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映画『裸足のピクニック』と家族をつくることについて。

前回のエッセイ
https://note.com/kaorin926/n/na901201e9e20
で、映画の心理テストのようなものを友人からしてもらい、2つ目にあげたのが、矢口史靖監督の『裸足のピクニック』だった。テストの結果として、2番目に選んだ映画は、自分の根底に流れるテーマにあたるそう。
この映画は、私にとっては「家族をつくること」がテーマになっているように思えてならない。今回は、私の中にあるテーマ「家族」と映画『裸足のピクニック』について考えてみたい。

◼︎日本最大の稀にみる不幸な女の物語。
ストーリーは、どこをとってもごく平凡な女子高生、鈴木純子がある日キセル乗車がバレたことをきっかけに怒涛の勢いで雪ダルマ式不幸に巻き込まれてゆくというものだ。
「映画史上最も不運なヒロイン」が描かれたブラックコメディである。矢口史靖監督と言えば、『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』『ロボジー』『ハッピーフライト』『ダンスウィズミー』などなど、タイトルでピンとくる方も多いかもしれない。

◼︎すごく好きなのに人に勧められないという悩み。
人に勧める類のものとしては、いささか迷いも生じた。これが私の大好きな日本映画で、なんなら日本で1番愛している映画であるし、面白いのでみんなに観てほしいといつでも願っている。
しかし、それはなかなか人には言えなかった。人に言えないまま気がついたら約20年経ってしまった。時折、この映画のことを思い出しては、誰にも好きだと言えないまま生きるのも辛かった。こんな風に人生が終わっていくのは嫌だと思い、矢口史靖監督にだけはこの思いを伝えようと決めた。ファンレターを書いたものの家から出られない。やっぱり行かない方がいいかもしれない。監督に会って何か一つでも嫌な思いやガッカリなどはしたくなかったのだ。それで、この作品を嫌いにでもなれば、この世の終わりだ。

その日は、幸運なことに共同脚本を担当していた鈴木卓爾監督と矢口監督のお2人が登壇するイベントで、私は当時(2017年2月15日)イベントごとなどは一切行かないタイプの大人しい性格だったにも関わらず、ファンレターまで渡そうと意気込んでいた。最初に書いた長い手紙(便箋20枚程ある)は、嫌われるといけないので家に置いてきた。2回目に書いた短い方(便箋5枚くらい)の手紙をイベント終わりにお2人に渡しに行って握手してもらい、舞い上がっていた私は、監督に「(私の名前)頑張ってと私に言ってください」とお願いして、目の前でエールを送ってもらったりした。

距離感の近い小さめの会場で真夜中のイベントだったこと、その場で気の合う友達までできたこともあり、酔ってもいないのにかなりハイテンションだった。近寄ってきてくださった監督に自分の特に好きなシーンまで直接ペラペラと話し、公開中の新作も観るように勧められたりした。(※熱く語りたがる癖にまだ観ていなかったのである)イベントは早朝4時頃に終わったが帰ろうとする監督を呼び止めて、「ラーメンを一緒に食べに行きましょう」と言いたかった。がしかし、それは頭の中の妄想に留めておいた。あのとき、断られてもいいから、言うだけ言っておけばよかったと今でも思う。もっとあのシーンが良かった、このシーンが良かったと延々伝えたかったがブレーキのきかない自分にさすがにビビっていた。そして、監督に嫌われるのが怖かった。

↓ちなみに、空き缶が転がるカット、純子の神がかった美しい、ぼっーとした表情がすごく好き。これが特に好きなシーンだと監督に直接伝えられてうれしかった。

◼︎私が人に勧めづらい理由。
ラストシーンまで観ていだだくと容易にご理解頂けると思う。
ネタバレしてしまうと初めて観る方の、物語に出会うショック感や喜びが薄れてしまう。観てくださる方の為にストーリーについてはあまり触れないでおこうと思う。

◼︎味のあるシーンが続く、独特の間。
矢口監督作品の魅力といえば、演出が非常に細やかだ。キャスティングもどこから連れてきたのかと思うような見事な配役で、1つ1つのシーンが観ていて癖になる。妙にリアリティのある登場人物が次から次へと出てきて、ヒロイン純子と関わっては、さらに不幸な展開へ繋がれていく。衣装や髪型もどんどん変わるので、クルクルと変化していくヒロイン純子の美しさや可愛さも十分堪能できる。

◼︎家族で観てはいけない家族映画!?
コメディ映画にも色々種類があるのだと思う。『裸足のピクニック』を初めて観たのは、私が多感な中学生の頃であったと記憶している。映画館ではなく、予告されていたCMを観て、テレビ放送されたものを気軽に父と妹(小学生)と観はじめた。ブラックコメディだとわかっていて途中までは、家族で笑って楽しく観ていた。

いい映画であればあるほど、映画を観た後の感想は、誰かについ言いたくなるものだ。裸足のピクニックは私にとっては、いい映画だと判断するのがすぐには難しかった。観た直後、圧倒されてしまい思考が停止してしまった唯一の作品である。
「これは一体何だったんだ……。」
本当にいい映画とは、観客を甘やかさないものなのかもしれない。お茶の間でなんとなくおどけている父を横目に私は、全く笑えていなかった。ラストシーンの悲劇は、最大級の不幸となるはずだが、それは観る人にしか決められないようにできている。

◼︎ヒロイン鈴木純子は私だ。
少しだけ詳しい話をすると、物語中、家を失った純子は、祥子という謎の女と他人の家で仮暮らしをする。
「あたたかな団欒が欲しい」と言う純子に「自分でつくるしかないじゃない。人に用意してもらってた頃と違うんだから。」と説き伏せる祥子。短いフレーズの会話のやりとりなので、テンポよく通り過ぎていくシーンだが、私は、このやりとりにドキリとしたし、今もドキリとする。謎の女・祥子のキャラクターが際立つシーンだ。

私はかなり純子に似ていると思う。なんとなくぼーっとしているし、基本的に受け身な生き方だ。雪だるま式にやってくる不幸にどんどん流されていくが、彼女は長く落ち込んでいられないほどに、ぼっーとしている。「純子、頑張らなくちゃ。」というギャグのようなセリフと共に不幸に身を任せる。与えられたものの中で頑張ろうとする。私も基本的にはそんなタイプだ。失って初めて自分の本当に欲しいものについて思いを馳せることは誰にでもあると思うが純子の場合、それを最も不幸な展開の中で手に入れてしまう。そうやって純子が与えられたものは、私にとっては強く拒否したいものだった。それが私と純子の大きな違いだ。でももし純子のように前向きに手にすることが出来たとしたら……。純子の選択ともいえない選択は、受動的で臆病に生きる私をどこまでも強い力で刺激し後押しする。こうやって誰かに言わなきゃ気がすまない。自分の感覚を試してみたい方にはぜひ観て頂きたい映画だ。


文・文坂ノエ
イラスト・よみ @once_0322

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