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渋谷とは何か

今月のテーマは「渋谷」である。

そもそもnocとは様々な分野から建築や都市を覗き見るような勉強会であり、これまで「食」や「スポーツ」など大きなテーマを通して議論を重ねてきた。しかし今月、我々が取り扱うのは、「渋谷」という具体的な街である。

「他分野から建築や都市を考察する」といったコンセプトを掲げているにも関わらず、1つの街を扱うことは「街を考えることで街を考える」とでも言うようなトートロジーを感じる。しかし筆者にとって「渋谷」という言葉には、単なる固有名詞を超えた「概念」のような意味を含んでいるように思われる。多様な個性を一手に引き受けるような街であるにも関わらず、渋谷は変わらず渋谷である。
では一体渋谷とは何なのか。渋谷を渋谷たらしめる物の正体を、様々な角度から議論してみたい。

今月も「渋谷とは何か」のヒントを得るべく全4記事にわたって渋谷に関する話を公開する。
今回は1記事目として前提知識を共有すべく渋谷の地形や歴史についてまとめた。

渋谷の地形

多くの乗換客が肩を掠め合うように行き交う渋谷駅は、乗り入れ路線が9路線にのぼる日本でも有数のターミナル駅である。しかし均質化されていく他のターミナル駅とは異なり、渋谷駅では独自の風景が形成されているように思われる。駅から街に出てみれば、世界で最も有名なスクランブル交差点を人々が埋めつくし、観光客は必死に写真を撮っている。それらを囲むように広告を携えたビルが立ち並び、そのいくつかは圧迫感を与えまいとするデザインが施されるも、そのビル自体の大きさは人々を圧倒する。

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渋谷駅がスリバチ状の地形であることを知る人は少なくないだろう。スクランブル交差点を底として宮益坂側と道玄坂側の二つの方角をなだらかな斜面が取り囲んでいる。かつて、スクランブル交差点あたりは水が集まる場所であったが、水が引いた現在では渋谷で最も多くの人々が行き交う場所になっている。

もう一つの渋谷の特徴は「ヒダ」である。渋谷は道が入り組んでおり「ヒダ状」の空間が出来上がっているのである。実際、渋谷を歩いていると、うねうねした道で先が見通せず方向感覚を失ってしまうことがある。この「先が見通せない」状態は人間に「自分が動けば先が見える」と思わせ、自然と回遊性が増す効果があるそうだ。そのため大規模な建物が乱立するより、小規模な店舗や事業者の集積が適していると言えるだろう。

スリバチヒダ

渋谷の歴史とは、これらの谷地形とヒダ状の街をどのように埋めるのかという開発の歴史であるともいえる。先人の地形との向き合い方が、結果として他のターミナル駅には無い風景を生み出しているようである。

渋谷の歴史

では具体的にどのように現在の渋谷の姿になったのか。大まかに渋谷の歴史を追って行きたいと思う。

年表2

渋谷に鉄道が走ることになったのは1885年の日本鉄道品川線(現山手線)である。富国強兵や殖産興業の明治維新の二本柱を達成すべく、近代化の手段として鉄道が敷かれることになる。具体的には生糸の運搬に使われていた路線だそうだ。

1907年の玉川電気鉄道、1911年の東京市電の開通により渋谷駅はターミナル化が始まった。
その後の東急東横線、井の頭線の開通によって、渋谷駅は五本もの路線が絡まるターミナル駅にまで成長したのだ。

そんな渋谷駅が近代都市化するのが東横百貨店(現東急東横店東館)の出現だ。百貨店、劇場、屋上遊園地などがある白いモダンな建物で、建築家は渡辺仁である。

さらに1938年には地下鉄である銀座線が渋谷に開通するのだが、地下鉄であるにも関わらず地上3Fの高さにホームが設置され、電車のためのブリッジが架けられた。これは谷地である渋谷が一つ手前のエリアより土地が15mも低いため、高価な地下工事ではなく、そのままの高さを維持しながら路線を伸ばした結果である。

その後の渋谷都市開発においても谷地にブリッジをかける手法は積極的に導入され、主に人間のためのブリッジが架けられていく。

渋谷PARCO(1973年)、SHIBUYA109(1978年)をきっかけに渋谷が若者のファッションの中心地になっていく。これらに対応するように、初めての日本独自のファッションであるDCブームが訪れ、その全盛期には全身真っ黒な「カラス族」が台頭した。

カラス族

その後も渋谷では「渋カジ族」「アムラー」「ガングロ」などのファッションスタイルが現れては消え、若者ファッションのトレンドを受け入れ続けてきた。

今、そんな「若者の街」である渋谷が変わろうとしている。
若者の街というのは当然、扱われる商品の単価も安いということである。しかし商売を営む人々の関心の一つは、客単価をいかに引き上げるかということだ。最近の開発である渋谷ストリーム、渋谷スクランブル・スクエア、渋谷パルコなどに入る店は決して単価が安くない。


それでも現代の若者は、いまだに渋谷を上手く利用できているように思える。単価の安い店で済ませる物もあれば、単価が高い店で非日常を味わうことも楽しんでいる。渋谷の未来に注目する時、単価は一つのキーワードである。

ー 参考文献 ー
・「アースダイバー」中沢新一
「渋谷駅は一日にして成らず 「谷底」変遷から見える過去と未来」
「【レポート】今でも本当に渋谷は”若者のまち”か?」

(文責:佐藤)


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