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慣れて当たり前になること

絶対使わないと思っていたものが、なにかをきっかけに手に取り慣れてしまって当たり前になることがないだろうか。
私は結構ある。
同じお店で同じものばかり注文するような性格なので、自らの選択肢を増やす事やルーティーンを変える事があまりない。良い意味で保守的で堅実的、悪い意味で変化が苦手でチャレンジ精神が乏しい。
それでも環境が変わることで、何かを変えるしかない時がある。
その時に今まで選択肢になかったものを取り入れ、いろんな発見があった。

最初に感じたのは文房具。
小学生の時は鉛筆、
中高生の時はシャープペンシル、
大学生の時はシャープペンシルとボールペン、
社会人の時からボールペン。

今では当たり前に使っているボールペンだけど、使い始めるまでは抵抗があった。使い慣れた「消しゴム」が通用しないから。ただそれだけの理由。
大学生活が始まったとき、友人の中にひとりだけボールペンを使っている子がいた。
「書き間違えたら、修正ペン使うの?」ときいたら、
「ううん、グリグリしちゃう。だって講義のノートは自分だけしか見ないしね」と言われ、潔くて大人っぽいな〜と思った記憶がある。

結局、就活のためにボールペンに移行して、社会人では必須。
今では当たり前のものだから、そんなことを気にしていたなんて…と思ってしまう。逆にシャープペンシル自体、社会人になってから手にしてもいない。

エコバックもそうだった。
ビニール袋が有料化になる前は、買い物帰りにビニール袋に入れて帰るのが当たり前、ちょっとナチュラルなお洒落を楽しんでいる方がこなれた感じで持っているイメージだった。
それが今やエコバックを何個も持っているのが当たり前。むしろ忘れたことに気づいて引き返したこともある。ビニール袋を購入している方をみて、忘れたのかな?とエコバック持ちが当たり前の意識で見ていることもある。

当たり前っていつのまにか変化していくものだ。
結局、わたしは変化が面倒なだけでそれがルールになってしまえば変化を受け入れるし、凡人だから皆んなが「良い」というものは右習えで「良い」と感じるだけなのかも。

最近は体についても感じる。
体も「当たり前」が年々変わってきたし、今後もどんどん変わっていきそうだ。現在すでに若い頃と比べてガタがきていることを感じている。昔から体はまるいくて大きいが、身長がとまってもどんどん成長し続けている。そのせいで出来ないことがどんどん増えている。
・ヘルニアで腰痛持ちになってから、仰向けで寝られなくなった。
・腕が太くなってノースリーブを着られなくなり、最近は半袖すらあまり着なくなった(これは長袖だけで通年いられるというメリットもある)。
・行動の端々でいたるところの肉が邪魔だなと感じるようになった(例えば椅子に座っていて足元に物が落ちても、お腹の肉が邪魔でうまく拾えない…)
・立ち上がるときスッ動けず、のそっと腕の力を借りて立ち上がるようになった(よっこいしょと声が出る中年の気持ちがわかるようになってきた)。
・しばらく同じ姿勢でいると関節が固まったような、血流が滞ったような、違和感を感じるようになった。
・肌のはりがなくなり、二重顎の片鱗が見えてきた。
いい始めるとキリがない…

むかし親が体の不具合について訴えても意味がわからなかったことが、だんだんわかってきたし体感していて、ちょっと怖さすらある。衰えってこういうことか…。
悲しいけれどこういったこともいずれ慣れていくのだろうと思う。
そのときの状況を把握して、一番良い体勢や対処を学んでいくのだろう。

こうやって振り返ってみると、やっぱりわたしって変化が苦手だなと思う。
しょうがなく変化しているだけで、自ら変えようと思ったことが少ない気がする。
どうせ慣れてしまうなら、しょうがなくじゃなくて楽しんだほうがいい。
体の衰えだって、生きていれば当たり前のことだ。
受け入れるしかないし、争うよりも今楽しめることを見つけて満喫した方がいい。
年齢を受け入れつつ、食事や運動に気をつけて体を若々しく保つのはもっと素晴らしい。運動嫌い食べるの大好きなわたしにはなかなか難しいけど…

とにかく、いつだって今が一番若いんだから!
気持ちを若くもっていこう。
どうしようかなと思ったときはチャレンジできるようにがんばりたい。



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