マガジンのカバー画像

小説

30
投稿した小説や随筆などをまとめています
運営しているクリエイター

#エッセイ

小説的精神年齢鑑定法

自分の精神年齢を知る方法と言うものはいくつかあると思いますが、『小説を書いていて、最も書きやすい年齢がその人の精神年齢である』と言うようなことを文芸関連の本で読んだ覚えがあります。 自分の年齢よりも上の年齢の人物を書くのは難しいとされています。 想像に頼るわけですから。 小説に限らず、漫画やゲームに出てくる年かさの人物が主人公などの若者にとって都合のいいキャラクターになっているのも作者が想像で描くしかないからだと思います。 私が書いたものでは、二十代後半、27、28歳

引き出し

子供のころ、理科室の棚の引き出しを開けたら真鍮(しんちゅう)色の鉱物が入っていた。その物質を見たときに感じた妙な感情。何がどうなったらこういうものが出来上がるのか、魚屋にはまったくない無機質な物質性。

会食

会食は、何であれ、自分の力ではない物のおかげてあるから、感謝の念を見た目で示してから、食する。 会食の平等性。そこに座っている人たちは、ふつう、皆同じものを食べる。宗教学、民俗学的見地から言えば、「神々の恵みを平等に配分される場所」、という事になる。 昔、わたしが神主やっていたころ、出張で、朝霞の普段は神主がいない社に七五三で行ったんだけれど、その時、町会の人たちと天重を食べたら、わたしだけ特上だった。

GシャツTパン

ホワイトカラーのシャツを着れば、ボタンの一つがとまっていないのは、私の能力に対して、ボタンの数が多すぎるから。スラックスの後ろのポケットからタグが出ているのは、財布などを出し入れするところにタグがついているから。かつて神職をしていたときに、流浪人のような着こなしをしていたのは、体型が細かったから。スーツを着れば七五三。しかし、他の人びとは同じ現象を引き起こしていないから、原因は別のところにある気がする。 仕事場でのドレスコードがどこの職場にでもあって、厳しい方から「制服着用」

5分番組の悦楽

今はともかく、昔はコマーシャルばかり見ていました。 番組が始まるとチャンネルを変えてコマーシャルを探したものです。 コマーシャルは負の感情を呼び起こすものが少ないですし、15秒でメッセージを伝えるというものも好きでした。 コマーシャルではなくても、5分番組が好きで、ビデオに録画していたくらいです。 “世界あの店この店”を見て、世界を観光した気分になったり、”どたんばのマナー”を見て、中学生なりにテーブルマナーを学んだり。 5分番組はなんとなく安心して見ていられました。 基本的

マスターのような人

ニコニコ動画は、映像の上に見ている人々が思い付きのコメントを載せる機能があり、見ていると面白いものがあります。 Youtubeのコメントはあまり見ませんが、コメント文化と言うのでしょうか、ニコニコ動画のコメントは面白みがあります。 そのような動画の一つにジャズ音楽を聞かせる動画がありますが、それがあたかもジャス喫茶やジャズバーなどで音楽を聴いているかのようなノリになっています。 純粋に曲に対するコメントもあるが、『マスター、コーヒーを』とか、『マスター、ジンライムを』な

グラビアポエム

不思議なことに、グラビアには、なぜか、モデルの写真の脇に詩が添えてある。 これを「グラビアポエム」と呼びますね。とりあえず。 キャッチコピーはキャッコピーとしててあるんですけど、たとえば、モデルの横に、「君と一緒にいられれば、毎日があたたかくなる」とかね。 だいたい、読者としての感覚の詩なんですけど。 なぜ、あるのか分からない。 読者のほとんどは読んでいないと思うんですけど。 それでも、なぜか、のつている。 グラビアの定型なんですかね。 これは編集者が書いてい

雑誌と書き言葉

書き言葉を支えているのは、出版業界なわけでして、それが縮小してゆけば、国語が消えてゆきます。テレビの影響で方言が消えて行ったように。 国語が消えてゆくということは、日本人としての、とは言うにまたず、その人のアイデンティティが薄まっていくということですよ。 WEB上の文章は、データを情報化したもので、マニュアルを求める消費者にとってはそれで十分なのかもしれない。 でも、「編集」の目を通していない文章が増えていくと、自分をますます目的に対する手段と化すような、機能としての人間に、

深夜番組の思い出

80年代半ばに『8時だョ!全員集合』の放送が終わり、バブルの最中の80年代の末に『オレたちひょうきん族』が終わり、そうしてバブルがはじけた90年代、巨大で華やかなものから、シンプルなもの、風刺のきいたもの、より個人的なものへと志向が向きはじめた90年代、私は、深夜番組ばかり見ていた気がする。 すぐに思い浮かべるものでも、やっぱり猫が好き、音楽の招待、文學ト云フ事、カノッサの屈辱などを毎回見ていました。 やっぱり猫が好き もたいまさこ、室井滋、小林聡美が3姉妹に扮(ふん)し

エセーとパンセに憧れて

楓の木は、一年に三寸しか伸びず、長するのに二十年以上もかかる。ゆっくりと伸びるために、木が固くなり、ゆがみが少なく、楽器に用いられる。 一万年前まで、今のアイルランドあたりで、巨大な角を持った鹿がいた。角があるのは雌に受けが好いからで、雄だけが持っている。競い合ってより大きくなる。氷河期が終わり、草原が森になるにつれて絶滅した。森であれば、木に角が引っかかって、思う様に動きが取れなくなったらしい。 それなら森に適応して、角を小さくして小回りの利く様に進化をすればよか

私はどうして小説を書いたか

学生時代、富士山の頂上に3週間ほどいたことがある。 物珍しい体験だから、人に話せば喜ばれるし、また聞かれることも多い。 同じことを話すうちに、ストーリー仕立てで話してくるようになり、どのエピソードが受けのかどうかも考えて話すようになっていた。 しかし、繰り返し話しているうちに次第に面倒になり、十人目くらいから話しの途中で飽きてしまい、果ては途中を端折(はしょ)って話す始末で、それを聞いた友人が、「あんた、それなら小説にでも仕立てみたらどうか」と言った。 なるほど。名案

読書力

ルロワ=グーランの身ぶりと言葉 (ちくま学芸文庫) を読む。これはおもしろいと、他人にも勧めたくなる。そこで、ふと思う。思い浮かんだ人のうち、この本を自分のように興味深く読める人は、全員ではあるまい。 本を面白く読むにも、「読書力」と言ったものが要る。 単純に学力が高いからと言って、読書力も高いというわけではなさそうである。 現代文の読解問題が解けるから読解力があるかと言えば、そういうわけでもない。 読書というものは、自分の感性や知識をさらに拡げたり、つなげたり、また

カッコいいものとは?

音楽でも、服でも、デザインでも。また、人でも、かっこいいという。かっこいい、とはなんでしょうか。 感情が入り込まない物。 生活が見えぬもの。 苦労の跡が見えぬもの。 解釈を拒否しているもの。 常套句から逃れる。 理由が必要なものは、格好良くない。自然でない。様になっていない。 文章でも、何を主張しているわけでもない。しかし文章でなければ表現不可能なもの。 解釈を拒否しているものはカッコいい。 ミニマムデザインがかっこいいというわけではない。 この間、図書館で日本美術史をめくっ