サンボマスター曰く、世界は「それ」を愛と呼ぶんだぜ

最近おかしいぞ、ポッター!ウンコを皿にするルフィは男泣きするウソップに向かってたしかにそう云った。

というものの、僕はつい半月前まで親と名乗る謎の権力を持つ者(なぜかわが子なる赤の他人の人生を掌握していることが多い)から与えられただけの鍵もドアもないのに監視カメラはある、「自分の部屋」という名を冠しながらもたしかにひとつも自分のものではない、幼き日より世話になっているベッドと学習机と10年物の壊れかけのPCと壁と天井が存在するばかりの部屋で毎日ぐるぐると自動思考を肴に横になり、「親の権力で機能を制限されたガキ・スマ・ホのSNS活動ですべての人生の選択を任せよう」「ありがたくも一日当たり一度与えられることもある250円で、いったい今日は何をしようかしら」「のこりの60年生の楽しみをmoon(PS)の実況動画と、ふぁぼろぐの咀嚼だけでなんとかこらえよう」と本気で意気込み、それでも毎日生きているため糞のまじった汁を垂れながら便臭のする空気を肺という人筒を構成する一種に出し入れし、燃えるからといってごみ袋に泡の胃酸を嘔吐する悪辣な毎日を送っている、「生きながらにして死を待つもの」であった。

そんなのは二度とごめんだ!

求職すれば上司にまで干渉され「お前のそれは仕事ではないから」と職を失い、外に遊べば「お前は何をするかわからないから勝手に家から出るな」と移動を縛られ、稼げば「お前に金を持たせたら破滅するから」と年金も通帳も貯金も給与も趣味の絵も音楽も取り上げられ、ペットの鳥と家事に逃げれば無限の重箱的追求とケチんぼな楽しくない身を削るような節制と「このような手順以外は認めない、家族でありたければ家族の法を守れ」の絶対服従命令が待つ。特に最後は、まるで自分は家族ではないとつきつけられているようで、相当堪えた。

とにかく、助かりたければ自ら動き自ら助けを望むべきだという重大な精神のSOSは、「親の愛」という理不尽で不健全で強大で圧倒的でかつイエスキリストの教えのように美しくて固く守られるべき「善意の暴力装置」を前に、片っ端からかき消され続けてた。何度諦めずにのろしをあげようとも、犬の小便に水をかけるがごとく簡単に。ひとつひとつが思い出したくないほどに苦しいけれど、これを忘れれば苦しみ損。人の貴重な人生の若い時を無駄に過ごさせやがって、本当に許せない。これについて考えるとPTSDの発作を起こし安定剤の量が増えるし、同じ状況であってもどうにもならず苦しみ続けていたことを連想して、またそういった人も中にはいたのだろうと懸念して、精神変調を起こしてげぼがでる。これらが人として正常な防衛反応で受け入れてあげなければならないと考えるのにも力というものは要り、これから夕餉を作るというのにへなッとしてしまう。深い傷だ。

僕は、僕の衝動性と神奈川の一人の男の気まぐれがなければ助からなかっただろう。家族はといえば、「今幸せなのは今までがあったおかげなんだから、それでいいじゃん。今までの出来事がなければ、今の幸せには到達できなかったということ。」なんて恩着せがましい都合のいいことを言って、のらりくらりと躱す。自分のした仕打ちなど忘れているのだ。ムカつく!

ところが、神奈川の男による救済活動をきっかけに25年間音信不通だった離婚の父と祖父母に思い切って連絡したら、事態は一変した。父は「ダメな父親でごめんなさい」と僕のことをずっと悔いていてくれたし、祖父母も成人式を祝えなかったのをずっと悔いていて、今度遊びにおいでと云った。それを母に教えたら、あれほど頭を下げるのを嫌がっていたのに、とうとう自分の育児に不手際があり、愛情不足であったことを認めてくれたのだ。

苦楽共にするには若くて離別した両親の愛は僕を通して、まだ繋がっていた。僕は、たしかに大人たちを許さなくてもいいが、一時の快感に任せて無責任に生まれたガキというわけじゃなかった。父も母も、親として子に幸せになってほしいと願っていたことに間違いはなかった。ただ、確信できるものがなくて、僕はずっとそれが欲しかったのだろう。意外とすんなりと手に入って、今度は受け入れるのが大変だ。暗がりから突然明るみに出てきたのでかなりまぶしく、なんか瞼が濡れている。


MVPを発表する。
神奈川の男よ、ありがとう。
同じものを愛し、同じ時をできるだけ長く過ごしましょう。

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