待てなくなったよね~の話

「昭和っぽい人」

自分が思う自分像と他人から思われる自分像はなかなか一致しない
ものだけど、これだけは受容しやすい。
昭和っぽい人といっても両足が完全に昭和に使っているかというよりは
半分昭和で1/4は平成、もう1/4は令和。みたいな。
どちらにせよ昭和の血は濃いめ。

最近の流行を全然終えてないし今までにない近未来のようなものを絶大に支持している割には、温故知新が一番理想形態だと思っている。

前置きは長くなったが、そんな自分に現代らしさを感じる瞬間もある。
最近待てなくなったよなあ~と考える。

時間の概念に忠実に従事できない。
昔の「秒針がどこどこを越える」その瞬間を”待つ”時間は到底ない。
過去、現在、未来の時間指標もないに等しい。
「現在は過去があるから存在する。未来は現在があるから存在する。」
現在というものに意識できているのかといわれるとできていないし、
予想としかなりえない未来ばかりを考える。

父に「焦らず諦めず」と言われたことがあるが、
諦めない以前に焦らないことが難しいと感じる。
対して、父のような団塊世代を見ていると、その時その時をじっと待っていたり、年相応の生き方をしているなと感じる。
これは時代の変化というのもありそう。

現代における”時間”というのはかなりシビアとされる問題で、
時間にルーズは怠惰と認定される。
しかし、これもかなり複雑性のある事案だと考える。

なぜなら、待てない、という単純明快な理由が予想されるからだ。
事前に予測できる待ち合わせシチュエーションは数あるパターンがあるが
時間というものが抽象かつ不可逆的なものであるがゆえに
時と場合によっては最重要事項に位置づけられる。
最悪の予測がなされたとき、人は待つことすらしないという選択を選ぶこともある。つまりは結局、待ち合わせに遅刻してしまうのも怠惰なんじゃなくて他人の怠惰さにどこか許せない領域が存在することによる人間の手の平返しであるということである。


難しい時代だわ、、、、

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