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おむすび通信 #1 歌を歌う - メロディをメロディする(石川潤)

自分はメロディを作る際最も重視してるのは、覚えやすい音を選ぶこと、そして時にはそれを裏切ることだと思う。つまり書く時点で演奏者の出音よりも向こう側にいる聞き手の脳内に歩み寄るわけなので、これがなかなか難しい。作曲者のような全てを理解した時点もまた聴衆とは違うからである。出た音が聴くものにどれほどのストレスをもたらすのか、そのストレスはどこまで解放すれば良いか、すぐ解放すればいいのかゆるやかに解放すればいいのかといったことを、その時々のモチーフをあしがかりに考えている。

これはいわゆる調性音楽のメロディにおける話だが現代音楽においても同様である。自分は現代音楽における研究テーマは「メタ」であるので、メロディのみならず、曲そのものの覚えやすさとその裏切りについて思考することとなる。見慣れない行為をするならばなぜそれを選んだかの意図が確実に伝わるものにしたいし、ノイズなどの聞こえにくいものや今までの印象が崩れ去るものについては意図的にそう聞こえるようにしたい。従って不快な音は確実に不快に聞こえさせたいため、時にグロテスクな試みをする際にキッチュ(俗悪)なニュアンスを帯びる事もしばしばある。

つまり自分の現代音楽の更なる研究課題としているのは、音の動きであるメロディに、さらに動きを与えること、メロディをメロディする、歌を歌う、ということである。

parallel melody (2016)
ヴァイオリン:春日井 恵

Nodus Vol.1 で初演したparallel melodyはそうした試みを単旋律に落とし込むことを目的とした作品である。
曲全体が様々なテンションをもったメロディ要素で断続されており、それらの要素の配列が、音の配列のように「メロディ」になっている、というイメージである。
要素は以下の通りである。

a.無音

(演奏前は必ず生じる現象)

b.アクセントなメロディ

金管楽器のような単音の強調されたニュアンス

c.素早く過ぎる逆倍音列

d.Aria

バロックの無伴奏ヴァイオリンのようなメロディ。

e.素早く刻む十二音音列

f.トレモロ

ポジションを行き来する。

g.ピチカートの十二音音列

h.口笛

「a.無音」を除き、「b.」から「h.」までは arco の通常の奏法から徐々にイレギュラーなものに変化していくよう配列されている。
「h.口笛」に辿り着くまでは、基本的には要素は「a.無音」→「g.ピチカート」、もしくはその逆方向に要素が変化する。
例えば
「b.」→「c.」→「b.」

と山なりにいくこともあれば、
「c.」→「b.」→「c.」→「d.」→「c」→「d.」→「c.」→「d.」→「e.」→「d.」
という風に気紛れにジグザグに変化することもある。

なお各メロディは当然断片ごとに接着されるが、「c.逆倍音列」を除き各断片ごとに並べてもメロディとして成立するように書かれている。上記だとオレンジに塗られた「b.」のメロディを抽出すると下記のようになる。

このメロディは下記冒頭に登場する「b.」のメロディの再現でもある。

こういった複雑なメロディの変容の頂点に口笛があり、この口笛はヴァイオリンと独立するようになる。
口笛はヴァイオリンの真似をし学習する。
ヴァイオリンは最後にアリアを歌ったのちに何も言わなくなり、口笛は葬送行進曲を奏でて舞台を退出する。

この曲は音の集積でできたメロディをさらに集積する試みで作曲した。結果ストーリーのあるものになった。

メロディのうたごころ、情動的な動きもクローズアップすればそれ自体が物語があると考えることができるかもしれない。

シュトックハウゼンのオペラ「光」では1分ほどで構成されたズーパーフォルメルと呼ばれる三声のセリーが極端に拡大され七日間のオペラの設計図として割り当てられているが、
そのようにミクロからマクロまでの様々な視点を同時に捉えた作品を作ることは心がけてることでもあり夢でもある。

執筆者プロフィール:

石川潤 
1991年生。5歳で作曲を始める。東京芸術大学作曲科卒業。
2014年「スコラ 坂本龍一 音楽の教室」のワークショップ受講生として出演。2018年ロバート秋山「クリエイターズ・ファイル珈琲店」の音楽制作。2020年公開「完全なる飼育 etude」の音楽を担当。
ジャンルを超えた様々な活動を展開している。
https://nujawakisi.com
Twitter@NUJAWAKISI
noteリンク: https://note.com/nujawakisi1003

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次回 #2 は増田達斗が担当いたします(8/22更新予定)。
お楽しみに!


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