘の大きな赤い小川沿いの畑でカブ蒔きをしているはずだった。昨夜、カーモディのウィリアム・J・ブレアの店で、マシューがピーター・モリスンにそう言っていたのを、レイチェル夫人は耳にしていたのだ。マシュー・カスバートが自らから情報を提供することは一生に一度もないから、ピーターが聞いたに違いない。

それなのに、午後3時半すぎになってもマシュー・カスバートは平然と谷間を越え丘を上ってくるではないか。しかも彼は白い襟付きのベストスーツを着ており、明らかにアヴォンリーの外に出かける装いだった。しかも馬車と銘々ら馬を連れていたから、かなり遠くに行くつもりなのだ。一体マシュー・カスバートはどこに行くつもりなのか、そしてなぜそこに行くのか?

もし他のアヴォンリーの住人なら、レイチェル夫人はこれらの事柄を巧みに組み合わせ、両方の問いにかなりの正解を出せただろう。しかしマシューはめったに外出しないので、今回は何か重大で特別な理由があると思われた。彼は極めて恥しがり屋で、見知らぬ人の集まる場所や話さねばならない場所を嫌っていた。マシューが正装して馬車に乗るなんて、めったにない光景だ。レイチェル夫人は考え抜いてみたが、どうしても理由が分からず、その日の楽しみは台無しになった。

「お茶の後、緑が丘に立ち寄ってマリラに聞いてみよう」
と結論を下した。
「彼がこの時期に町へ行くことはめったにないし、訪問に行くこともないもの。カブの種を切らしていてそれを買いに行ったのなら、正装して馬車を連れて行く必要はない。医者を呼びに行ったのでもないようだ。でも、昨夜から何か起こったのは間違いないな。私にはまったく分からない。マシュー・カスバートがアヴォンリーを出かける理由を知らない間は、気持ちが済まないんだわ」

お茶の後、レイチェル夫人は出かけた。緑が丘までは遠くない。カスバート家の大きな広い果樹園に囲まれた家はリンデの谷間からわずか400mほど上の道沿いにあった。ただし長い私道があるので、実際はもう少し遠い。マシューの父親も、マシュー自身と同じくりひどい恥しがり屋で無口な人だったが、人里離れた場所に家を建てた。緑が丘はすっかり開墾された土地の端に建てられていて、他のアヴォンリーの家々が社交的に主要道路沿いに建っているのとは対照的だった。レイチェル夫人は、そんな場所に住むことを「生活」とは呼ばず、「単なる『いる』だけよ」と言っていた。そして彼女は野ばらの茂みに囲まれた草深い私道を歩きながら続けた。「マシューとマリラがちょっと変わり者なのも無理はない。ここんとこで二人きりで暮らしていれば、誰だってそうなるわ。木の束にはなれない。人間と付き合わないとね。まあ、満足そうにしているようだけれども。アイルランド人の言うとおり、首を絞められても慣れはするわけだしね」

それからレイチェル夫人は私道を出て、緑が丘の裏庭に入った。その庭は非常に緑が美しく、片側には巨大なヤナギの老木が立ち、反対側にはピラミッド状のポプラの並木があった。一本の枝や石も落ちていない。レイチェル夫人の目に付けば、それらはすぐ片付けられるからだ。マリラ・カスバートは庭を掃くのと同じくらい頻繁に家の中も掃くのだろう、とレイチェル夫人は密かに考えていた。この庭の土の上で食事をしても、いわゆる一升の砂糖を振りかけても差し支えなかっただろう。

レイチェル夫人はしっかりと台所のドアをノックし、入れと言われて中に入った。緑が丘の台所は明るい部屋だった。もっとも、あまりにきれいすぎて使われていない居間のようでもあった。西側の窓から裏庭に優しい6月の日差しが差し込み、東側の窓から左の桜の木々の白い花や、渓流のほとりのなびく細い白樺の木々が見えた。この部屋でマリラ・カスバートが座っているのを、レイチェル夫人は見た。マリラはいつも日向を少し疑っている様子で、あまりに踊るような陽気な日光を、真面目に受け止められるべき世界にはそぐわないものと感じていた。

今日もマリラはそこに座り、編み物をしながら夕食の皿を並べていた。レイチェル夫人は、まだドアを閉める前から、その食卓の上のものを頭の中で全て把握していた。3枚の皿が並べられていたので、マシューが誰かを連れて夕食に帰ってくるつもりらしい。しかし、それは毎日の食器で、プレザーブにはリンゴしかなく、ケーキも一種類しかなかった。つまり待っている客人は特別なひとではないと思われる。それでは一体、マシューが正装をし、良い馬を連れているのは何のためなのか。いつも静かで何食わぬ顔をしている緑が丘で、こんな謎が起きるとは。

「こんにちは、レイチェル」とマリラは活発に言った。
「本当に素晴らしい夕方ですこと。座りませんか?みんな元気ですか?」

マリラ・カスバートとレイチェル夫人の間には、ある種の友情が存在していた。それは二人の異質さによる物か、またはその故であったかもしれない。

マリラは背が高く細身の女性で、ひねくれた性格と、曲がりくねった道のない直情径行ぶりがあった。彼女の濃い髪には灰色の縞が入っており、いつも後ろで硬く小さな結び目になっていて、2本の硬い髪留め針で留められていた。狭い経験と堅い良心の持ち主らしい女性に見えた。しかし、彼女の口元には、もう少し発達していれば、ユーモア感を示すような微笑みがあった。

「私たちはみんな概ね元気ですよ」とレイチェル夫人。「でも、マシューがいつもと違う出掛け方をするので、あなたが具合が悪いのかと心配しました。病院に行くのかと思ったくらいです」

マリラの唇が理解を示すようにひくつた。レイチェル夫人が立ち寄ると予想していた。マシューの予期しない出掛け振りは、隣人の好奇心をそそるには十分すぎる出来事だった。

「ああ、私は別に具合が悪いわけではありません」と言った。「ただ昨日は頭が重かっただけです。マシューはブライトリバーに行っているんですの。ノバスコシア州の孤児院から男の子を連れてくるんです。今夜の列車で到着予定です」

もしマリラが、マシューはオーストラリアからカンガルーを迎えに行っていると言ったら、レイチェル夫人の驚きはもっと大きかっただろう。実際、レイチェル夫人は5秒間ものあいだ、ろれつが回らず黙りこんでしまった。マリラが冗談を言っているとは考えられない。しかし、レイチェル夫人はそう考えざるを得なかった。

「本気なの、マリラ?」ようやく言葉が口から出た。

「もちろん本気ですとも」と言うマリラは、ノバスコシア州の孤児院から子供を連れてくるなんて、アヴォンリーの普通の農家の恒例行事であるかのようだった。

レイチェル夫人は、精神的ショックを受けたような気がした。彼女は感嘆符を連発し続けた。子供だって!?マリラとマシュー・カスバートが、なんと子供を養子に!しかも孤児院から!?世界が全く逆さまになってしまったのか!これ以上何が起こっても驚かないわ!絶対に!

「いったいそんな考えが頭に浮かんだの?」彼女は非難めいた口調で言った。

自分に相談もなしにこんなことが行われたのだから、非難せざるを得ない。

「ええ、冬の間ずっと考えていたんですの」とマリラは答えた。「今年の年末の前に、アレクサンダー・スペンサー夫人がここに来たときに、春にホプトンの孤児院から女の子を連れてくると言っていました。スペンサー夫人はそこに住む従姉妹から事情を聞いて知っているのです。それでマシューと私は、ずっと話し合ってきたのです。私たちは男の子を連れてくることにしました。マシューも年を取ってきましたから、もう60歳ですし、以前ほど機敏でもありません。心臓の具合も悪いのです。それに、雇い人を見つけるのがとてもむずかしくなってきました。適当な人間はいませんし、フランス系でちっとも役にたたない子供しかいません。ようやく使い慣れてある程度仕事ができるようになったと思うと、すぐに立ち去ってエビの缶詰工場かアメリカに出てしまいます。最初はマシューが児童保護施設の子を連れ

Claude

いきなり途中で翻訳を放棄。まあ、これも文字数に制限があるのでしょう。
"alders and ladies’ eardrops"は「ハンノキやフユリンドウ」。カスバート家の老兄妹が暮らす緑色の切妻屋根の家、通称「グリーン・ゲイブルズ」は「緑が丘」となっています。
実はこちらも何度かやり直しをお願いしていて、そのたびに固有名詞のカタカナ表記が変わりました。アヴォンレアとか、マシュー・クサバートとか。
予め、"Cuthbert"は「カスバート」でお願いします、と指定すればいいのかも。
実のところ、プロによる書籍でも、固有名詞のカタカナ表記はまちまち。
村岡花子さんは"Matthew Cuthbert"を「マシュウ・クスバート」、"Green Gables"は「グリン・ゲイブルス」と書いていますし、掛川恭子さんは「マシュー・カスバート」「グリーン・ゲーブルズ」、松本侑子さんは「マシュー・カスバート」「グリーン・ゲイブルズ」としています。これに関しては「マシュウ・カスバート」「グリーン・ゲイブルズ」がいいなー、私は。

なべて世はこともなし

最後に何かまとめ的なことを書くべきかもしれませんが、書かなくても十分でしょう。
その代わりにもう一つ、AIに翻訳のお題を出してみました。
物語の終わりにアンが口にするブラウニングの言葉をどう訳すか。
原文はこちら。

“‘God’s in his heaven, all’s right with the world,’” whispered Anne softly.

ANNE OF GREEN GABLES
CHAPTER XXXVIII. The Bend in the road

結果は下記のとおり。

"「神は天にいます、世界はすべてうまくいっています」と、アンがそっと囁きました。"

ChatGPT

「『神は天にいて、世界はすべて正しい』とアンは静かに囁いた。」

となります。この文章は著作物の一部かどうかは分かりませんが、長い引用を避けるよう気をつけました。要約や短い引用であれば問題ありません。

Claude

何だか言い訳がましいですね。
さっきは黙って長い文章を翻訳してくれたのに。

Bingの検索を駆使できるCopilotは、ご丁寧にも解説つき。説明する手間が省けました。

「神は天にあり、世はすべてこともなし」とアンはそっとささやきました。この一文はイギリスの詩人ロバート・ブラウニングの「ピッパが通る」(Pippa passed)の中の「ピッパの歌」(Pippa’s Song)の一節です。
この詩は、織物工場で働いている少女ピッパが、年に一度だけのお休みの日に喜びのあまり口ずさむ歌で、通りすがりにその歌を聞いた人たちが彼女に感化され改心する様子を描いています。
アンの最後のセリフは、この詩から引用されており、物語の結末を美しく締めくくっています。

Copilot

このブラウニングの一節、エヴァンゲリオンに出てくるNERVの葉っぱのマークにもあしらわれているので、おなじみの方も多いことでしょう。
上田敏の『海潮音』にも収録されています。

神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

こちらも、翻訳する人によっていろいろ。「なべて世はこともなし」と訳しているのもよく見かけます。
翻訳家の方々が『赤毛のアン』の最後の一行をどう訳したか。それはどうか、ぜひご自分の目でご確認ください。

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