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遠慮と罪悪感は要らない

これもHSPだからなのか?
私は「できない人の近くでは、自分もできないふりをする」「やりたくてもできない人の前では、自分もしないようにする」こういうことを自然にやってきたように思う。
相手が嫌な気持ちにならないように。
羨ましいとか不快な気持ちを感じないように。
自分も遠慮するのが普通だろうと。
でも、そうじゃない人もいる。
これを改めて感じたのは、ほんの些細な日常のことだけども。
自分が体調不良で臥せっていて、食べたくても食べられない時。
またもや家族は私が見ていようが具合が悪かろうが好きなように食べる。
ちょっと気遣ってやろうか、みたいな雰囲気もない。
そういう時に私は無性にイライラを感じていた。
これが私なら、具合の悪い家族の前では見えないようにしたり、
遠慮したりするのが普通だった。
だから「私はいつも遠慮してんだからそっちも遠慮しろよ」
こういう不満が出てくる。
でも、そういう遠慮とか我慢が要らないってことかもしれない。
私は他人を差し置いても良い。
そんなことを考えると、身勝手なんじゃないかという気持ちが沸いてくる。
でも、要らない遠慮とか我慢が自分を苦しくするなら、
こんな思い込みは手放した方が良い。
他人を気遣えることは良い特性だと思う。
でも自分が不自由に感じるほどやる必要はない。

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