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つわりに気づかず、山に登っちゃいました

私事ですが、9月に結婚・妊娠をしました。

きっと人生の中で上位に入るおめでたいことなので、その記録をnoteに綴りたいと思う。ただ、妊娠に気づくまでのプロセスがあまりにも笑える(いや、笑っちゃいけないんだけれども)ので、そちらのストーリーをご紹介します!題して、つわりに気づかず、山に登っちゃいました


さかのぼること8月。

今年の2月に長野県へ移住をしてきてから約半年、ついに盆明けには大阪に引っ越すことが決まっていた。結婚する予定だった彼を大阪に置いてきたので、最後の8月中旬あたりは引っ越しや役場手続きなど、せっせせっせと新生活の準備に追われた。

新生活のためにあれやこれやと行動したので、さずがに無理をしたのか、体がしんどくすぐに寝込んだ。さらにコロナワクチン副作用が追い討ちをかけてきて、寝込みながら泣きじゃくる、そんな悲しい夏の終わりを過ごしていた。

結論から言うが、このとき妊娠6週目。本来ならば「陽性」と表記された妊娠検査薬を医者に持っていくところを、わたしは10キロ近いザックを背負い標高3,000メートル近い山を登ろうとしていた。そう、8月最終週に実施した北アルプス・燕岳(つばくろだけ)登頂である。

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もちろん、妊娠しているのですぐに息が上がったり、思うように足が上がらない状態だったが、初の燕岳で緊張しているんだろうと気に留めなかった。妊娠初期症状と呼ばれる胸の張りや体のむくみも、「高山病かな?」と勘違いしたほど。(高山病は一般的に頭痛や睡眠障害が主な症状)

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2日目の朝日は言葉が出ないほど美しかったが、本当は言葉を出したらなにか吐き出しそうなくらい気持ちが悪かった。まさかこれがつわりだとは誰が気づくのだろう…。


何はともあれ、怪我もなく無事に下山。そして大阪に戻って3日後、妊娠検査薬を購入。「陽性」と判定された検査薬を見たとき、驚きよりかお腹の赤ちゃんの容態は無事なのか、そっちの気持ちが強かった。重い荷物なんか持って山なんか登ったから…と最悪のケースが頭をよぎり、すぐさま近くの産婦人科へ駆け込んだ。


「ほら、できてるよ」

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大阪のオカンと思わせるような女医さんが、エコーに映る赤ちゃんを見せてくれた。わずかながらゆらゆら動いているのが分かり、元気に生きている小さな命にほっと安心感を抱いた。そう、あの変な椅子に乗せられ、足をぱっかーんと開くあの恥ずかしい格好をさせられていることを忘れるくらい…。

体長およそ3センチの赤ちゃんは体の前で手を合わせていた。見方によっては拝んでいる姿にも見え、「ママ!お願いだから!!これ以上無理しないでくれ!!!安静に寝てくれや!!!」と言っているのかと勝手に妄想が膨み、変な格好をしながらにやけが止まらなかった。(元気に産まれてきたら感謝とともに謝罪するつもり)


「出産予定日は来年の4月やわ。ここでは分娩できないから別の総合病院、紹介するわね。それから母子手帳なんやけど〜…」

オカン(女医)が今後の手続きを細かく話しているけれど、頭に入ってこない。先ほど見た赤ちゃんの映像が頭から離れず、思うたびにじわじわと妊娠したことに実感が湧いてきた。その気持ちが嬉しくて嬉しくて、「母親になるってこういうことかな?」と喜びを噛み締めていた。


最後に、オカンがわたしに聞いてきた。

「…まぁ、とりあえず以上かな!なにか分からんことある?」
「なんでもいいんですか?」
「ええよ、なに?」
「山登りってしちゃ…」

あかんに決まってるやろ!!!!


オカンが言うように、妊婦で山登りは危険だし、そもそも妊娠安定期(だいたい5ヶ月目以降)に入るまでは安静にしていなければならない。そもそも8月下旬、セミの死体同然に寝込んでいた時点で、察するべきだろうと誰もが思うことは言わずもがな…。当分の間、登山グッズは倉庫に眠らせておきます。


結局、8月下旬に提出した婚姻届けも内容不十分とペケをもらい、母子手帳をもらった同日に受理された。入籍から妊娠まで思い描いていた順番とはかけ離れてしまったが、母子ともに健康でいられることが今は一番嬉しい。残り半年間の妊婦生活を、落ち着いて楽しみたいと思う。

これが、わたしの妊娠発覚に至るまでの思い出である。


「山ごはんライター」として記事執筆を続けてきましたが、上記理由により継続不可に。なのでジャンルを変えてライター活動を続けたいと思います!今後は妊娠・出産・子育てについても書いていきたいので、ぜひ募集しているメディアがあれば教えてください!!それ以外でも地方創生・移住メディアも興味あるので、ぜひご紹介ください!!!

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