『二重俯瞰構造と小銭ミス』雑記249
今日あったこと。買い物をして、1000円以下程度の会計だったんだけど100円玉と間違えて50円玉を出してた。ちゃんとレジの人が気づいてくれて、こちらとしても「あ、すいません。」って感じですぐに取り替えて払った。
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このミスは時々やらかす。単純な不注意。でもこれが発動した時の、「あ、すいません」を言うのがなんとなく好きだなと思っていたりする。この感覚で共感してくれる人いるかな…。
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基本的に、レジ打ちの担当者と顧客って極めて機械的でクールな関係性だと思うんですよ。商品を渡す、コードを読む、値段を伝え、その値段を払って商品を持っていく、それだけの関係。
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ただ、ここで先程のミスが発動することで「えっと…足りませんね(おや、お客さん。これ100円玉じゃなくて50円玉ですぜ、足りないじゃないっすか〜」「あ、すいません(おっとこいつぁいけね!別に誤魔化そうなんて思ってないですぜ、失敬失敬」という、明らかに無駄なコミュニケーションが発生すると思うんですけど、私はこのコミュニケーションが好きみたいで。
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機械的なやり取りの中に、なんとなく人間味が混じるような気がして、その感覚が好き。レジの人がちょっと笑ってくれたりすると更に嬉しい。勿論、そのためにミスを自作自演するなんて行為はしないけれど。店員さんに無闇に世間話をふっかけるとかも論外である。コミュニケーションに飢えてるわけではなく、小さなコミニケーションが偶発的に自然発生することに喜びを感じるのだ。
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「あ、すいません」を言う自分自身に対しても、こんなミスしちゃうなんてかわいいもんだな、てへぺろ。と思ったりする。でもそんな風に俯瞰してる自分には少々嫌気も差す。二重俯瞰構造だ。
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因みに私は今までレジ打ち業に従事したことは殆どないのだけれど、今後そうなることをぼんやり妄想してみると、そういう小銭ミス的なぷちイベントが起こるのはやはりなんとなく嬉しがりそうな気はする。
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だって基本的にどの客とも一定の会話しかしないんだから飽きてて当然で、その上で、ほんの些細なことでも規定パターンから外れるイベントが来たら、ちょっとだけ嬉しくなりません?ならないのかな??こればっかりは勝手な想像でしかないので、実際のところは、経験者からしてみればただ煩わしいだけのことなのかもしれない。どうなんだろう。
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