橋の撤去で考えた男の小説。(クライミングジムによる山岳会の衰退)


これは月が2つある事を除けば地球とほとんど同じ世界の話。架空の世界での出来事

この世界も地球の月と同じ、満月の時の様に月は東の地平線から顔を出して、真夜中に天空高く輝いて、西の地平線に消えていく。満月の時は片方の月は見えない。

満月以外の時は月の見え方は地球と違う。今まで輝いていた月が西の地平線に姿を消すと、もう片方の月が東の地平線から見えだす。高みに立つと2つの月を同時にみる事が出来る。

そんな2つの月がある世界で高みを目指す男たちがいた。

高みに立つ為には危険が伴う。事故に合って命を落とす者もいた。

男がクライミングをし始めた頃に白伏山で事故があった。白伏山とは男の住む東北北ではアルパインクライミングが出来る大きな壁だ。その岩壁で落石に当たって命を落とした者がいた。男はその男と山照で何回か会っていた。山照とは遠北北地方で新しく開拓されたフリークライミングのエリアだ。男はその男とは別の山岳会「千代ロッククライミングクラブ」千代RCCに所属していた。男の所属してあたその山岳会はどちらかと言うと、アルパインよりもフリーに重きを置いていた。亡くなった男の山岳会「千代山岳会」はどちらかと言うとアルパインに重きを置いていた。

男はその後に、何年かしてその男の所属する千代山岳会にも入る事になるが、その事故のあった時は千代ロッククライミングクラブに所属していた。なのでその男の葬式等には男は参加していなかった。その亡くなった男の所属していた千代山岳会ではその亡くなった男の持ち物をオークションをしたり、その男のメモリアルプレートを白伏山の基部に設置したりしていたらしいが男はその辺の活動は良く知らなかった。

白伏に行く為には川を渡らなければならなかった。千代山岳会はメモリアルプレートと吊り橋を作った。男はその頃はまだ千代ロッククライミングクラブに所属していたのでその辺の経緯は良く知らなかった。

その橋はその後単管パイプやワイヤーで本格的に補強し始めた。その頃から男もその橋の補強に参加しだした。

そして、その男が亡くなって33年が過ぎた。

突然にその橋を撤去する話が持ち上がった。男はその時は千代山岳会に所属していた。男は余りに突然の事でビックリした。それは千台山岳会のの総会の時の事だった。4月のことだった。

そしてその橋は7月の三十三回忌の時に撤去された。

男は撤去するまでの過程に理解の出来ない事をたくさん感じた。その気持ちや考えを表明したくとも、表明する場さえも設けられなかった。男は釈然としなかった。モヤモヤした気持ちが積もるばかりだった。

男はこの釈然としない気持ちとクライミングの世界の変化を小説に表す事にした。

男は小説にすれば男の気ちを過大にも、過小にも、歪めて表現できると考えた。小説でフィクションである事にすれば、単なる誹謗中傷とは異なり、人格を疑われる事を意識せずにドンドンと過激に表現が出来るかもしれないと考えた。

男は言語化する事によって自分の考えを整理すると、ある程度は客観的に自分を見つめる事が出来るのを知っていた。また男はその釈然としない気持ちが落ち着いていった。

男は誹謗中傷を述べるのではなく、仮装の世界でこの橋の撤去で感じた二項対立を小説にしたかった。王道の立場と外道の立場の二項対立を2つの立場から小説にしたかった。しかし、どちらも同等に書き表すのはムズかった。男は外道の立場からの愚痴、愚痴、悪口を誇張して小説をかき出す事にした。

男は王道の立場からも取り入れて、外道と王道の考えを織り交ぜた小説にしたかった。線と線を織りなして面にしたかったが、とても複雜になるので諦めた。外道の立場だけの誹謗中傷の小説になってしまった。小説にも結局はならなかった。単なる愚痴の羅列になってしまった。

外道の立場を否定的に考える人たちにとっては外道の小説になるのでとても不愉快に感じる方もいるかと思う。

閲覧要注意ですネ。

月が2つある世界を表現した井上陽水の「青空ひとりきり」の歌がある。

月が1つしかない世界と月が2つある世界はパラレルワールドになっている。「青空ひとりきり」は外道クライマーの心情をとても良く現している歌だと男は感じていた。

自分と違う世界にいる人たちと会った時やソロで帰宅時に車中で良く聴く歌だ。

「ホテル・カリフォルニア」と共にクライマーの心情をとてもよく表現している歌だ。どちらも男がクライミングを始める前の学生の時に良く聴いていた歌だ。

「青空ひとりきり」が1975年、「ホテルカリフォルニア」が1976年に発売。

その頃にはもうフリークライミングにハマっている人たちがいた。

因みに、棒フレンズが出てきたのが1978年。

その頃は日本もヨセミテの洗礼を受けに行っていく者が出てきていた。職や大学を諦めて、窓拭き職人となり、お金を貯めてはヨセミテに出掛ける人たちが出てきた。

後に男の知り合いとなる龍仙洞を開拓した窓拭き職人も、その頃にヨセミテに出掛けていた。その窓拭き職人が男に話した。あの頃は写真でしか情報が得られなかった。写真て観るエル・キャピタンの大きさが現地に行って圧倒された、写真の中にある針葉樹の大きさからエル・キャピタンの大きさを判断した。対した事ないと感じて日本を立った。そのぐらい情報が少なかった。そしてエル・キャピタンが窓拭き職人の前にそびえ立った。エル・キャピタンの針葉樹が日本の針葉樹とは比べものにならない程の大きさだった。そしてエル・キャピタンも高々とそびえ立っていた。デカかった。登ってもデカかかった。と窓拭き職人は男に話した。

1987年にはジャパンカップが開催された。

楽しいことなら 何でもやりたい

笑える場所なら 何処へでもゆく

悲しい人とは 会いたくもない

涙の言葉で 濡れたくはない

青空 あの日の青空 ひとりきり


何かを大切にしていたいけど

身体でもないし 心でもない

きらめくような 想い出でもない

ましては我が身の 明日でもない

浮雲 ぽっかり 浮雲 ひとりきり


仲良しこよしは 何だかあやしい

夕焼け小焼けは それより淋しい

一人で見るのが はかない夢なら

二人で見るのは たいくつテレビ

星屑 夜空は星屑 ひとりきり


楽しいことなら 何でもやりたい

笑える場所なら 何処へでもゆく

悲しい人とは 会いたくもない

涙の言葉で 濡れたくはない

青空 あの日の青空 ひとりきり


因みに、映画で田中裕子がこの歌をバックに踊っている場面がある。

「ザ レイプ」1982年


愚痴、愚痴、悪口だけだと気分を害するだけなので、昔のクライミングの様子をこの様に所々に挟む事にした。


それでも愚痴なのは代わりない。不愉快になる内容になるので


閲覧 要注意


です。少しは事実に基づいている所もあるけれどコレはあくまでも男が感じた事実を題材に、捻じ曲げた月が2つある架空の世界の小説です。小説の中の男の人格は歪曲されています。その他の登場人物も事実上も誇張されています。実際の月が1つしかない世界での二項対立はそれほどの溝の深さはありません。


2024年に橋は撤去されてしまった。


何としても白伏山の橋を撤去に賛成の人たちに、明日の我が身よりも、高みを目指したい気持ちを伝えたかった。しかし、橋はその気持ちを伝える事も出来ず、橋の撤去を延長する事さえも出来なかった。法律と言う御印籠をかざされ、問答無用に橋は撤去された。ゲゲゲの下の外道は蜘蛛の糸の如く細くなってしまった。


なんで法律を破ってまで橋を掛けたのか、その橋を残したい意図を全く説明する事もなく、橋はこの世界から撤去されてしまった。

こんなにも突然に橋を撤去するのかの理由も聞けなかった。

なんで話し合いの場を持たなくてイイのかの理由も良く解らなかった。

更に、何も発言しない人がいたのは不思議でならなかった。


今までの失望感、無念をダラダラと男は書き出した。

文章を書きながら、こんな文章を書いている自分が嫌になってしまう。自分の人格が疑われるのも解る。こんな文章を書けば、書くほど更に人間関係を悪くするのも解る。だけれど、愚痴、愚痴、悪口を書き連ねる以外にこの気持ちを晴らす方法男は見つけらなかった。

愚痴を文章にしていくと、男は若干の心の平静が保てた。モヤモヤした気持ちが薄れていった。


白伏山の橋が撤去されてしまった事は男にはとても大きな出来事だった。

橋はもう撤去されてどうしようもない。

人間性が疑われようとも、人間関係が悪化しようとも、ゲゲゲの下の外道を歩いていた「足跡」を残したかった。男は白伏山との架け橋を小説にして残す事にした。男にとって白伏山の橋はあの時の青空の証であった。

夏も冬も橋を渡って白伏山に向かった。そして時には打ちのめされて意気消沈し、時には意気揚々と橋を戻った。橋は男の未来と現在と過去を繋ぐ橋でもあった。

橋の撤去はメモリアルプレートを外されるに等しい、それ以上であった。


可能ならば「王様の耳はロバの耳」の様に、何処かで、まだ外道の道を模索している人たちに共鳴して貰えるかの思いを込めて小説を書き始めた。まだ外道を歩もうとする人たちに、明日の我が身よりも高みを目指す生き方が共鳴し波紋していけばとは思った。

小説を書きながら男はクライミングが世間に浸透して、クライマーが多くなって、様々な問題が立ちはだかっているのも感じていた。

「我々はいかに石にかじりついていたか」どころか、「外道クライマー」の世界は小説の世界の中の事になってしまった。希有の事だから本になったのだと男は思った。橋の撤去と同様に外道は破滅して、過去の老害になってしまった。橋も外道ももう元には戻れない。


"Relax, " said the night man, "We are programmed to receive

You can check out any time you like, but you can never leave"


こんな批判だらけの文章を出したら、人格が疑われる。また怒られそうな気もする。また、「辞めろ」と言われそうな気がする。


もう、撤去された事なので、いまさら騒いでもどうしようもない。歴史は消えてしまった。「王道」には橋は過去の物で、負の遺産でしかないのかもしれない。しかし、「外道」には遺産どころか現役そのものだった。白伏山が崩壊するまで、白伏山が緑に覆われる様になっても、橋は現役でいられたのに、橋は無惨にも撤去されてしまった。


愚痴、愚痴の悪口

わかっちゃいるけれど止められない。


コレから更に悪口は加速する。そして繰り返し、繰り返しの愚痴、愚痴、悪口になる。

かなり自分の精神が歪んでいる。自分にはとても理解出来ない事だらけの出来事だった。


閲覧要注意


閲覧要注意


ここまで書いていても自己嫌悪になる。しかし、これは月が2つある仮装の世界の話。あくまで小説である。


以前に夏の遭難対策訓練の反省会の時に「10月のこんな山行に最適な時期でなく、もう少し訓練時期を考えてもイイかと思う」と言ったら、「会の運営に従えないなら辞めろ」と言われた事がある。反省会だから感想を述べただけなのに、他の山岳会の人たちもいる中で怒られた。50人ぐらいいる中で怒られた。その時の様にまた「辞めろ」と言われそうで怖い。でも、コレは男の空想がてんこ盛りのあくまでも月が2つある世界の歪曲された小説なので問題は無いだろう。


ココでソクラテスかプラトンが提唱した議論の方法を調べてみた。自己啓発で良く取り上げられる議論で心掛ける方法だ。

人を納得させるには「理論」だけではダメ。「人格」と「情熱」が大切らしい。


男の「理論」は法治国家なのに法律を無視したゲゲゲの下の外道的な理論だった。橋を作った頃のみんなは明日の我が身を顧みない、そんなゲゲゲの下の外道的な人たちが千代山岳会には多かった。明日の我が身を省みないゲゲゲの下の外道的なクライマーは今も何人かはいるが、千代山岳会ではゲゲゲの下の外道的なクライマーは今は少数派になっていた。王道的な倫理観を持った人たちが主流になってしまっていた。事を男はズーーとその変化を感じていた。実際に男と山行を共にする会員は少くなっていた。以前は土日や休日は連絡を取り合い、毎週の様にみんなが出掛けていたが、会員の山行報告も少くなっていた。
会の活動事態が少なくなっていると感じていた。その活動の衰退が今回の橋の撤去に繋がったのだと男は感じた。

そして、その少数派も多数派もこの橋の撤去により外道も、そして王道も消滅の道を歩む事になる事を男は感じた。


「情熱」は男の表現力が足りなく、「ごちゃごちゃ」としか理解して貰えなかつた。「和」を重んじる心が男には足りなかったのかもしれない。仲良しこよしの心が足りなかった。


仲良しこよしは 何だかあやしい

夕焼け小焼けは それより淋しい

一人で見るのが はかない夢なら

二人で見るのは たいくつテレビ

星屑 夜空は星屑 


男には「人格」が足りなかった。人望がなかった。この事を男は良く理解していた。なんか嫌われる人にはめちゃくちゃ男は嫌われていた。

男の「理論」も時代錯誤な所がある様だ

以下は

更にゲゲゲの下の外道の不満を具体的な場面で愚痴る。より、自分の人格が疑われるのは解るのだけれど、、、。

このままでは心の平静がまだまだ取り戻せない。

閲覧、要要要注意です。  

同じ内容の繰り返しになるので飽きてしまうかもしれないり

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 保身

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白伏の橋の撤去がされた時点でこの山岳会では、

撤去に賛成な人たちが3人、

そして2人がどちらにするかを悩んでいて、

1人が話し合いの必要性を訴えていた。

その他の人は無反応な様だった。

男はプレートに刻まれた様な高みを目指す人たちがこの山岳会では少数派になってしまった様でとても残念だった。

諸行無常

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草を刈る

兵どもの

夢 いずこ

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男には話し合いを持とうともしなかった人たちがほとんどだったのはとても残念だった。

何も意見を表明しない人も何人もいた。話し合いの場を反証なしに拒絶されたよりも不思議でならなかった。

橋の撤去に無関心ではなく、もしかしたら、橋が撤去される事さえも知らなかったのかもしれない。とも男は思った。

この山岳会として橋の撤去は法治国家における、民事、刑事に対する対応としてはとても正当な行動だったのかもしれない。安全第一の「保身」としての手段としては王道だったと思うが、「安全第一を突き詰める山岳会とは」どうなんだろう。コレからこの山岳会はどんな山行を目指すのだろう。

この山岳会が目指していた山行とはかけ離れた方向に舵をきった出来事になったと思う。

法律遵守、安全第一に引き金を引いてしまった事の様に思う。

今後、この山岳会に入ってくる人はいるのだろうか。入ってくるとしたらいったいどんな人が入ってくるのだろう。

男の考えとしては橋を撤去するのでは無く、橋の補修をイロイロな人たちに呼び掛けるのがイイと思った。幅広くイロイロな人たちに橋の補修わ手伝って貰う事を呼び掛ける。そうすれば橋を利用している人たちが手伝いに来てくれたと思う。橋が便利だと感じて利用している人たちは進んで補修を手伝いに来てくれたと思う。

可能ならば補修の前後にその人たちと宴会をしたり、白伏山を一緒に登ったりすれば、新しい風を会に吹き込めたかもしれなかった。

男はその事を伝えられなかった事がとても残念だ。

4月に総会があった。その時に突然に橋の撤去の案が出てきた。次回のザイル祭が会員の1人が白伏山で亡くなったその三十三回忌になる。それが撤去するのが理由らしい。とても古風な理由に感じた。

その総会の時には橋の撤去だけでなく、他の山岳会との組織的な事に関する議題も提出された。その議題は会長の判断に任せられた。シャンシャン総会の様に感じた。

総会の場は宴会の前の居酒屋で行われていた。

その後に「橋を譲り受けたい」と言ってきた方が出てきたのに、橋の撤去は話し合いの場を持つ事もなく撤去されてしまった。

橋の撤去の前にこの山岳会の集会も予定されていた様だが、その集会も会長の個人的な都合により延期でなく、中止になった。

橋の補修は今のこの山岳会の会員が入らない閉塞状況を打破するとても良い取り組みになったと男は思う。

橋の補修を通して、プレートに刻まれた文字を読んで、心を動かされて、この山岳会の門を叩く人が出て来たかもしれなかった。

なのに、ジリ貧への引き金を引いてしまった。会員を増やすとても有効な活動になったと思うのだけれど、橋の撤去に付いて話し合いの場を持つ意見は拒絶されてしまった。再度の話し合いを持つ事に対して、なんの反証もないまま足蹴りされてしまった。

「決定」との言葉が男の頭に響いた。

法律を軽んずる悪人たちはひれ伏すしかなかった。王道である法律遵守の御印籠は外道の夢をはかなく打ち砕いてしまった。

後の祭り。

このこぼしてしまった水の代償はとても大きいと思う。

このままトップダウンに頼り切ってしまっていてイイのだろうか。ボトムアップもも大切に感じる。

モンゴルも中国もオスマンも、ソ連もドイツも大日本帝国もアメリカも、ユダヤもキリストもイスラムも、偉い立場に立つ人たちは自分の考え方とは異なる考えを受け入れられなくなる。

橋を撤去してしまったこの山岳会は白伏山にはもう登らなくなった会である事を表明した様なものだと感じる。

会員が入ってこない状態になって久しいのに、遂に白伏山も登らなくなった会である烙印を自ら押してしまった。ジリ貧から抜け出せなくなってしまったと思う。後は1人、1人と会員数が減少していく未来になると男は感じた。

橋の撤去に反対しなかった人たちは、この山岳会の会員の入らない現状をどの様に考えているのだろう。

会員が入らない事による高齢化現象が、今回の橋の撤去になってしまった要因の1つだとも感じる。若さの至り

「人は学ぶのをやめた時から老いる。学び続ける者はみな、若いままだ。」ヘンリー・フォード。


高齢化になる前のこの山岳会は、法律を守る事にはそんなに重きを置いていなかった様に思う。

この山岳会とこの山岳会と共に山行する山形や関東の山岳会の人たちは法律も、世間の常識も、明日の我が身も考えていない人たちが多い様に感じていた。明日の我が身よりも、今を生きていた。

高みを目指していた。そんな人たちが集まる集団の様に感じていた。

類は類を呼んでか、山形からも関東からも高みを目指す人たちが集まって一緒に剣や明神に出掛けていた。山行に出かけると、いつもドンチャン騒ぎになっていた。

楽しいことなら 何でもやりたい

笑える場所なら 何処へでもゆく

悲しい人とは 会いたくもない

涙の言葉で 濡れたくはない

「割り勘」と言うルールがあった。あの頃はひとくちでも食べたら割り勘と言うルールがあった。それを知らない人がお寿司屋さんで寿司を一貫食べただけでも、手を付けたら割り勘になった。女子も割り勘だった。割り勘負けしない様にみんな呑んで、食べて、呑んだ。

雨の日はトンカツ屋さんで開店時からなだれ込んだ。お店の方に「あの様に眠りだした人までいます。もうそろそろお開きにされては」と言われた事もあった。お店でこの様な状態なので、駐車場での宴会はとても楽しい場面がたくさんあった。人間失格な事件が多々あったがなんとかみんな楽しい出来事として問題にもならないでスルーしていた。

とても不思議な人たちが常識とはかけ離れた不思議なルールを作り、高みを目指して切磋琢磨していた。

あの不思議な人たちは橋の撤去をどの様に言うのだろう。

特に、山形の電気屋さんの言葉を山形のアンダーグラウンドのお店で聞きたい。

山形のアンダーグラウンドのお店はどうなっているのだろう。車のキーを預ける時に、カラビナにキーを付けていると駐車台がタダになったらしい。あのトイレにある落書きはどうなっているのだろう。電気屋さんはあの落書きをえらく気に入っていた様だった。お店はムスメさんに交替したと言う噂を聞いて絶えて久しい。

「クライミングファースト」が普通だった。

クライミングをする為に、ギリギリのバランスを取りながら、ゲゲゲの下の外道の道を歩んでいる人たちがたくさんいた。

一般社会ではクライミングがとても危険なものの様に思われていた。あの頃はクライミングがオリンピックの競技になるなどとはとても考えられなかった。クライミングをする人たちはとても危険で、とても頭がイカれていて、働かないで山ばかり出掛けて行って、貧乏になって、窓拭きを仕事にしか出来ない人たちがするものとみられていた。

実際に谷川での事故が報道される時は、尋常では無い人たち、とても危険な行為、とても異常な精神の人たちが起こした事故の様に扱われていた。

クライミングはそんな感じで一般世間では受け止められていた。それでも敢えてクライミングにハマり込んでいく人たちがいた。そんな人たちは楽しい人たちが多かった。

あの頃はクライミングはお金も、時間も、人間としての評価をも犠牲にしてクライミングにハマった人たちがいた。王道ではなく、ゲゲゲの下の外道の道を歩んでいる人たちがいた

いつから安全第一になったのだろう。

たぶん、千台にクライミングジムが出来た頃からな様に思う。

今はお金があれば気軽にクライミングも出来る時代になった。

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自分が登攀をする前の頃の昔も昔の話。

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今はココヘリなどがあるけれど、消防署にはレスキューヘリもなく、救助の為のヘリコプターと言うと、自衛隊のヘリしか飛んでいなかった頃の話だ。

その頃の宮城県警の登攀技術が余りにお粗末過ぎたらしい。警察官にはハーネスを付けた事のない人たちばかりだったらしい。登山もした事かない人もいたらしい。

そんな現状なので、宮城県内の登攀をする山岳会が集まって、救助の為の互助会の様な会を結成した。お互いに事故があった時に助け合う事を目的にする会を立ち上げた。

夏と冬に1回ずつ交友を深めながら救助の訓練もした。訓練の前日や訓練後にイロイロな会の人たちと登攀もしてとても楽しかった。レスキューストレッチャーなどの装備も共同購入して、盛んに活動をしていた。


今の様に訓練の前日に登攀が禁止になる事などはあり得なかった。

週休二日が大手企業でボチボチと採用し始めた頃だ。
教員は半ドンに日曜日も部活動があった。日本人のほとんどがジャパニーズビジネスマンとして、時間や心までも仕事に捧げていた時代だ。

男の今は毎日が日曜日だ。60年間も自分の時間や楽しみを代償にして、男はようやっと、今、毎日が日曜日の生活が出来る様になった。

しかし、その毎日が日曜日の生活を謳歌出来ない。男は心ではまだ楽しめるが、体も頭も思うように動かなくなっているのを感じる。体力が有り余って、ラッセルも楽しかった。重いザックを軽々と背負って登山道を走り抜けていた。

精神も高みを目指す事が怖くなかった。あの頃は技術も知識もなかったが怖くもなかった。事故を起こして怪我もした。それでも何故か高みを目指したかった。しかし、今までの楽しみを我慢してようやっと掴んだ仕事を男は辞められなかった。家族もいた。クライミングに出会う前に、男は仕事も家族も掴んでいた。それらを捨てる事は出来なかった。

そして、男はお金がたくさん持っていないとクライミングは出来ないと感じていた。クライミングの能力が無い事も男は自覚していた。ただクライミングが好きだった。
鈴木英貴が渡米したのが1980年。鈴木英貴の様な生きた方は、男には遥か高みの世界の事だった。

なんで欧米人は老若男女を問わず、何ヶ月も何年も放浪が出来るのだろう。クライミングバムが出来るのだろう。男は時間は有るのだが、アメリカに住む事も、車を買う事も出来ない。英語での日常会話も出来ない。ようやっとクライミングでの意志の疎通がギリギリの英語力だ。

因みに、前日に山行禁止になった理由がとても驚く。前日に宴会をするので、事故が起きると酔っ払い状態で救助する事になる。その交通違反の様な理由が救助訓練の前日は山行禁止になった理由らしい。

なんとも王道的な理由だ。昔は連休の日は普通に登っては宴会、登っては宴会。帰り道も宴会。宴会だらけだった。向かい酒だと言って、ビールをプシューと開けてから行く人もいた。

電気屋さんは酒の1滴は血の1滴と言って、吐きそうになったのを口の中でこらえて、また呑み込んでいた。

自動車修理工は雨で宴会をしていた翌日の朝に、雨は止んでいたけれどテントの横の水溜りで泥酔して寝ていた。凄い体力だ。

高校教師はマヨネーズをソーセージにかけていた。反省してそのソーセージを摘んでマヨネーズを拭き取っていた。

役場の職員は会員証なる物を販売して、サイドビジネスに励んでいた。

宴会が凄かった。取っ組み合いなど普通にしていた。取っ組み合いをしたのに、それでも暫くするとパーティーを組んで登っていた。

クライマーが少なかった。東北で白伏山に取り付く人は100人はいなかったかもしれない。50人はいたかな。

登攀をするパートナーを探すのがとてもムズかった。ネットは無く電話しかなかった。役場を辞めてお金持ちになったガイドが魔法瓶ぐいの大きさの携帯電話を持って自慢していた頃よりも前の時代だ。ガイドに成る前の役場の職員か、登山店の店員さんをしていた頃だ。自分が千台山岳会に入るか、入る前の頃だ。その頃は時間と山行に合ったパートナーを探すのがとても大変だった。週休二日でもなかった。男は仕事も家族もギリギリで、パートナーを見つけてクライミングをしていた。

今はこんな人間性が疑われる文章を書いても、パートナーは頑張ればみつけられる。便利な時代だ。外国でもパートナーは見つかる。

ソロエイド、ソロイスト、パイレントパートナーなどをイロイロと男は試してみた。

お前は赤い友だちしかいないとかラストオブクライマーとか言われた事もあった。赤い友だちとはデバイスが何故か赤かった。ラストオブクライマーとはパートナーが見つけられない時に最後に連絡をしてみる人だった。

男の世界は青空ひとりきりが多かった。仕事と家族とクライミングを兼ねると歪みが必ず何処かに出ていた。あの頃は「青空ひとりきり」がテーマソングになっていた。インスボンでも赤い友だちと登っていた。冬の猿岩では赤い友だちに助けられたが、とんでもない事が起きて家族に迷惑を掛けてしまった。あの時はパンクもするし散々だった。今でも思い出すと、元気だったと感じる。

時代の流れなのだろう。千台にもクライミングジムができた。だれでもお金を払えば簡単にロープワークも身に付ける事が出来る様になった。

山岳会に入るとミーティングに出たり、山行訓練にも参加しないとならない。そんな面倒な事を嫌う若ものは山岳会に入らなくなった。そして山岳会の高齢化が進んだ。

この山岳会でも「山と渓谷」の雑誌に会員募集の広告を何回か出した事もあったが、なんの反応も無かった。広告代が会費から消えていくだけだった。

千台の老舗の登山店に会員募集のポスターを貼らせて貰った事もある。自分もこの山岳会の前に入っていた山岳会のポスターを自作して、お店にポスター貼らせてもらった。いい感じの冬と夏のポスターになった。

そのポスターを貼らさせて貰ったお店も大手チェーン店に負けて次々と閉店していった。この様なお店は買い物だけでなく、山の情報や交流の場にもなっていた。仙台のこの様な老舗の登山店はもう「ゆうゆう館」しか残っていない様に思う。

大手チェーン店もAmazonにお客を取られて大変らしい。お客はサイズを確かめるだけで、後はAmazonで買う人が多いらしい。Amazonはサイズを2品か3品を送って貰って、2品は返却するシステムにしたらイイと思う。

その宮城県の登攀をする会が集まって出来た互助会からまた1団体が脱会したらしい。

何処の山岳会もジリ貧なのかもしれない。時代なんだな。なんでバラバラのままでいるのだろう。「宮城県の登攀をする会がそれぞれが1つにまとまればイイ」と言った事があるけれど、何故か合体の案は否定された。それぞれの会にはそれぞれのシガラミがあるらしい。

男がクライミングをやり始めた時から「登攀を目指す人たちが集まって、合体しちゃえばイイのに!」と言っていたのだけれど、その案は取り上げられなかった。会にはそれぞれの歴史があるらしい。会の保身を選ぶ事が会の消滅を導く。会が合体すれば生きながらえたかもしれなかったが、会の保身を選んでしまった。会の歴史や尊厳を選んでしまった。

遂に、遂に、男の会で登攀をする人はとても少なくなってしまった。男は男の会の人たちとはほとんど外岩では会わなくなった。男の会で会う人たちと会うのはエスパルスか、遭難対策訓練だけになって、極々一部の人と外岩て会うだけになってしまった。男はこの会をジリ貧から抜け出すには橋の撤去ではなく、補修の作業を通しての会員の募集か、それぞれの登攀を目指す人たちでの合体しか無い様に感じていた。

白伏山の橋を撤去する理由の1つが、会員の高齢化で橋の管理が出来なくなる事でもあるらしい。

撤去するよりも管理する方が簡単なのに、何故か橋は撤去されてしまった。どう考えてもジリ貧、「保身」でしかないと男は感じた。


白伏山の橋の補強をイロイロな所に投げ掛けて、みんなで橋を補修して、みんなで渡っていれば怖くない。

赤信号もみんなで渡っていれば問題はない。

橋の事で刑事、民事で訴えられる事もあるかもしれないが、みんなで補修していれば、そんな事なんかははなんとかなる。

自分はもう片足を棺桶に片足も突っ込んでいる年代だ。訴えられたとしても、その時は朝露の如く消えているかもしれない。消えていなくても、ボケてしまって裁判にならないと思う。

白伏山を目指す後進に橋を残してあげたら、白伏山が森林になるまで残るかもしれない。森林になっても残るかもしれない。先達は自然保護法を無視しても橋を残す義務があると思う。

高みを目指す架け橋が「保身」により撤去されてしまった。

白伏山の橋を渡る時はいつもあの頃の青い空を思い出させてくれる。例えキビタキの池を見に行くだけでも、あの青い空が蘇る。その橋はもうなくなってしまった。あの水を掛け合いながら作った橋はなくなってしまった。

明神のワイヤーはどうなっているのだろ。

谷川の避難小屋はどうなっているのだろう。

自分は白伏山も明神も谷川へも行かなくなってしまった。

ジムのなかった頃の東北北の冬は、鎌倉と白伏山と猿岩でのプレートアブミの掛け替えの人工登攀が主だった。

丸森や大日のフリーに行く選択もあったが、冬は何故か、カジタのバイルとアイゼンでアブミの掛け替えをしていた。

自作のプレートアブミが擦り切れて何回も作り直した。4cm幅のプレートから2cm幅に替えたり、シュリンゲも丸いのから平なのに替えたりとイロイロと工夫をした。公園でプレートの間隔を調整するのも楽しかった。お互いにアブミを見せ合って切磋琢磨していた。

カジタのバイルに付けるリーシュもテープシュリンゲを利用して自作していた。暫くすると、市販のリーシュを使うようになった。アイゼンもヒモからワンタッチ式になった。

自作のアブミが完成形になった頃に、千台にもクライミングジムが出来た。冬でも千台でフリーが出来る様になった。あの頃はハードフリーと言っていたのが、普通にクライミングと言うとフリークライミングを指す様になった。

男はジムにも通う様になって、ようやっと大日のグレートテールが登れる様にもなった。

ジャングルジャングルが出来て、白伏山の取り付きに着くのも楽になる様になった。あの頃の白伏山に入る所に「グラミング」と言うカンバンがあった。

猿岩の公民館がダム建設によって閉鎖になった。

公民館の利用が出来た頃は、男は別の山岳会に所属していた。千台山岳会の人たちが公民館でドンチャン騒ぎしているのを少し離れた所で観察していた。その公民館も今はダム湖の底にある。

その後、冬の猿岩はダムが出来て行かなくなった。夏は懸垂してから登る様になった。

男の遠征も谷川から城ヶ崎や瑞牆に変わっていった。

谷川の出会いまで車で行けていた。ゴンドラも無かった。土合の駅ではクライマーが宴会をしていた。ビールケースをテントの側に置いていた。楽しいキセルの話も聞いた。駅の天井に隠れたとか言っていた。外道な人たちが駅の待合室で普通に宴会をしていた。冬は出会いの避難小屋でもツエルトを張って宴会をした。デブリの跡が怖くて引き返すか、迷いながらも突っ込んでいった。雪崩検査などは意味がなかった。デブリが目の前にゴロゴロと存在していてもテールリッジに向かって行った。明るくなる前にテールリッジに着く。知識はそれしかなかった。テールリッジを超す雪崩もあるらしい噂も後から聞いていた。実際に避難小屋の前のトイレはイロイロと考えて設置をしているのだろうけれど何回かなくなっていた。

中央ではアイスクライミングが主体になり、アブミの掛け替えは時代ハズレになっていった。バイルはストレートシャフトからカープのシャフトになり、コの字の持ち手になっていった。アイゼンはクラポンと言う代名詞に代わり、ヒモで結んでいたのが、ワンタッチになり、モノポイントにもなっていった。

丸森が開拓された頃に男は登攀を始めた。1985年。

学生の頃から渓流釣りを独学でしていたが、ロープワークが必要になる沢に入る様になった。今は無い東北北大の近くにあったサンライフと言う登山店に貼ってあったポスターの様なのを見つけて今とは別の山岳会に入った。

ロープワークを教わると、男は渓流釣りよりも直ぐに登攀にのめり込んでいった。

その会は壁紙張り職人の倉庫の2階で、月2回のミーティングをしていた。集まるのは5人くらいだったけれど熱い空間だった。不思議な時間と空間だった。

倉庫の2階には様々な登山道具がビッシリと壁にぶら下がっていた。鉄ビナもあった。「岩と雪」も全て揃っていた。

男はこの会で登攀の技術を身に付けた。ロープワークの土台を学んだ。

自動車修理工がその会に入ってきた。そしてその自動車修理工はパートナーが男しかいないので今の山岳会に移った。その頃のその会は男ともう1人ぐらいしか活動をしなくなっていた。ミーティングもしなくなっていた。

男はお世話になった会を離れる事も出来ずに、どちらの会にも入っていった。と言えば聞こえがイイが、二股を掛けていた。

その頃の千台山岳会は登攀をする者を集める求心力があった。

今の山岳会では登攀の技術もだけれど、山行への向かい方を学んだ。男はその会のドンチャン騒ぎから常識とは何かを考える様になった。男の常識が世間の常識とは異なっていった。しかし、仕事は辞められなかった。

男の所属していた2つの会は「岩と雪」と「クライミングジャーナル」の様な違いがあった。

それぞれの会で自分が身に付けてきた技術や精神は、今や時代遅れになってしまった。そしてどちらの雑誌も廃刊になっている。

お金があればガイドも雇えるし、講習会で技術も教えて貰える。ネットでパートナーも見つけられる。若い人たちにとっては山岳会に入るメリットよりも、デメリットの方が大きくなった。クライミングは初期の「ロック&スノー」の様な感じのクライミング環境になっていった。

今の「ロック&スノー」はコンペとボルダリングとクライミングといった感じだ。それもそれぞれがあまりにも吐出している。

雑誌はそれぞれの世相を良く現している感じがする。今はその雑誌もネットに代わっている。ネットもブログからティックトックと変化している。クライミングもスポートとトラッドに別れているし、ボルダリングもあるし、アイスもある。どれもこれも取り組もうとすると、どれもこらもお触りに留まってしまう。それぞれが吐出して、男にはとても手が届かなくなってしまっている。

青葉の情報は千台にはまだ届いていなかった。たぶん、青葉は開拓されていなかったか、開拓中だったのだろう。

その前は三崎や山寺を酒田の豪農が開拓をしていた。

三崎も山寺も大日も男のレベルでは取り付けなかった。それでも誘って貰うといそいそとついていった。ロープにぶら下がっているだけでも楽しかった。

大日ではその頃の男のレベルにはムズすぎた。ほとんどがシャンデリア辺りの日陰をトップロープでぶら下がっているだけだった。太陽の陽が指すグレードテールのある南面にはなかなか行けなかった。グレートテールはトップロープでもハングを越せなかった。

BCジューズからニンジャに変えても、相変わらず日陰でトップロープにぶら下がっている状態だった。フリーが寒くて出来なくなる冬になると、男はアブミの掛け替えのクライミングになった。

フリーはなかなか上達しなかった。春になると、いつも指力は振り出しに戻っていた。仙台にクライミングジムが出来るまではズーーとその状態が続いていた。

山形のベニバナ国体で作られた体育館の壁が羨ましかった。男は谷川の帰りの予備日に体育館の駐輪場にテントを張って、翌日にあのドラム缶を半分に切ったホールドのある壁で閉館になるまで遊んだ。それから仙台に戻った。

高みを目指す人たちの思考は同じなので、その体育館にいつものメンバーが集結していた。クライマーの世界がとても狭く感じた。

ベニバナ国体の壁は屋内にある。その後の宮城県国体はセントメリースキー場に作られた。

男は国体の在り方に対してもは「岳人」に投稿したり、宮城県山岳会連盟に異議を申し立てに行った。疑問や不平は言うものの誰も男と行動する者はいなかった。宮城県山岳連盟への申し立ても、雑誌への投稿も男1人だけだった。

その事は男にはとても不思議だった。人工壁をスキー場に作るよりも、体育館の壁を国体選手だけにしか使わせない事も、その国体選手は陸上選手から引っ張ってきた人たちなのも、その頃の国体の山岳競技の種目がクライミングとテント張りと歩荷の合計点数で計算されるののも、不思議な事ばかりだったが、何故か誰も何の反応もしなかった。

今は千台がとても遠く感じる。寧ろ、なんだか世界のが千台よりも狭く感じる。アメリカやカナダにいると千台にいる時よりもイロイロな人たちに声を掛けられる。何処で会ったのか思い出せないので、その時はとても申し訳なく思う。男はイロイロな人たちと外国で再開する。まるで、冬のかえりや、明神の帰りにベニバナ国体で会う様な感じで、海外のエリアで会う事がある。

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橋の撤去に話を戻して

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民事にしても、刑事にしても、そんな裁判沙汰を心配するよりも、橋があった方がズ〜〜〜と安心感がある。

橋があると事故が起きた時に適格な対処がし易くなる。橋があると無いでは登っている時の安心感が全く違う。

川の中を歩くと濡れるので白伏山がとても登りにくくなる。特に冬はとても大変だ。ゴミ袋を履いて渡れなくも無いが、面倒だ。名張の長靴の様に面倒だ。名張も遠くなるが登山道を作らなかったのは、自然保護法を考えての事なのかもしれない。

橋のない事による様々なリスクに比べれば民事、刑事などで訴えられる事などは大した事ではないと思う。

実際に33年間はなんの問題なかった。とても便利に使っていた。大勢の人たちが便利に使っていた。

白伏山の橋は

「白伏山を登る為のとても大切な架け橋」

「東北北での登攀の技術や精神を磨くとても大切な架け橋」

「イロイロな想いを込められた、イロイロな想いが刻まれた白伏山を結ぶとても大切な架け橋」

実際に事故が起きた時の搬出の時にはとても有効に活用したらしい。

自然保護法があるが、そんな法律はみんなが踏み付けて渡っていればなんとかなる。みんなで補修して、みんなで渡る様になれば呼びかければよかった。

このプレートに刻まれた文章を選んだ人からこの橋の撤去された事への気持ちをとても聞きたい。この橋を撤去する前に、このプレートに刻んだ思いをみんなに話して貰いたかった。

会員の中にはこのプレートが設置された経緯も、刻まれた文字も知らない人もいると思う。

撤去に賛成か反対かを悩んでいる人たちもいた。

なんの話し合いもなく、橋の撤去に賛成な人たちたけの考えで橋は撤去された。「決定」か実行されてしまった。

法律を守るのは「王道」なのは判るけれど、敢えて橋を作った「外道」の想いも解って欲しかった。こんなにも早急に撤去する理由がとても理解が出来なかった。

「ごちゃごちゃ」を説明する話し合いを通して、「ごちゃごちゃ」を理解して貰って、その後に撤去して欲しかった。

なんで「ごちゃごちゃ」と思うのか、白伏山の橋を撤去するのはこの山岳会にとって本当に「保身」なのか、白伏山の橋を撤去する前なら、この山岳会に会員が入ってくるイロイロな方策が練れたと思う。橋の撤去に賛成な人たちから、白伏山の橋を撤去してしまった後の、その後のこの山岳会に会員を増やしていく対策を聞きたかった。

「保身」は誰の為の保身なのだろう。

自分たちが登れなくなったとしても、後進に白伏山の橋を残す事によって、この山岳会の歴史はプレートと一緒に残っていったと思う。

後進の為に残さなければならない架け橋だった。

後進の育成も先達の役目だと思う。ガイドや講習会などの金銭関係では得られない何かが山岳会には有る。

金銭だけの関係だと法律などの倫理観も考えないとならない。王道との狭間を外道はギリギリに渡ってきた。山岳会の倫理観は高みを目指す事の様に感じる。

2人で観るたいくつテレビではない。先達と同輩と後進などの関係があるかもしれないが、下克上もあるし、高みを目指す切磋琢磨があった。

ある関東の山岳会では総会の時に山行のレベルを数値化して、年間の合計で神様とか、人間とか、虫けらとかに分類している様な噂も聞いた事がある。フリークライミングの山行点数はさほど高くはなかったらしい。おふざけでやっていたのだろうけれど、男は5.12を登ったら神様だなとその頃は思っていた。山寺の一番もトップロープでぶら下がっていた頃だ。登山チェーン店の店員さんが渡米して武者修行の後に5.12を登ってみんなの喝采を浴びたよりももっと昔の頃だ。凱旋、錦の旗を飾った店員さんは今も店員さんとして後進の面倒をみている様だ。橋の撤去に反対して欲しかった。

自分たちが先達から受け継いだ事を後進に伝える。それが歴史だと思う。

「保身」の為にその歴史の一部を敢えて自ら消してしまった。これからこの山岳会はどの様な歴史を創っていくのだうろ。

日本は法治国家だ。法律遵守の御印籠を出されたら、太刀打ち出来ない。お手上げだ。一刀両断でゲゲゲの下の外道になってしまう。クライマーは非常識でアウトロー的な人が昔は多かった。今もまだそんな外道を歩んでいる人たちがいる。高みを目指して悪戦苦闘している人たちがいる。右往左往している人たちがいる。そんな人たちの為に、会の為に、橋は残すべきだった。

自然保護法くらいの法律の無視は許して欲しかった。高みを目指したい、そのごちゃごちゃを理解して欲しかった。明日の我が身よりも、高みを目指した頃を思い出して欲しかった。

哲人政治よりも、右往左往する愚衆政治のが幅広く歩けて楽しい。トップダウンでは多様な仮説は立てられない。保身の為に話し合いの場を持たなかったのかと思える程の早急さで橋は撤去された。

極端だけれど草刈りやプレートの設置や残置ロープも自然保護法の違反になると言いたかった。この仮説に対する反証も聞けなかった。

「何もしないヤツはとやかく言うな」

何をしたら発言をしてはイイのかと悩んでしまう。発言権を持つには何をすればイイのか解らない。その発言権の規定も明確にされなかった。恫喝されると力の無い者は何も言えなくなってしまう。

男が考えを述べると、恫喝の様な対応をされる。とても怖くて萎縮してしまう。その周りのいる人たちも何も言わないので更に何も言えなくなってしまう。

会員ならば、何もしなくても発言権はあると思う。山行に行かなくても発言権は会員ならみんな持っていると思う。

男はこの山岳会の中では山行をしている方だとも思う。

千台にいない時が多くなったけれど、草刈りも参加が出来る時はしているし、橋を作る作業にも参加した。

いったい「何をしなかった」のかが解らない。

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議論とは論破する事ではない。

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議論の目的は二項対立を解消して同じ方向を目指す。一緒の方向を向く為の仮説を見つける事。最も説明力のある仮説を見つける事。

主張だけでは議論にならない。背景や目的を理解する事が必要。論理、根拠、論拠が必要。主張だけでは論理性が無いのでダメ。根拠を出さないとダメ。

そして、次にはその主張に対して反論をしていく。反論には反証が必要。

反論は論破するのではなく、正解を決めるのでもなく、より良い方向を導き出す最も説得力のある仮説を見つけ出していく事が大切。

成功確率の高そうな良い方向、そんな仮説をみんなで見つけていく。みんなが納得して判断していけるように論理的に考えた仮説を見つけていく。右往左往しながら、合意形成していく大切。トップダウンではボロが出てくる。ボトムアップが大切。

仮説が決まったら、実際に実行する。仮説を確かめながら更に合意形成していく事が大切。橋の撤去と言う手段が提示されて、議論もされずにこの会は橋を撤去してしまった。橋を撤去し、白伏山を登らなくなった会としての烙印を自らが押してしまった。

今回の橋の撤去は議論にはならなかった。撤去するか、しないかの手段だけを主張して、山岳会の目的をそれぞれが認識してから議論をしようとするそんな環境が作れなかったのかもしれない。

「ごちゃごちゃ言わんと」とか「何もしないヤツがとやかく言うな」の様なトップダウンだけで話が進められた。男には論理や根拠がしっかりと提示されなかった気がした。

目的や目標がズレていたのかもしれない。

撤去側は安全第一、

存続側は法律を無視しても登りたかった。

日本は法治国家なので、「河川法違反、自然公園法違反を解消しましょう!」と言う御印籠を突き付けられたら、もう土下座するしかない。

法治国家なのに高みを目指したくて、橋を作ってしまった者たちが至りなさ過ぎたのだろう。あの当時に橋を作った者たちも明日の我が身や和の心を考える様になっていったのだろう。

あの頃は谷川の入山届けでは登山届には会長の印が必要だった。印鑑を買って押印した。公文書偽造をしていた。それは公文書偽造だと言う人もあの頃は会長の印鑑を持っていると自慢していた。

冬の剣の入山禁止地区にも意思を持って入山していった。富山県警もそれを見越してヘリコプターでやって来た。スピーカーで注意を受ける条例違反もしたらしい。

明神の帰りの高速で移動しながらの宴会におけるマドからの、、、

などなど、など非常識な行為をする者たちが多数派だった。

橋を作るのは不法行為だとは知っていたのだろうけれど、若気の至りだった。あの頃の若気の至りは自然保護法の違反など大した事でもなかった。そんなハチャメチャな事をしていた。

時代は21世紀になり、元号も昭和、平成、令和と変化している。

あの頃は「冬の剣に入る奴らは世の中をなめている」とボソッとこぼしていた人は少数派だった。今は冬の剣に入る人は少数派と言うか、白伏山に行く人も少数派になっているのかもしれない。自分も何年も剣にも白伏山にも行っていない。

自分は橋の撤去に関する小説を書いている。自分は山岳会の中では困った存在なのかもしれない。昔は男の周りには困った人たちが普通にいた。

小説は二項対立における議論をテーマにしている。

議論には理論、情熱、人格が大切らしい。プラトンかソクラテスが提唱したらしい。

数学や物理をすると極端な思考を必要とする。男の理論も極端な所がある。わかっちゃいるけれど、止められない。

理論だけに拘ると、小さな事に拘ってセクト闘争が起こる。議論をするのは論破する事ではない。最適な仮説を見つける事だ。

議論は共通の目的を認識するのがムズい様に感じる事になる。結局は論破するか、されるか。人や社会を変えるよりは、自分が変わった方が楽だ。

たまに、社会の非常識だった事が常識をぶち壊す事がある。

アインシュタインは言う。

「自分の常識は他人の非常識。失敗したことがない人は、新しいことをしたことがない。」

橋の撤去は山岳会には法律的な飛び火はしなくなったかもしれない。しかし、山岳会の破滅へのトリガーを自ら引いてしまった事は会としてはとても重大な事だと思う。

小説の題名は「破滅を導いた王道」にするかな。

「撤去する側としない側の他にもう1つの大きな世界があった。その世界に撤去側も存続側も消滅させられた」

何かを大切にしていたいけど

身体でもないし 心でもない

きらめくような 想い出でもない

ましては明日の我が身でもない。

サブタイトルは「クライミングの大衆化による山岳会のオワコン」

議論を成り立たせる為には必要な事が2つある。

相手が受け入れる気持ちがあるか

相手が理解する能力があるか

論点から問題を設定して、もっともベストだと思われる仮説を立てて解決していく。

仮説思考について

自分の仮説を周りに伝える事が大切。自分だけで仮説を検証する必要はない、手伝って貰う事も大切。周りに呼び掛ける。仮説が間違っている事は多々ある。

今回の橋の撤去に置ける

何故、意見を言わないかの要因を考えてみた。

関心がない

意見を述べるまでの知識がない

批判されるのが怖い

和を重んじたい

個人崇拝している

男が嫌いで同調したくない

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以下は参考文
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2024/7/6(土)

5:30 西根の白伏山クライマー、◯さんから白伏山の橋管理を引き継ぎたいとの申し出がありましたので、下記の通りメッセージ送ります。                

◯橋は白伏山クライミングには欠かせませんので、ぜひとも維持していきたいところです。

会長にご提案いただければと思います。


5:33 ほう◯くんが😀


5:36 ほう。

╮⁠(⁠^⁠▽⁠^⁠)⁠╭


5:36 ほう◯くんはどうなったのだろう?

┐⁠(⁠ ⁠∵⁠ ⁠)⁠┌


5:36 自分は引き続きに賛成なんだけれど。


反対の方がいたら連絡下さい。


5:36 お疲れさまです。


今週水曜予定の集会ですが、◯さんのご都合により、以下ご確認いただくことで集会とさせていただきます。


5:36 

6月30日日曜日連絡会議ファーストエイド講習会(日赤の一時救命救急)が13:00から16:00まで、両平市民センター二階和室であります。自由参加です。

7月8日土曜日は、ザイル祭18:00からです。

◯橋解体作業は、土曜日13:00から行います。参加者は12:30まではトンネル口に集合願います。

9日日曜日は、登山道整備と◯君33回忌法要(いつも通りの内容)を行います。

ザイル祭1名参加費2000円その他は会費で補填します。

両日は、個人山行禁止です。◯橋解体は人手が入ります。参加よろしくお願いします。


5:36 なので、集会はございませんので、6/30およびザイル祭参加の方は◯さんまでご連絡お願いします。


5:36 ◯さん、この件はご存知ないのですかね(?)


5:36 ◯からお知らせして良いですか(?)


〈せっかくラインを提案して会の交流としてイイ感じに動いていたのに、ラインを突然に会としては無効なものと決まった事に対して、どの様に感じているのかな。


この様に考えを聴いて、それを流す。それを効率が悪く面倒な事に感じないのかな。〉


5:36 ◯さんからは下記の通り声掛けするそうです。◯もメンバーに入ります。                 管理してくれる有志の名前◯君が手伝そうです。◯さんや◯君などに声がけ予定。


5:36 白伏の話は先ずは新しい案が出てきたので、話し合いう事が大切だと思います。話し合わなければならないと思います。


私はこのラインで「◯さんに橋を譲る件に反対な方は連絡を下さい」と書いたのですが、誰からも反対の連絡は無かったので、てっきり、白伏の橋は存続されるのだと思っていました。


先ずは話し合いをすべきです。


出来れば、その話し合いの前にみんなが各自の考えをこのラインに書いて、事前にある程度の方向が見えているとイイかと思います。


その為にも、このラインの使い方の話し合いをしてもイイかと思います。


ラインは情報が漏れるとの事ですが、使い方によっては、今回の様にとても役に立つ連絡手段だと思います。


〈なんで誰もラインの運用に付いて、意見を出さないのだろう〉


5:36 ◯様、ご意見ありがとうございます。橋整備ボランティアメンバーに登録させていただきますので、帰国されましたら、冬シーズン前の橋メンテナンスと倒木切りのお手伝いお願いいたします。


5:36 日程を決めて発表してしまえばイイ。


5:36 なるべく参加する様に日程も開けやすい。


5:36 おはようございます。

橋を◯さんが中心として維持していく、というのは良い話だと思います。


ただ、◯さんや◯さんの古参クライマーが中心では、

数年後にまた同じ問題が起きないのか?と思います。


〈せめて1年伸ばして、イロイロと検討してから撤去して欲しかった。ホントに33回忌が話し合いもしないで、早急に撤去する理由なのかな。〉


◯くんも院生なので2、3年後には千台を離れる人です。

今、◯さんや◯くんの下の世代の地元アルパインクライマーいるのかな?

あの橋の真価は冬に使える、という事だと思うので、冬に白伏山登るクライマーはいかほど?


〈夏や冬に関係なく、実際に便利に使って、感謝されているのを、何でワザワザ撤去するのだろう。補修をしていけばイイと思う。撤去はそんなに大変な事なのかな。3時間で撤去が終る計画らしい。〉


メンテナンスなら有志少人数で維持できても、撤去となると人数が必要かと思いますのでどこかで決断が必要かと思います。

◯さんがそれでも頑張るというならいいのではないでしょうか。 


5:36 撤去しないと怒られるのかな?誰が誰に対して怒るのだろう。


訴訟を起こしても同仕様もなくなると思う。


5:36 もともと無許可設置の構築物です。

今までは何事もなく経過しましたが、万が一事故が発生した場合などは問題になる事も予想されます。

その場合、責任関係はどうなるか。

難しい問題が発生します。


5:36 あの橋があったことにより、怪我人(関東の某山岳会員)の救出がスムーズに出来たこともありましたが。


〈この方は王道から下道を当てた方と思っています。役場を辞めてガイドになる、富山県の条例を無視して、ヘリコプターの拡声器で注意を受けるなどなど、かなり外道的な武勇伝を耳にする方でした。この方は王道から道を外して、外道を当てて、更に外道から道を外して、王道に戻ってきた。一周したとても珍しい生きた方をした方なんだなとの認識をした。世の中には凄い人がいる〉


〈山形にも凄い人がいる。その方の今回の橋の撤去に関しての話も聞きたい。2人の座談会をアングラで持って欲しかった。入場料が取れるほどの座談会になると思う。アングラでは会場が狭いかな。〉

〈可能ならば2人には両極端の価値観がある。ガイドになった人生とガイドにならなかった人生の総括を棺桶に入る前に、ボケオヤジになる前に聞きたい〉


5:36 このグループには参加してない人も多いですよね


5:36 ◯さんも参加していないかも 


5:36 ◯さん参加してないです

橋の件、ご存知ないかと思います‥  


5:36 橋は今年に早急しなくて、もう少し詳しく話し合う時間を取った方がいいと思います。


ザイル祭は仙台にいないので、参加できません。


5:36 解体撤去作業は決定です。


橋が原因で事故等が起きた場合、設置者が誰だったのか。で、法的責任が問われる。簡単にあげます、下さい、ではないのね。

橋解体撤去は、設置者による現状復旧。

今の状態は千台山岳会が河川法違反で不法占用した状態、かつ自然公園法違反でも有るため、山岳会だけの設置と撤去です。


〈決定に対して反証をのべたのだから、その反証を示して欲しかった〉


〈法律をしっかりと調べたのかな。法学部の学生に少し意見を聞いたけれど、裁判になるともう少し複雑になるらしい。〉


◯さんも、

ややこしい話になりそうなら撤去してもらった方が良いかなと思います。

いったん元通りリセットした上で、新たにごく簡易的な橋を作るのもアリかな~


と仰ってます。


5:36 橋の必要、不必要の話は現状復旧したあとでの事ですね。


5:36 設置者にもイロイロな意見がある様に思うのだけれど。


設置者は山岳会以外とにもいたと思うのだけれど。


新しい案が出たのに話し合いもしないで解体すると言う事なのかな。


今まで何十年も使っていて、

解体の議案が突然に4月に突然に出て、

その日に決まって、

その後、新しい案も出てきた。


それならもう少し時間を取って話し合ってもイイかなと思うのだけれど、


何故そんなに急ぐのかな。


ややっこしなら、その辺をしっかりと調べもしないのはどうなのかな。


決定でいいのだろうか。


5:36 新しい案、っていうけど、◯さんと話しましたら、軽い気持ちで言ったってことです。

管理引き継ぐってことは、責任も引き継ぐってことになり、面倒事には巻き込まれたくないから復旧賛成と。

橋が元で事故が起きたら、もしかすると罰せられる可能性あるのは、不法占拠してる山岳会(代表)。

で、33回忌が終わったら元の目的が達せられるのだから、解体するなら今が潮時。

もし設置者が解体する話になるなら、あと10年も経ったらみんな高齢になっちゃってしんどいってことかな?


〈山岳会

でなく、

山岳会(代表)

とワザワザ表現したのだろう〉


〈あと、せめて1年後になんで伸ばせないのだろう〉


5:36 軽い気持ちでの意見をドンドンと出して話し合う事が大切だと思います。

間違った意見でもイロイロな考えを出し合って、気軽にイロイロと先ずは話し合う事が大切だと思います。まだみんなの意見が出され始めたばかりだと思います。

まだ、このグループに参加していない人も多いので、この新しい案も知らない人もいると思います。

このグループに参加してても、今迄の橋の状況が情報が足りなかったり、整理できていなかったりしているために意見を出せない人もいると感じます。


もう少し時間を掛けて、「ちゃんとした話し合う場」がとても欲しいです。


まだ 


決定


しないで欲しいです。


橋を作る時に橋を33回忌になったら撤去する事は話になかったと思います。橋を作る目的は33回忌などの法要の為だけではなかった様に認識していました。寧ろ、白伏に行くのに役に立つと思って、橋の制作に携わった人が多かった様な気もします。


不法占拠の認識はなく、ひたすら白伏山に登りたかったのだと思います。

不法な事は判っていたとは思います。占拠の認識はなかったと思います。

共有かな。 


4月に突然に橋の撤去の話が出てきたし、橋を作る事になったイロイロな事情を知らない会員も多いし、その辺のイロイロな情報をまだ集めて、整理していないし、ちゃんとした話し合いも1回しかしていないし、議案が提出されて、ものの1時間もしないで


決定


して宴会に突入、そんな、こんなを考えると


決定


にしてしまうのは、どうなんでしょう。

新しい案が出てきた事なので、もう一度、イロイロと情報を集めて、整理して、ちゃんとした話いの場を持ってもいいんじゃないと思います。


なんでそんなに突然に撤去しなければならないのだろう。今まではズ〜〜〜とズ〜〜〜役に立っていたし、コレからもまだまだ白伏と外界を結ぶ大切な架け橋でいて欲しいのに、なんで突然に撤去しなければならないのだろう。


山岳会(会長)

とあるけれど、山岳会以外にも手伝ってくれた人たちもいたと思うんだけれど。橋を作った時に会員であって、他県に移動して、白伏山に登りにくる人もいると思うのだけれど。事情があって、総会に参加できなかった会員もいる。

よく、よく、よく、よく考えた事なのかもしれないけれど、


決定


は突然に感じます。


クライミングファーストだと捕まるのかな。お金を取られるのかな。今の時代は安全第一が最々優先なのかな。

「我々はいかに石にかじりついてきたか」

「外道クライマー」

の世界には自分は入れなかったけれど、まるっきりの遥か遠くの別世界でもなかった気がします。まだこんなクライミングの世界をしている人たちもいると思います。

まだ読んでいない方がいたら、是非、読んでみて下さい。即発されて、橋の撤去に付いてちゃんとした話し合う場を持ってもいいかなとの考えになると思います。


因みに、映画だと「ワンオンワイヤー」こんな綱渡りの人生は自分にはムリだけれど同調してしまう。


今も、実際に橋を残してもいいんじゃないと思う人たちもいる。そんな人たちがもしかしたら橋の撤去の問題を聞き伝えで増えていって、そんな人たちの中には山岳会の会員になりたいとドアをたたいてくる人も出てくるかも。


白伏山の山岳会の設置したプレートに刻まれた言葉に触発されて山岳会に入りたいと思う人が増えるかも。もしかしたら、橋の補修はとてもイイ会員募集になるかもしれない。


解体するのではなく、代表も作らないで、みんなで橋を補修をして、みんなで橋を渡って、黒伏を登って、プレートの言葉を心に刻む方が仏さまも喜ぶんじゃない。極楽浄土からみんなを見守ってくれると思う。


37回忌、43回忌もあるし。50回忌もあるらしい。

まだ、まだ、まだしんどくない人のが多いんじゃない。


しんどいなと感じる、その頃には時効がやってくるんじゃない。


勝手に登山道を整備してイイのかな。木を伐採した時の時効は何年なんだろう。


自分はもう棺桶に片足を突っ込んでいる高齢者なので、これからの白伏を目指す元気な人たちの為にも、面倒事に巻き込まれてもイイかなと思います。


石橋をたたきすぎて壊してしまって渡らないよりも、吊り橋を恐る恐る渡った方が楽しい。渡れなくて落ちる事あるかもしれない事は確かだけれど、


明日の我が身よりも、今でしょう。


浮雲 ポッカリ 浮雲

星屑 夜空は 星屑

青空 あの日の 青空


そんな人たちが集まって踏み固められていくと、外道もまた道になる。そんな外道を模索する人たちもいられる集まり。プレートに刻まれた言葉からはそんな高みが感じられる。


まだまだまだキビタキの池で冬キャンプぐらいはしたいです。


決定


でなく、撤去になっても仕方ないけれど、せめて来年までイロイロと話し合う場を設ける提案をする人が出て欲しい。


5:36 今後、◯さんの意向に沿って対応していきたいと思いますが、多分、白伏利用者有志だ作り直すことになるかと思います。


5:36 先ずはちゃんとした話し合いの場を持ってもいければイイなと思います。


5:38 このお話は代表にはしてる?


5:38 ◯さんは、必要な人が撤去も簡単な簡易的なのを作れば良い

と言ってるから、古いのは撤去して良いと思う。


5:38 自分には自分の意見が◯さんへ届いているのかは解りません。


簡単なのだと寧ろ事故の起こる確率が高くなるんじゃないかな。



この様に意見が出てくる事がとても大切だと思います。


5:38 直接◯氏へお話しください。


5:38 何もしない奴がとやかく言うな!ってお怒りですね。


〈「お怒り」と言うお言葉がなんかとてもこの会の今を現している様に感じます。〉


5:38 みんなで意見を出し合うのは大切だと思うのだけれど。急に出てきた案でしようとしても出来ないのです。意見を言うのぐらいは許して欲しい。


5:38 と言ってください。


5:38 言ってみたいけれど、、、、、。出来ない。

ごめんなさい。


5:38 誰が言ってもお怒りだから、大丈夫では?

メールだと面倒だから、電話とかおうちへ行って直接。 


〈会なのだから、一対一で御殿様に直訴をしてなんとかして戴く様なものではないと思う。会なのだから、会議の中でみんなで意見を出して、話し合う事が大切だと思う〉


5:38 小生は今回をけじめに一回橋を撤去する方向に賛成です


〈「けじめ」か、、、〉


5:38 イイですね。この様に意見を出し合うのが大切だと思います。


何かをするとか、しないではなく、誰でも発言してイイと思います。


5:38 ごちゃごちゃ言わんと、河川法違反、自然公園法違反を解消しましょう!


5:38 そうですね。違法ですね。みんなに不愉快な思いをさせてしまってすみませんでした。


5:38 意見はどんどんあって良いよ。後の橋作りは◯君と頑張ります。


5:38 了解です。千台に戻るまでイロイロと考えてみます。


5:38 了解です。


明日会員に、対岸梯子解体は、ハーネス、ヘルメット、下降器必要です。ロープ垂らすので、ミュールオーバーハンドで仮固定することがあります。安全第一。皆さんに伝えて下さい。


5:38 ◯さんからです。


明日の解体作業参加される方はご用意ください


5:38 よろしくお願いします❗


5:38 了解しましたありがとうございます。


5:38 あー、このラインいま読んだ。


ハーネス、メット、不携帯で向かっています。

また、明日は◯家・◯家の合同行事のため、早朝に◯家に向かう事なりました。

すみません。


5:38 飲み会で❤️

5:38 あい🥰

5:38 今読みました。

が…

積みっぱなしなので問題なしです。


5:38 トンネル入口集合です


5:41 ご無沙汰です。

白伏山の橋を引き受けてくれる話を◯さんから知りました。その後、どうなりましたか?


是非、あの橋を存続させて頂けると助かりますので、手伝える事があれば連絡ください。


5:41お久しぶりです。


◯さんが千台山岳会の会長に話をしてみることになっており、まだ確定ではないです。


◯橋には大変お世話になっているので、何とか存続させたいところですよね!


5:42 ですね。自分も何とか存続させたいです。何か役に立てる事があれば連絡をして下さい。  


5:42 イロイロと意見を出してみたのですが、、、。

橋は今週末に撤去の方向に向うらしいです。

とても残念です。


5:42 まあ仕方ないですね。


一旦白紙に戻した方が良いようです。 


5:43 とても残念ですが、その様ですネ。


6:36 ごちゃごちゃ言わんと 


〈河川法違反、自然公園法違反を出されたら同仕様もない。日本は放置国家なので正に一刀両断。「王道」に叶う訳が無い。その法律を破ってまでも、橋を作って登りたかった。そして、今まで登っていた「外道」の気持ちを解って欲しくてごちゃごちゃ言った。その辺の事情も知らない人たちもいると思って、その辺を知ってくれたら、外道の気持ちも理解して、話し合いをしてもイイかなと言う気持ちになってくれるかと思ってごちゃごちゃと言った。それを

天下の王道で一刀両断。外道の気持ちは法律に従って打ち砕かれてしまった。

橋の撤去に賛成か反対かを揺れ動いている人たちもいたと思うのだけれど、天下の王道で木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。

 

「何もしない奴がとやかく言うな」も然り、話し合いの土壌が貧弱な気がする。

何もしなくても言ってもイイ。何をしたら発言権があるのだろう。山岳の会なので、自分は山には行っている方だと思う。白伏山も何回かは登っている。

橋の撤去に賛成の方はどのくらい白伏山に登っているのだろう。あの外界とかけ離れた高みの世界をどのくらい知っているのだろう。

次に引き継ぐ者たちにあの架け橋は法律を破っても残したい。


安全第一で講習会をしている。この橋も安全第一の一翼を担っていると思う。事故が起きた時に、チロリを設置するのはとても大変だ。この橋が有ると無いとでは生命の有無にも関わる。多少の法律を破ってもイイじゃない。〉




したので、それを充当したいと思います。

よって会員は基本無料です。

7日日曜日のみ参加の会員は

8:00にトンネル口へ集合して下さい。鎌持参で。

なお、橋は撤去されていますので、長靴又は沢靴又は裸足で徒渉となります。


6月30日、連絡会議総会で議決されたこと。

連絡会議に個人での加入が出来ることとなりました。

基金の返却については、

基金部分のみ(40000円)各加盟山岳会に返却となりました。

アルペンクラブ25jiは、脱退しました。会は解散するそうです。

以上    


〈会費までも宴会の会費を取ったり、取らなかったりとトップダウンで決めて良いのだろうか。〉


〈なんでこんな文章を書くのか。

言語化するとごちゃごちゃした事がまとまってスッキリしてくる。反応が鈍いので、直ぐに言葉が出て来ない。考えが1時間ぐらいしてから浮かんでくる。なおさら大勢の中だと意見を言うのに緊張してしまう小心者だ。ましてや、恫喝を掛けられたとなると頭がパニックになって何も言えなくなってしまう。〉

 

〈テントの購入の議題がでた。トップダウンで買いましたではなく、意見を集めるのはとても良い事だと思う。そのためにもラインはとてもイイ道具だと思う。ラインの運用の仕方に付いて話し合いを持って欲しい。

今までのイロイロな経緯を考えると自分からは言い出せない。〉 


クライミングガイドで稼ぐのはカナダでもムズいらしい。


自分の会にはガイドの様な事をしている人が何人かいるけれど、生計を経てられているのは自分の知っている日本人では1人だけに思う。シンガポール人はロープワークだけでなく、クライミング能力も凄い。アメリカのガイドは5.12は普通に登れないとクライミングガイドの資格は取れない様だ。

日本の救助の資格はロープワークの知識さえあればイイらしい。クライミング能力がなければ、事故現場にも行けないと思う。


今はヘリコプターもある。山岳会に入ると遭難対策訓練で山行禁止になる。その辺も山岳会に入る人が少くなっている原因に感じる。

クライミング能力はあるのだけれど、危険なトップロープのアンカーで遊んでいるのを時々見かける。クライミングが出来ると、ロープワークも出来ると思う様になって死まう人もいる様だ。

自分はどちらも出来なくなって来ている。ボケが怖い。


山形の電気屋さんは「俺はガイドにはならない」と言っていたな。


自分もガイドを雇って登るのも、お金を貰ってガイドとして登るのも楽しくない様に感じる。


パートナーとの関係のがお金が関わらないので楽しい。お金が絡むと同等でなくなる。




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ザイル祭の時に山岳会のルールについて疑問を感じて質問をしたら、そのルールはあまり話し合われないで作られた様なので、可能ならば今度の集会で話し合われればと思いココに会則で疑問に感じていた事を上げさして貰います。


(集会に参加して議題に上げて話せばればイイのですが、今は仙台から離れているので今度の集会には参加出来ません。)


この事は単に自分が疑問に思った事なので、現状のルールのままでで問題がないのであれば話し合われなくても構いません。


ただし、あの時のトンネルでの話だと最終下山連絡時刻が19:00になりそうなので、集会に参加しないのですが、それではかなり山行がしにくく、また、新しい会員が入らなくなりそうだと思ったので、


ここで自分の感じている事を上げさして貰います。


おおざっぱに言えば、

ゲレンデとそうでない山行の違いやその他のごちゃごちゃした事をワザワザ規会則にしなくともイイかなと言う感じです。


会則にするなら、総会で議題として上げて話し合うのがイイと思います。


①細かい所は会則にしないで、集会やネットでアレやコレや話し合いをしながら思考錯誤していけばイイと思います。


会則にするのならば


総会で議事を提出して、

司会や記録を決めて、


イロイロな意見が吸い上げられる様な雰囲気が大切だと思います。


記録の方は大変だけれど、可能ならば話し合いの内容をその時に簡単にまとめて、ネットにその内容を載せられる様に確認するとイイかと思います。


②自分は個人情報を考慮すればLINEを利用するのもありかと思います。


(自分はLINEもFacebookもメールもスキルのある人にはセキュリティ保護に対してはあまり大差はないかと思います。)


(個人情報を載せなければLINEを使用するのはアリだと思います。)


因みに、山行計画も報告もLINEの方が読まれたかどうかの判断が直ぐに出来るので便利だと思います。

また、山行を1人で管理するより多数で確認した方が安全でもあると思います。


ただし、有事判断時刻が近づいてきた時の対処として、概読した者がどの様に確認し合うかのシステムは考える必要があると思います。


③次に有事判断時刻に対しての考えです。


語句も有事判断時刻のが最終下山時刻よりもその内容がハッキリとイメージ出来るかなとも思います。


そして、有事判断が起きる事は滅多に無い事に感じます。


なので、有事判断時刻は計画を出す時に良く考える必要があると思います。


普段の山行での有事判断時刻は22時?か朝の10時?でイイかなと思います。

なのでその時刻を会則にして決める必要は無いと思います。


あくまでも普段の山行での有事判断時刻です。


その時刻がイイ理由としては普通の人が寝る前なので、時間に追われていない比較的にのんびりと確認が出来る時間帯だからです。寝る前にアイツは下山したかなと余り時間を気にしないでネットを開ける最終の時間が21時頃だからです。


21時になっても下山報告がされていなければ、ちょっとヤバイかもと連絡し合えて、どうするかを相談する事も出来ると思います。


また、有事判断時刻が19時前だと概読した者は働いているなどしていて、その時間が気になってしまうと思います。

その時刻を確認するのを忘れてしまったと言う事もあったらしい話も聞きました。


また、有事は可能な限りは自分で対処できる様に時間に余裕を持って考える事が大切だと思います。

有事判断時刻と下山時刻との間隔が狭いと、その時間が気になって、更なる事故を誘発してしまうかもしれません。ましてや、完全な安全圏に着いていないのに、時間が差し迫ってきたからと下山報告をしてしまうのはダメだと思います。


有事が起きてもできる限り自分で対処する事も大切だと思います。


下山時刻の最後にロープなどがスタックすれば3時間ぐらいは掛かるかと思います。


その人の力量や山にも寄りますが、日帰りなのだけれどギリギリの計画の時はビバークをする事も想定して有事判断時刻を決める事も大切かと思います。


ただし、冬季の装備がしっかりとしていない中でのビバークはかなり危険ですネ。かと言って過剰装備も問題だとも思います。


例えば、


仙人沢では安全圏に辿り着くのは少し頑張ると19時過ぎになってしまう事がありました。その時に最終のロープの回収でスタックしたりすると安全圏に着くのが22時になってしまうかもしれません。仙人沢の様な山行では、元気ならばビバークはしないで下山した方が安全な事もあるかと思います。

そんな山行もみんなに心配を掛けるとは思いますが、あくまでも有事が起きた時の事なので滅多にない事なのでたまには22:00以降も有りかと思います。




有事判断時刻に直ぐに救助に行く必要は無いし、救助をされないと思って計画を出すべきだと思います。





有事判断時刻が何時だろうと


「2次遭難」


は引き起こさない事が大前提になります。



次の日からの救助になるにしても、次の日の10:00に判断してから、救助の計画を建てるよりは時間的な空白は短くなるのは確実です。


その様な山行は特にですが、山行計画は当日でなくなるべく前々日には提出する事も大切かと思います。

そうすればイロイロなアドバイスが得られて、より安全な計画になるかと思います。


それらを考慮して山行計画を出せばイイかと思うので有事判断時刻を何時以降はダメだとは決めなくてイイと思います。


現在の様に、一人で山行の計画を取りまとめして、その山行を把握するのではなく、みんなでそれらを分担する事が必要だと思います。


より山行計画を出しやすい会則にすれば、入会者も入ってくるかと思います。


ボルダーラーは夏の暑い時は夜7から登る世の中です。


④次に山行領域についてです。

山行はその人の力量に寄るので、里山とかフリーとかアルパインとかに分別しなくてイイかと思います。


論議が起きるかと思いますが山行計画を出さなくともイイ領域もあるかと思います。


また、


山行ルートを1つに必ずしも決めないで複数ルートの余地のある計画もありかと思います。


里山に行くのに毎回の様に計画を出すのも大変だし、出される方も大変です。


複数ルートの案については現地での天候やルートの状況判断も大切かと思います。多少は臨機応変に変更出来る計画もありかと思います。


特に山スキーの時は現地の雪の状態を見てどの尾根に入るのかを判断をします。

その時は車にそのメモを残せばどちらに行ったのかの判断をして対処できるかと思います。


また、青葉や三崎などは山行計画は提出しなくてイイと思います。

そこで有事が起きた時は自分らや消防119番で対処が出来るからです。


山行計画を提出しないで事故を起こした時は除名になるらしいですが、


除名にするかどうか


はその内容のを総会で判断して決めるのがイイと思います。


無届け山行は直ぐに除名


の会則は和らげた方がイイと思います。


保険に入っているのだから、無届けでも保険の請求の手続きは出来る様にしてもイイかと思います。


⑤次はその保険にも関係する事ですがパートナーについてです。


パートナーが山岳保険に入っていなくとも山行してもイイかと思います。


パートナーが保険に入っていないと請求した金額が全部は降りないとの理由だけからだけなら、自己責任で無保険とのパートナーと行ってもイイ様に感じます。


イロイロと自分の思いついた事を羅烈しましたが、イロイロな意見をみんなで話し合う事が大切だと思います。


早急に決定しなければならない時もあるかと思います。しかし、問題になりそうな山行の時はなるべく計画を早めに提出する事により、イロイロな意見を取り入れられる様にするとか、


有事の際は2次遭難を起こさない事が大前提であり、救助に行けない事もある事をしっかりと認識するのが大切だと思います。


考え方が違うからと除名したり、脱退したりするのではなく、みんなで高みを目指せる会を作っていくように話し合いをしていければと思い


自分勝手な考えをダラダラと書いてしまいました。


最後まで読んで頂きありがとうございます。


白伏山に千台山岳会が設置したプレートがあります。

あそこに刻まれた言葉の様な山行は自分には出来ませんが、それに心を傾ける者が入ってきたくなる会になればと思い書かせて貰いました。



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今回はもう、撤去されてしまったので、こんな小説とも言えない様な愚痴を書いたら、余計に事をごちゃごちゃにするだけの事は判る。


世の中はそんなに簡単に変化しない

何で、明日の我が身を大切にする様、安全第一を優先する様になってしまったのだろう。片足を棺桶に入れている人が何んで保身をするのだろう。余生を楽しめばイイのに。


法律を出されたら、従うしかない。


白伏山に法律を無視しても登りたかった。その為に橋を作った。

まだまだ白伏山に登りたい。


橋を何で今さら撤去するのだろう。30年も何事も無かったのに、何で今さら保身を考えるのだろう。


なんで話し合いもしないで、突然に撤去するのだろう。


なんでそんなに急ぐのだろう。


法律遵守、安全第一も解るけれど、

高みを目指して、石にしがみついて、かじりつく気持ち

が解らないのだろう。


明日の我が身よりも、何かを大切にしたくてあの橋を渡った。あの橋を撤去する事は、何事も無かった事にするに等しいと思う。あとに続く者たちに、高みを目指す架け橋を残してあげたい。

30年も続けてこれたのに、そんな起こるか起こらないか解らない事を心配して保身をしないで、あとに続く者たちに高みを目指す架け橋を残してあげたい。


山岳会の名前を刻んであるプレート、あのプレートに刻んである文字にどの様な思いが託されているのか、橋の作られた経緯も知らない人も多い。自分も良く知らない。もう一度あの時の事をみんなで共有する事が大切だと思う。


橋の撤去に賛成が3人かな、決めかねている人が3人かな、反対の人が3人かな。賛成と反対人数の把握もしっかりとされていない。無反応の人もいる。


自然保護を大切にするならば、なんで林道やダムを建設するのだろう。土建会社の利権の為の林道やダムが傍若無人に作られている感じを受ける。お気に入りの滝壺が治山ダムで失くなった。宮城県には治山ダムの無い河川は無い様に思う。

国がする事を鵜呑みにするのはどうなのだろう。


法律を盾にして、ごちゃごちゃ言う事を非難されたら同仕様もない。何故、法律を犯してまで橋を設置したかを知って、考えて、それから撤去して欲しかった。今回は撤去するのではなく、幅広く整備への声掛けをして欲しかった。整備への取り組みを見て、会員が増える最後の機会だったのかもしれない。その機会も失くなってしまった。橋をワザワザ撤去した理由を知って、果たしてこの会に入ろうとする人がいるのだろうか。

どの様にこのジリ貧を解消するかを考える必要がある様に思う。


安全面でも黒伏は事故が起き時に危険になった。チロリアンを張る練習も大切かと思うけれど、この橋があると無いとでは救助に対しても困難さが増した。撤去に賛成の人たちは黒伏をどの様な対象と考えているのかも良く分からない。


ザイル祭の会費は会費制だったのが、話し合いもされずに会の会計から出費する事になったらしい。

コレからどのくらいこの体制が続くのだろう。以前はチーフリーダーと言う役職があった。ただ登れば良いだけの役職だった。なんでこんな役職があるのか不思議だったが、この役職によってクライミングファーストが保証されていたのだったかなと感じらる。

有事判断時刻も会合も会費も、登山計画の認否も話し合いの無いまま決まっていくのだろうか。

橋が救助に役立った件を提示して、撤去の賛成に意見を提示してくれた方の動向に注目したい。撤去する前に、もう少し意見を聴きたかった。



一切皆苦

あらゆることが「苦しみ」、「思いい通りにならないこと」


五蘊盛苦(ごうんじょうく)とは自分の心や、自分の身体すら思い通りにならない苦しみ。 この四苦八苦は人間が生きている上で避けては通れない、根源的な〈苦〉。


五蘊盛苦

 迷いの世界として存在するすべては苦であるということ。 仏教でいう、八苦(八種の苦しみ)の一つ。


求不得苦(ぐふとっく)とは、求めるモノゴトが手に入らない苦しみ。 

五蘊盛苦(ごうんじょうく)とは自分の心や、自分の身体すら思い通りにならない苦しみ。 この四苦八苦は人間が生きている上で避けては通れない、根源的な〈苦〉。

四苦に愛別離苦(愛する人と生き別れる苦)・怨憎会苦(おんぞうえく)(うらみ憎む人と会う苦)・求不得苦(ぐふとくく)(求めるものが得られない苦)・五陰盛苦(ごおんじょうく)(心身のはたらきが盛んである苦)を加えた、八つの苦しみ。


諸行無常だな。いつまでもこの苦しみは続かない。


諸法無我。私という意識や感覚も、さまざまな要因や条件によって形成されているものであり、恒常的な「私」や「自我」は存在しない。


一切皆苦。出発点は、「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」と知ることから始まる。コラからが出発だ。


涅槃寂静は、生死に迷い苦しむ世界を超える知恵を得て,煩悩(ぼんのう)の炎が消え,心身の安定した静寂の状態に達したこと。煩悩、迷いや悩みが完全になくなった悟りの世界(涅槃)をいい、静かな安らぎの境地(寂静)はまだまだだな。


 諸行無常は、全てのものは常に変化し、永久不変なものはないということ。 諸法無我は、全てのものは因縁により生じ、実態がないということ。


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