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赤ちゃんのいる生活と”ママ”としての私(3)

「赤ちゃんのいる生活と”ママ”としての私」

このタイトルで、育児奮闘中の自分を書き残そうとしてきた。
生後1ヶ月、3ヶ月、「さぁ次はなにを書こう」と考えたとき、なにも書けなくなった

パソコンを打つのも見るのも嫌になり、猛暑で体力も精神もすり減る毎日。大阪で子育てを頑張っていこうと決意したばっかりなのに、その自信もなかった。行政の子育て支援として、保健所の人が話を聞いてくれたときもぼろぼろと涙がでてきて、「なにが辛くて泣いているのかわからない」状態。

”産後うつ”だ。

人によって症状はさまざまだが、わたしにとってこの気持ちの落ち込み具合は異常だと思い、精神科を受診した。「先生に話を聞いてもらえば、少しはよくなるだろう」「また元気を取り戻せるだろう」と期待した。

結局、良くはならなかった。

「先生に詳しく自分の心情を話すのもだるい」「きっとわたしの悩みなんてちっぽけ、わかってもらえるわけがない」「ママはみんな頑張っているんだから」治せると思っていたのに、変わらない、むしろ落ち込みやすくなる自分に解決方法はないのかと絶望した。

絶望のなかでも”支え”になっていたのが、地元の友だちとのLINEだった。

その友だちは、わたしが出産する2ヶ月前に第1子を出産していて、同じ状況で共通点も多く、また連絡を取り合うような仲に。実家が引っ越し、地元と疎遠になっていたわたしにとって、その子とのやりとりは精神科を受診する以上の時間だった。友だちはこう言ってくれた。

「のんちゃん(わたしのあだ名)、帰っておいで」

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夏の暑さも和らいだ、9月の中旬。実家の長野から、地元・埼玉へ車を走らせた。3時間にわたる高速で、赤ちゃんが疲れないか心配になったが、それ以上に心が高揚していくことに気づいた。「こんなにワクワクしたのはいつぶりだっけ?」

地元の友だちの家に着き「おかえり」って出迎えられたとき、馴染みある人と環境にホッとした。それまで自分に自信なく足が浮いた状態だったのが、地面に根が張った気分だった

「これだ、わたしこの気持ちがほしかったんだ」

子育てを両立しながら、自分もなにかに打ち込む。そうすることで安心感が得られると思っていたが、長年住み続けた地元に帰ったことでその気持ちは手に入れることができた。(精神科の先生によれば、「元気だった頃の自分を思い出す人や環境に身をおくことで、当時の自分を蘇らせる=元気になる」方法もあるらしい)

何がともあれ、元気になった。その証拠として、地元の友だちの家に滞在した1週間、ぐっすり眠れた。涙を流すこともなく、心穏やかな日々を過ごせたのだ。


自宅に帰る日。「また不安な気持ちが出てきたらどうしよう」と友だちに話したら、笑いながら「また帰ってきたらいいじゃん」と言ってくれた。

「帰る場所がある、自分を取り戻せる場所がある」

そう思えたら、遠い大阪でも前向きに子育てができると感じた。


***

リアルに現状を露呈しましたが、備忘録として。ちなみに息子殿は生後半年を迎えて、元気に育っています。わたし自身、産後の生活も落ち着いてきて、毎日ハァハァ言いながら約8キロを抱えています(これからがもっと怖い)。同じママさん、頑張りましょうね!!!!!!

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