見出し画像

知ってると面白い、知らないとつまらない

日頃、「わからない」という理由で楽しめないことがあったり
行き詰まってしまうことが多々ある。

なんのバックグラウンドの理解もなくぼんやり歩く博物館や美術館
よくわからない料理が次々出てくる前衛的なレストラン

こういった場面に出くわすたびに
「つまんない」という結論に落とし込んで逃げ回る。

しかし今になってよくわかるのは
それはつまらないのではなく、楽しめる教養を持ち合わせていなかったという悲しい事実。

あの美術館で足も止めなかった絵画はその描かれた時代背景や表す意味、画法、文化を理解していたらもう5分、10分楽しめたかもしれない。

歴史や戦争ものの映画は時代や文化背景を知っていればもっと面白かったろう。
沢山の名作に触れていればオマージュにも気づけただろう
友人が懐かしい漫画から取ってつけたネタは同じ時代を生きたからこそ面白い

難しい書物など一定の理解力を前提とした事物は塀の向こうに面白さがあるのだなと思う。
教養がある人はその知識や学を台にして塀の向こう側を覗ける。
向こう側を覗ける人同士が楽しめる場というものが必ず存在する。

小学生の頃、昨日のドラマを見ていなかったせいで話に加われないような事と似てはいるが、歳を追うごとにその教養のレイヤーは複雑に広がっていく。

自分がそういう積み立てをしていなかったせいで「ハハ…」と乾いた愛想笑いしか出来なかったことが沢山あるから痛いほど感じる。

突き詰めたからこそわかる機微もあるだろう。
同じようなリズムでも、あの黒人が刻むグルーヴは何が違うとか
似たような写真でもどんな構図で、どんな現像をしているとか
一つの料理でもあの店の味は何が違う、何が隠されているかとか
自身がその世界に飛び込んで、突き詰める中で物差しのメモリがどんどん細かくなっていって、解像度が上がって、わかってくる。

こういったことは仕事にだってしょっちゅうある。
知識教養は勿論だが、現場理解にも通ずる。

市場に出荷していると
自分たちが出荷した豚が上場した競りの日には仕切り書が送られてくる(成績表みたいなものである)
そこから様々なことがわかる。

何頭出荷して、そのそれぞれの枝肉重量、単価、落札者、格付けなどなど。
読み取れることはたくさんある

ただ、額面から得られる情報には必ず限界がある。
担当者から電話をもらって実際の評価や競りの状況を伺ったり
現場に出向き、一言二言溢れる話を聞くだけでもっともっとその状況は鮮明になる。

実は、モノがいいから高い値がついた訳ではないことは多々ある。
その現場現場に流れる空気感を共にして初めてわかることがある。

実は御縁だったり、その逆もある。
つまるところどんな仕事に於いてもその場にいるのは人間なのだ、と
紙だけを見ていては読み取れないことがある。

分析をする上では人という要素が除外されてしまう場合は少なくないと感じる
絵画や映画のバックグラウンドを知るように
「なぜ?」「どうして?」を知るだけでより良い選択肢が鮮明になる。

他の仕事で言えば
自分が手がける加工品は、工場に出向き、その人たちの小さな一手間をインタビューしてみる
そこから得た感動を伝えるんである。

一つの加工品を作るにおいて、その現場をただの制作工場と捉えようか。
そこにある面白さや醍醐味を伝える媒体とならずして
何を差別化するのか

こうした奥行きを面白がれると、活路を見出せることもある、ふとした気づきをくれたり、不思議な縁を与えてくれたりするものである。

交流パーティーに出向き表面をなぞるテンプレートの会話を繰り返した末に貰った名刺を数えて帰るくらいならば
自分のやることを深掘りして面白がってみるほうが様々な発見と血の通った脈が産まれるんじゃないかと思う。

たった1つの絵画でも、商品でもその後ろにある情報は膨大である。
たった1件の注文でも、そこに至るまで、そして届いてからには
どれだけ平凡であろうと一人の生活の中のドラマが必ずある
一歩足を伸ばして、知る、学ぶ、感じるだけで
もっと楽しめたり、伝えられたり、上手くいったりする。

今は情報過多な時代だからこそ自分の足で知ること、感じることがもっと貴重になる。
そんな時にもっと分かると、もっと楽しい。


ちょっと、いいコーヒーが好きです