放浪 2022年 クライミング カナダに向けて日本を出国

2022.05.23

雨から晴れ。

今日ものんびり。

絵を描く。にじみが解ってきたがまだ濁る。

2022.05.24

晴れ。

元気フィールドがあるのだけれど、明日は山寺なのでパス。

2022.05.25

晴れ。

6:00にタイヤ屋さんと会って

#山寺

に向かう。

早朝なら涼しいだろうとの事で6:00発になった。それでも山寺はもう盆地気候になっていた。無風でモヤーとしていた。

今日の山寺は全員で7名。

日陰を探しなながら6本。

ブラック&ブルー

一番

落陽

ヌードシアター

前回は少し指力が回復してきたかと思ったけれど、勘違いだった。カチが耐えられなかった。

タイヤ屋さんが餞別として20th記念のTシャツをくれた。他の人たちも「楽しんできてね。」と声を掛けてくれた。

カナダに入国できなかったらどうしよう!

2022.05.26

カナダの荷物の準備。カナダの10月が寒そうなので冬シラフやダウンも持っていくのでかなりな量になった。

2022.05.27

雨。

#PCR検査

を受けに市役所本庁舎に行く。検査の前にメールで同意書を入力しないといけなかった。

カナダでもこの辺の見逃しがとても心配だ。

なんとかその場で入力をして受ける事が出来た。検査は唾液を容器に入れるだけだった。無料なのだけれど実際はいくら掛かるのだろう?コロナで経済が停滞しているのに、この様にタダで検査が出来るのはありがたいが不思議だった。受け付けでは3人が働いていた。

カナダにいる間に車を使ってくれる人が現れなかったので、エブリイは野ざらしにする事になった。炎天下にさらされてかわいそうなので、車の屋根にバスマットを載せる事にした。バッテリーも外した。

2022.05.28

晴れまたは曇り。

沢の計画があったけれどカナダに行くのでドキドキしてとても参加できなかった。

家族が壮行式を開いてくれた。

市役所からPCR検査のメールがきた。陰性だった。

航空会社から書類の確認のメールを送る為のメールもきた。ETAとワクチン接種の証明をデジタルで送らなければならなかった。どちらも手持ちの証明は紙媒体なので、デジタルにする方法が解らなかった。家族に教えて貰うことにした。

デジタル社会についていけない自分が情けなかった。

1981年頃は独身貴族だった。昔はパソコンが車の値段と同じくらいした。シャープのMZ2000をポケットマネーで買った。そのパソコンはソフトが無いので自作でプログラムを作るコンピュータだった。ベーシックで成績の順位表のプログラムを自作した。データをディスクでなくテープに記録する初期の初期のパソコンだ。プログラムを作って、生徒の名簿を入力して1年ぐらい使用するとPC9801が出た。コレはテープでなくディスクに記録したり、読んだりするのでめちゃくちゃ速かった。

直ぐにMZ2000は時代遅れになった。買い換えるかを迷っているとFM7が出た。直ぐに16ビットのPC9801やワープロも出てきた。

パソコンの進化が激し過ぎて付いていくのを諦めた。

コンピュータを使える人を使える人になればイイとも思っていた。

しかし、コンピュータが広まってパソコンになった。そして、パソコンがスマートフォンになった。

タクシーを利用すればイイのではなく、自分のクルマを持って、自分で運転をしていかなければ、どうしようもない時代になった。

同様なスマホが使えて当たり前の社会になった。

移動手段はさらに発展して自動運転やドローンも考えられる時代になってきた。

小学生の頃は家に電話もなかった。電話は黒かった。神様の様に玄関で座布団の上に鎮座していた。

教師のポケットマネーでパソコンを全員が揃えていた。自分に個人用としてパソコンが政府から配布されたのは2009年の島に転任した時だった。長かった。

日本は技術大国だったのにその技術を伸ばせなかった。日本の政策がまずかったのか?アメリカが凄すぎたのか?Windows95で完全に日本は惨敗。

デジタル庁を設立しても全く機能していない。どうでもイイ様な残った人が大臣に回されている様に思われてならない。

今回のコロナワクチン接種の予約はネットでなく電話でしか受け付けてくれなかった。ワクチン接種の証明書もデジタルでなく紙だッタ。それも日本語だけの表記なので、英語の証明書を貰う為には更に手続きが必要だった。市役所に行かなければならなかった。そして1週間ぐらいしてようやっと郵送で紙での証明書が送られてきた。どんだけ後進国に日本はなってしまったのだろう。社会の高齢化で議員さんが老人を相手の政策を重視してしまうからに思えてならない。

せっかく導入したマイナンバーをこんな時に有効に活用できる様にすれば、マイナンバーポイントなんか配らなくとも、自然と浸透していくと思うんだけど!

(´- ̯-`)

電子マネーを各国に先駆けて導入するぐらいの政策を掲げる改革的なデジタル庁になって欲しい。

国会議事堂前でデモまでも行われたのに2013年に特定秘密保護法反対を通したな。

2007年に防衛省を防衛庁にしたな。

して欲しくない法律には頑張る。

日本を出国できるか、とても不安になって熟睡できなかった。

2022.05.29

晴れ。蒸し暑い程だ。真夏の様だ。

家族からのアドバイスを得て空港会社の確認の手続きは進展した。

家族のマンションに着いてパソコンの使い方の解らない所を聞こうとしたら、家に忘れてきていた。家に戻ってパソコンを取ってきて、それからイロイロと教わる。しかし、スマホの番号のショートメールの届く場所は分からなかった。もしかしたら、スマホに問題があるのかもしれない???

仙台駅裏でバスを待つ。掲示板に目的のバス名が無いので、またまた不安になる。

この様な問題はワイドクラックを登るよりもドキドキする。とても精神に堪える。

次回の海外の放浪では

前日に新宿に着いて→寄席を鑑賞して→空港で泊まってにしよう。

余裕を持とう。

PCR検査が入国の2~3日くらい前でないと無意味になってしまうのはきつい。移動の時間の掛かる欧米でなくアジアにすべきだな。

成田空港行きのバスに乗れた。

荷物も問題なかった。

メールが航空会社からきた。一応、カナダ入国の証明書類の確認のチェックのメールは届いた事は届いた。しかし、これからチケットを渡せるか、渡せないかを判断するらしい。

バスは一人ひとりにカーテンで仕切られていて豪華だ。しかし、日本を出発できるかが定かでないのでとても不安で熟睡はできなかった。

2022.05.30

外は薄暗い。段々明るくなってきたが心が暗くなった。航空会社からカナダ入国の書類の確認のメールが不備なので受け付けられないとの内容らしい。成田空港で直に交渉をするしかない。もう、精神が限界に近づいている。

出国できなかったらどうしよう。

(´°_°`)

ターケークのグリンクライマーホームからメールがきた。10月からオープンらしい。

11月にタイとラオスに行くかな!

成田空港に着いた。

チケットを受け取ろうとしたら、渡航証明の書類が足りなくて貰えなかった。係の人の説明を聞くと、時間が少ないのと自分の英語能力とネット能力ではカンタンには証明書類を作るのは困難に感じた。時間も無いのでめちゃくちゃ焦った。あきらめかけたけれど、やれる所まではやってみた。

「arrive CAN」とか言うアプリをダウンロードして、それを記入して埋めていかなければならなかった。カナダのETAだけではダメだったらしい。コロナ関係の証明書類をデジタルで移す事が出来ないとならなかった。出発までに2~3時間ぐらいしか無い。

アプリはなんとかダウンロードができた。IDを使って登録していこうとするが何故かできない。ミスばかりで時間だけがどんどんと過ぎていく。フォーマットを記入していく欄にも辿り着けない。

娘ならばできるかと思って連絡をしてみた。なんとかLINEの電話が通じた。焦っている内容を説明した。娘に書類の写真を送るなどして、娘が書類を作っていってくれる事にして貰った。LINEやメールでいったり、来たりのやり取りをしてなんとか書類がカナダから受けて貰えた。

列に並んでカウンターに到着するまでが長かった。カウンターでまたはねられたら、もう娘とやり取りをして仕上げる時間はたぶん無い。

そうすると

チケットは貰えない。

カナダには行けない。

チケットを得る事ができた。

とても嬉しかった。

\(^^)/

もし、チケットが貰えなかったら航空代もカナダの放浪の全部が無くなってしまう。落胆が積もり積もってその期間の4ヶ月は失意のどん底をさまよう事になっただろう。

どん底から這い上がれなかったかもしれない。

チケットが貰えた。

荷物も手荷物1個と預け荷物2個も何回か振り分け作業をして超過料金も取られないで済んだ。

クライミングもだけれど、この頃はフォローで登る事が多くなってきた。今回の書類の申請では家族にフォローをして貰った。

カナダになんとか行けそうだ。

「まだ、行っていないので気を緩めないようにしないと。」と思っている最中にチケットを落として探しに戻った。

(´・・`)

チケットは通路に落ちていた。

(*^o^*)

ホントに崖の淵の淵を歩いている様だ。

スイスエアラインの食事はとても豪華だった。サンドイッチや飲み物も置いてある場所があって、自由にそれらを貰う事もできた。

動画は外国の映画が多かっがなんとか楽しめた。

#「Memoirs of a Geisha」

#「SAYURI」2005年

戦争の前後の頃の置屋の話で面白かった。桃井かおりや役所広司なども全員が英語のセリフで演技をしていた。発音もしっかりとしていた。子役の演技がとてもよかった。

あの頃の芸者は娼婦ではない。芸で身を立てていく者だと言う心意気が稽古や宴会などでの向き合い方からも伝わってきた。あの頃のお客も粋だった。混浴やミズアゲの場面からも花街のシキタリや文化を知る事の出来る映画だった。あの頃の日本の上層階級の人たちがつくりだしたワビ、サビ、イキの様な和の世界が残っている時代の話だ。

置屋の存在が社会的にも受け入れられているのが感じられた。

国が赤線を認めていて性に対する考えが緩い時代の話だ。

キリスト教などの西洋文化ではなく、日本の

#「稲作の文化」

が残っていて性に対する考えもかなり緩い時代の話だ。日本や世界が欧米化されていきつつも、まだ日本には稲作の文化が息づいていた頃の話だ。

昭和天皇と大正天皇は側室を持っていなかったらしいけれど、明治天皇は側室を5人持っていて、子どもが15人いたらしい。皇后からは子どもが出来なかったらしい。

一夫一妻制になって天皇も側室を設けなくなったらしい。男系か女系の問題はコレが原因で起こっての事だろうな。

一夫一妻を改め一夫多妻にするか、男系を継続して天皇家の自然消滅でもありとするなのかな?

芸者で頂点に立ち、置屋を引き続ぐ道を選んだ芸者

その芸者の友だちで競争相手でもある芸者の2人の後半の方の生き方の違いも考えさせられる映画だった。

置屋を継ぐのは大変。芸者からホステスになって、進駐軍を相手にしてアメリカンな軽い生き方をしていくのもまたアリだなと感じた。

オープンセットや衣装や大道具に小道具のどれもとても豪華で本物の様に感じた。とてもお金が掛けられている映画だった。

チューリッヒ空港に着いた。充電ができるし、WiFiも飛んでいるらしい。WiFiはスキャンしたり、電話番号を利用してコードを得る事が出来る様なんだが繋がらない。解らない。全く現代社会についていけてない。情けなさすぎる。

空港のイスは横になって問題もなく寝れる。トイレはキレイなんだけれど、ウォッシュレットでなかった。男性用のは少し高くてしにくかった。ドアやスイッチなども頑丈そうだった。TOTOではなかった。

ベトナムにはバレーボールを半分にした大きさでとても高い位置にある小便器があって驚いた事があった。

感動する一番のトイレはタイの下に豚がいるトイレ。トイレではないけれどインドでは朝にいつも犬が用を足すのを待ち構えていた。中国の道の駅の様な所では敷居が引く丸見えだった。側溝には水が流れていて、上の人のモノが流れてくるトイレだった。

ベンチは完全に横になって寝る事が出来る。ソファーなので快適だった。夜中には自分だけの世界になった。とても大きなフロアには誰も居ない。みんな何処にいるのだろう?不思議な静けさだ。夜中に警備のひとが見廻りに来たが普通に去っていった。

2022.05.31

晴れている。遠くにアルプス山脈が見える。切り立った山々に雪を抱いている。本場のアルプスは今でも夢の山々だ。パートナーが見つかれば登れるルートはたくさんある。グランドジョラス、アイガーはまだ夢の範囲かな?ソロでもまだ登れるルートはありそうだ。

空港での充電は出来る。WiFiにどうしても入れない。情けなくなる。

チケットに書いてある出発時刻に近づいても掲示板にゲート番号が表示されない。カウンターの人は1時間前に表示されるからまだ早すぎると言うが、その時刻を過ぎても表示がされない。フライトナンバーと行先のモントリオールをみるとチケットに記入されている時刻の11:50ではないが12:50にそのフライトナンバーがあった。出発時間が変更になったのかとファーストクラスのカウンターに確かめに行った。お前はエコノミーでココはファーストクラスのカウンターだと言う。でも、このフロアには他にスイス航空のカウンターが無いので、そこをなんとか調べてくれるように頼んだ。なんとか調べてくれた。出発時刻が変更された様だった。出発のゲート番号を教えてくれたけれど、ココはファーストクラスのカウンターなんだぞと言う雰囲気を感じる対応だった。

指示されたゲートに行くとカウンターはまだ開いていなかった。このゲートでなかったらカナダに行けなくなるのでドキドキしながら待った。時間になってゲートに行く。するともう入国審査も終えているのにチケットとETAのチェックがあった。コロナ以前はこんなにチェック、チェックばかりでなかった。世の中はコロナで大変な状態なのをとても感じた。

昨日でバンクーバーまでに行く旅の峠は越していると思うが頭脳も精神もクタクタになってきている。

なんとか飛行機に乗れた。

次は荷物を受け取って、イミグレーションを抜けて、荷物を預けて、搭乗する試練がまっている。後もう少しだ。

5月が終わる。

名張→静岡→横浜→ミズガキ→仙台。前半の名張とミズガキはパートナーにも恵まれて、身体が壊れてしまうと感じるほど楽しめた。

仙台ではパートナーがなかなか見つからないのと身体がギシギシしているので、のんびりと家族との関わりを多く持てた。

家族がマンションを買って引っ越したのも大きな出来事だった。

母が宮城に来れそうな雰囲気も出てきた。

大きなお金の動きありそうだ。「貯蓄」でもなく、「浪費」でもなく、「投機」でもなく、どの様に「投資」に向けるかだな。

そしてカナダ。

カナダはとても緊張していてイロイロと調べた積もりだったが、自分の英語とネットの能力の無さを痛感した。情報の集め方が未熟だった。

とても家族に助けられた。

静岡もだし、仙台もだけれど家族を考えた。

宗教や哲学では個人と社会を考える面が多いけれど、家族についてはあまり考えられていない様に思う。

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