意味のない人生の座標


生きることの意味がわからなかったのだが、どうやら意味などないらしいと聴いた。
ずっと『意味』を探し続けていた私には、ガッツポーズものの情報である。
これを採用して生きてみる事にした。

「意味などない」っという言葉の前後の文脈を無視し、都合のいいところだけを取り出し、採用する私。どうなることやら。


4日目。

三日坊主とはよく言ったものだ。
もうやめたくなっている。
習慣化するには、ほど遠い。

昨日はというと、企画概要を考える事に専念できる時間が数時間あった。
移動時間を利用して、車窓からの眺めを楽しみながら、考えてみた。

なかなか良い言葉が出てくる。
企画に参加する予定の仲間に、読んでもらうと、お褒めの言葉をいただけた。
視点が違う人からの反応は、面白いのだ。


トライしてみなければ、自分がどんな事を絞り出し、どんな文章を書くのか、どんな言葉を使うのか、どんな相手に向けているのか、そして何を伝えたいのか…わからない。

やらなければ、得意不得意もわからない。

そして、やってみれば、得意でも不得意でもない、まぁまぁな立ち位置が見えてくる。

白か黒か!
ゼロか100か!
好きか嫌いか!

この考えだった私は、
「全部グラデーションだよ」っと言われた事があった。今ならわかる気がする。

私は、やる前に決めていたのだ。
白か黒か。ゼロか100か。好きか嫌いか。
その事に対する、イメージや妄想で、勝手に決めていた。

やってみるものだなぁ。
ずっと同じ場所にいた事に気がつける。
不思議だ。
物理的に同じ場所なのに、体感的には違う場所にいる。
不思議だ。
コレが座標が違うってやつなのかもしれないし、ただの勘違いかもしれない。

傘忘れた。

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