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【民俗学漫談】流行神

八百万の神がまします国

日本は八百万(やおよろず)の神がまします国、と言います。「まします」、というのはいらっしゃるということです。

で、八百万と書いて「やおよろず」と読みます。八が「や」、百が「お」、万が「よろず」です。

八百万は値ではなく、数えきれないほど多くの、という意味です。

日本では、大きいというときに八を使いました。

八咫鏡(やたのかがみ)とか、「頭八咫ある烏」とか。

神の数が人間より多い、そういう国です。日本は。

人が立つ大地に神がいる。歩く道にもいるし、太陽も月も神様がいる、石にも、植物にも動物にも神様がいる。

この言い方、変な気がしますね。

石や植物、たとえば、代表で稲、稲に神様が宿っている、ということであって、稲そのものが神様でははない。

これがアニミズム。

稲そのものが神様だと思う信仰は、自然崇拝です。

分類はどっちでもいいんですが、自然崇拝の方がストレートです。大地が神様だから、草が生えて、身がなるし、太陽が神様だから、毎日現れて、命を育む光を投げかける。

自分たちのわからない現象は、すべて神だ。と。

それが、アニミズムになってくると、太陽そのものではなく、あれに神が宿っているのだ。

ここでは、自分たちのわからない現象は、神の力が宿っているという考えです。

だから、神がそこから抜けてしまえば、機能しなくなる。日食によって、太陽が隠れれば、そこから神が抜けて、どこかへ隠れちゃったんじゃないかと、自然に考えるわけです。それで天岩戸(あまのいわと)神話が生まれたんです。

太陽の神、天照大神が弟とされるスサノオノミコトの狼藉に嫌になって、岩の中に隠れてしまった。たいへん、人間的ですね。ふてくされるわけですよ。

それで、隠れた岩のすぐ前で宴会を開いてバカ騒ぎすれば、出てくるんじゃないかと、他の神様たちが考える。これも、単純な発想ですね。人間が宴会大好きだから、神様も好きだろうと。

それで宴会が始まる。笑い声が聞こえる。何だろうと思って、天照大神が、ちょっと戸を開けてのぞくと、すかさず、力持ちの神が戸を全開に開けた。という話です。すねちゃったはいいけど、やっぱりさみしいという心理を利用しています。

そういう神話があって、神はものを動かすエネルギーなんですよ。気ですね。

太陽そのものは神ではない。あれは神の憑代(よりしろ)だ、という思想です。

で、神がいなくなる事を「隠れる」という言い方をします。消えたのではなく、どこかに行ってしまった。と、日本人は考えるんですね。隠れて、見えなくなってしまったと。

日本語で霊力の事を「ち」と言います。血ですね。Bloodですよ。例えば、大地の「ち」地面の「ち」、地面は今「じ」ですが、本当は「ぢめん」です。新仮名遣いの矛盾点ですね。あとは、道もそう。道というもの自体、古代の人々は、不思議に思ったんでしよう。道を通れば、別のところへ行ける。場と場を繋ぐもの。

そういった場は、霊力があるに違いない。神の霊力が。ということですね。

もう一つ、たまという言い方があります。魂ですね。こういう、言葉上の分類を現代の感覚で行うのは、虚しいんものです。似たようなものと思っていいと思います。

空と星の信仰

で、日本は八百万の神がいる、と。

ただ、日本の場合、空の神様はいない気がします。天空神ですね。外国で言えば、父なる神です。母なる大地に対しての。

伊弉諾尊が天空神なんじゃないかっていう説がありますが、神話にそのようには描かれていないし、キリスト教などの影響で、当てはめた感じです。

日本人の場合、空は空虚なものとして見ていたんじゃないですかね。雲は神の御業でも、空そのものはそう見ない。虚空だ。と。

日本人って、太陽と月と、後は、雲と雨、鳥、そのくらいですか、空の物で神秘を感じていたのは。

天空の雄大さにあまり感動しなかったみたいですね。

天空の雄大さに感動するには、広い空が要りますね。地平線が見えるくらいでないと。

日本に地平線が見える所はほとんどありません。

さらに、湿気があって、どうももやっていると。それでは、天空に対する不思議さは生まれません。

星もそうですよね。

日本人って、星に対して、あまり信仰を持っていない。「我が上の天空に輝ける星と」なんて言う人はいません。

私でさえ、天の川見ると感動しますけどね。

中国から星辰(せいしん:星の事)信仰が入って来ても、占いなどに利用されるのが多く、星に対する信仰は生まれなかった感じです。

きれいですけど、はるかかなたすぎる物には、感情が湧かないのが日本人ですからね。

日用品に魂が宿る信仰

その反面、アニミズムが進む、と言うか、反転したと言うか、お椀やまな板まで霊が宿って、意志を持っていると考え出します。

自分たちで作ったものですよ。

その道具にさえ、霊力というか、魂が宿ってしまう。だからうかつには扱えない。

アニミズムはいいんですけど、限りが消えて行ってしまうんですね。バランスを逸しています。

道具ができた時に、「これどうなの? 自然なの? 人間なの?」というわけで、わからないから、自然に持って行ってしまえ、というわけです。

まあ、もちろん道具を「第二の自然」とみているわけですけどね。人間と自然の両方に属する物として。

なんで、お椀なんだ。と。木じゃなかったのか、おまえは?

なんで、めしがよそえるんだ。うまい。有り難いと。

ただ者じゃないな。お椀。神の関係者だろ。と。

お椀を機能的な価値に持ってゆきません。

つい、自分たちと同じ次元で考えてしまいます。それが日本人です。クールジャパンです。「食器」というカテゴリーでくくるんじゃなくて、独立しているんですよ。お椀が。

身の回りにあるもの、得意ですからね。日本人は。

前にね、大日如来に、台所道具が参詣している浮世絵を見たことがあるんですよ。国芳っぽい気がしたけど、ネットで検索しても違うらしい。

で、その絵なんですが、大日如来様が現世に現れて後光を発していると。その足元に団扇、釜、まな板、雑巾、七輪などが手を合わせいるんですよ。台所用具ですよ。台所道具が、自分で如来様の下に集って、願をかけているんですよ。そんな国が他にあるんですかね。私は知りません。

何を願っているんですかね。出世ですか。「輪島塗になれますように」とかですかね。その場合、ちゃんと手があります。拝まないといけませんから。現れた如来に、皆、手を合わせています。

擂粉木(すりこぎ)などは棒を持って拝んでいますからね。擂粉木が手にしている擂粉木は何なんですかね。ミッフィーの世界における飼い犬みたいなものでしょうか。ランクとしては。確か、あの世界、飼い犬じゃない、ミッフィーたちと、同レベルの犬もいますが。

ミッフィーさんは、自分と、自分が紐でつないでいる犬との間に明確な相違を見出しているんでしようかね。

ミッフィーさんは、首輪という道具を用いていますね。道具を用いて制御している以上は、決して、同じ世界には存在できません。

ま、それはそれとして、大日如来様を拝むのは、人間だけではありません。猫も集って如来様の足元で米を食べていると。ありがたがるのは、一切衆生ばかりではないんですよ。日本では。日本限定です。

日本人は、象徴とか、記号化に向かう前に、人格化してしまいますね。得意技です。

上下の運動に向かわずに、フラットな水平方向の移動です。まあ、天空に向かわないですよね。

流行神

そのように、神のレパートリーが広い日本、当然流行があります。

モードですよ。

誘われたい。そして納得してみたい。

やっばりね、変わらぬ日常にはたえられませんからね。

何も変わらぬ新しい明日とかね。

ちっょと違う神も追っかけて見たいんですよ。

ちょっと見て、全開になりたいんですよ。

そこで流行神という現象が起きます。

はやりがみです。

現在、稲荷社がたくさんあります。神社の中にもあります。鳥居が赤いので、他の神社とは区別がつきます。

いわゆる「おいなりさま」ですね。

稲荷社は、昔むかしからたくさんあったわけではない。江戸自体に、商売の神となって、流行したんですよ。それで、個人の屋敷や商店はもちろん、神社の中にも稲荷社ができたんですね。参拝者が来ますから。

稲荷社ですが、謎のところもあります。神様は「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」とされています。穀物神ですね。

ただ、伏見稲荷社が「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」を祀るようになったのは室町以降と言われています。それ以前は「稲荷大神」と呼んでいました。

で、「おきつねさま」ですよ。

狐自体は稲荷社の神ではなく、神使い(つかわしめ)です。

橿原神宮(かしわらじんぐう)の神使いが烏で、三峰神社の神使いが狼であるように。

神への御供え物、犠牲として、動物を祀る風習がある以上、動物そのものを神とするはずはないんですよ。

狐が神使いと見なされたのは、米を食うネズミを食うからだという説もありますが、私は、むしろ狐というものの不思議さ。野生なのに、人里近く来て、妙な間をとって、不思議そうに人間を見ている。あの動物は尋常じゃない。尋常じゃないならば、神関係だろう。と。

このように、流行神によって、さらに、祀る神が増えてゆくというのが、日本のシステムですね。

鹿や猿、鳥、そして狐はかつては山神のようなものとして畏敬されていたはずですが、中世ごろから、神使いとなっていきます。
文明が進んで、秩序の中に組み入れようとして、飼いならすわけですね。

ストーリー付け

流行神がなぜ突然流行するのかといえば、ストーリーがあるからです。

もともとある神仏にストーリーをつける。これを縁起といったりします。

それが喧伝されて人が集まる。喧伝するのは宗教者の場合もあれば、大衆の場合もあります。

なければストーリーをこしらえるわけです。

もともとあったもの、イメージをその時代、または現代にフィットさせるわけです。いわば、編集、エディティングをするわけですよ。

オーダーを変えるわけです。

祭神でさえ、いわば『推し』をその時代の状況に合わせて変えさえします。

人間の頭は、物語に慣れすぎて、逆に言えば、物語性さえあれば簡単に納得し、信じてしまう。

江戸期の流行神は必ずストーリー付けがあります。

これこれこういうことがあったから、ご利益があります。

『これこれこういうこと』の部分の真実性など、分かりっこない。

分かりっこないうえで、ストーリー付けされているものであれば信じてしまうんですね。

物語によって、行動、実践するわけです。

ストーリーを入れ込むことによって、宗教的権威を獲得するわけです。

人間がそれぞれ直感だけで動き、判断できるようなニュータイプなら、ストーリー付けなど必要もないことなのですが。

もっと言えば、ストーリーのないものが恐ろしいということがあります。

だからすべての神社には由来があり、個性のある神様が祀られています。

なければ作り出すことによって、安心するわけです。

人間関係も変わりません。

ストーリー付けはいわば後付けということですから。

脈絡のなかった話を取り込むことによって人に伝わりやすくするわけです。

分野が変わりまずか、幽霊画。

有名な幽霊画については、まあ、たいていストーリーがありますよ。

どうして、こういう絵が描かれたのか。

それもいくつもある場合もある。

納得するためのものですから。

なければ恐ろしいわけです。

その幽霊画に描かれている人物はいったい、誰に向かって念を送ろうとしているのか。

幽霊画の場合は、神社とは違って逆に対象を限定することによって、人々は安心して鑑賞するわけですね。

モード

モードができるようになったのは、資本主義、商品経済ができてからの事です。

日本だと、まともな都市経済ができるようになった江戸以降ですかね。

商品経済と共にモードが生じたと。という事は、商品経済とともに権威のよりどころが、超越的な、異世界的なものから、ほぼ完全に現実の世俗にしか存在しなくなったたと言うことなんです。

いかなる思想、スタイル、または知識の体系であっても、広告に使われた時点でモードにされる。つまり、流行りのものとして消費される。
本来の目的とは異なった単なるお遊びのや知的な慰めのために、知識が用いられ、それを本にまとめてしまう感覚はやはり、江戸後期あたりからなんでしょうか。都市社会と流通、貨幣経済の発達が土台にあると思います。

物を追いかけるということは、信仰の対象に信頼を置けなくなった時代の宗教的な代替行為で、ハレとケでいえば、ハレではなくケ、日常性にまで下りてしまった行為であるという事から容易に推測されますね。

観念的、象徴的なものに推移しない限りは文化とはならない。

お参り→謙虚になる。→謙虚さが人をよみがえらせる。聖地は謙虚になれる場所。山は登ると修行になるだけです。

「意味のない出来事によって構成される日常の歴史」エリアーデ

偏在する神

日本は、神の範囲が緩いんですよ。

神は安定しているわけではない。増えます。減らないのでどんどん増えます。

で、ゆるキャラですよ。

名づけたみうらじゅんさんは、「ゆるキャラは、八百万の神だ」とおっしゃったらしいですが、ゆるキャラは、流行神ですよね。

大量消費社会の現象ですから、消えますし、裏では費用対効果が考えられている時点で、祭りでも宗教でもないんですが。蕩尽という点で。

アイドルも「小さな神」なんて言われていますが、アイドル。偶像ですからね。崇拝するものです。コンサートステージが、祭壇の構造そのままですよ。

行為としては、蕩尽そのものですよね。やけっぱちですよ。アイドル崇拝は。リターンがないですから。

人間は、蕩尽せずにはすまないんですよ。労働し始めた時から。

好きなんですよ。飲んで食べて、うたって、踊って、話を聞くのが。

もしかしたら、学校制度がなかったら、現代のアイドル崇拝は起きなかったでしょう。

禁止を破りたくて、流行神を勧請し、「ええじゃないか」と伊勢神宮へ向かい、ふなっしーと写真をとり、アイドルに夢中になって、賽銭を投げる。

このスタイルは現代も変わりません。

人間の生活を見るのが民俗学ですから。

ふなっしーも流行神(はやりがみ)の一種。

お椀に魂を見出せなくなれば、そのエネルギーの持っていきどころを見つける。それが人間だし、日本人です。

まな板と狸が並んで如来様に願をかけている。

その魂は、今も消えていないんですよ。


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