見出し画像

朝イチ・インスピレーションブログ

お久しぶりの記事は徳についてです。

僕は高校生の時に中江藤樹先生という人物と出会いました。

『代表的日本人』という立派な日本人が五人紹介されている本があるのですが(この説明はちょっと置いておきますが)、その中で、中江藤樹先生との出会いがありました。

その中で、ある言葉との出会いがあったのですが、その言葉がとても刺さったのです。

いつか伝えられたと思いますが、伝えてしまうとなんだかその言葉の力が弱まってしまうかもしれない気もして誰にも言ってないのですが、ある徳に関する言葉との出会いがありました。

当時、その言葉を紙に書き残した、ボロボロの原稿用紙を今朝見て、改めて思ったのですが、そもそも徳について語られる場面って現代社会では本当に少ないですよね。

例えば国会中継を見ると、一番徳があってほしい存在である人達がそもそも徳について語ることって聞いた記憶がほとんどないし、そもそも徳を感じるかどうかという観点で見ると、どうなのだろうと思うことばかりで。

実は高校生の時に僕が政治や世直しというものに目覚めたのも、実はこの国会の存在も大きかったです。大丈夫なのかと。このままでどないすんねんと。「だったら俺が政治家になって世の中を変える。世直しをするんだ。」高校二年生の時にそう強く思ったことは心の記憶として今も鮮明に残っています。

だから今から出馬するーそういう話ではないのですが、今の活動にもつながる志は明らかにその時に芽生えたんですよね。国家の危機を感じて、なんとかしないといけないと心の底から思って。

これ自体はただの反面教師の話なのですが、でも当時の自分がなぜそういうふうに思えたかというと、もっと前の世代の徳が深い日本の先人との出会いがあったからなのです。書物を通じて。これが大きかったですね。

徳や志。尊敬できる先人の在り方。肚に響く出会い。これがあったからこそ、スイッチオンした部分があったわけです。今朝、改めて、こういう徳の深い先人との出会いがものすごく大切であることを思いました。

今どういう価値観で世の中が動いているのでしょう。社会貢献と言っても、色々あります。例えばお金を稼いで寄付をする。事業を通じて世の中を良くする。本当に尊敬する人だらけで、それぞれ素晴らしいと思うのですが、「徳を積む」「因徳を積む」このあたりの大切さって、もっと語られてもいいのではないか。そう感じるのです。

大谷翔平選手。自然にゴミ拾いをしますよね。やっぱり、そういうことだと思うんんですよね。別にそれを見せつけるわけでも、PRしたいわけでもなく、ただやってますよね。あの感覚ってすごく大切だなって思うのです。あの感覚を忘れなければ、人として間違えることはないというか・・・。別に何かを期待してするのでもなく、ただ単に落ちているから拾う。後にも先にも何もない。

自分ももう35歳。後の世代のことを考えると、色んな場面で子どもたちに徳を意識させてあげられる機会をつくれないだろうかと、思うわけです。

じゃあ子どもたちにどういうものが一番伝わるのかなっていうと、今の時代は学校教育じゃなくて、というか学校で教科書に掲載されてるからできるわけでもないと思うんですよね。

やっぱりtiktokやインスタなどの動画なのでしょうか。

時代と共にメディアは必ず変化する・・・
本だけでは限界があるような気がしてきます。

具体的な内容はこれからですが
徳というものに対して
あらためて大切なんじゃないか
そう感じたというお話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?