見出し画像

自分で決められることなんてそんなにない

日々、悩みは尽きないものである。

悩みというのはつまるところ、選択をどうするか決めあぐねていることが主ではあるが

時に気づくと自分ではどうしようもないこと、つまり選択権のないものにやきもきしていることが多い。

大統領選が連日報じられているけど、選挙権もないし、答えは2人のうちどちらかで、自分に選択の余地はない。

でも、それを気にしたり、あーでもないこーでもないと話すだろう。
(興味を持つことを悪く言っているのではなく!)

朝、何を食べようとか
休みにはどこに行こうとか
どんな会社の面接を受けようか

そういったことは自分で決められるのだけど

コンビニに好きなおにぎりがあるか
行ってみたいお店が開いているか
会社が採用してくれるか

これは自分には決められない。

何を自分で選べて、何は自分にはどう決めようもないのか
改めて分解してみるとなかなか多くはないのだなと感じる。
故に窮屈に感じやすいのだと思う。

一方売り手や会社だって

おにぎりを置いても買ってくれるか
求めるような人材が来てくれるか

そう言った、不確定な要素をできるだけ減らしながらやりくりしているものだと思う。

「売る」という動詞はあくまで、「買う」という他者による選択をした結果生まれるように
あくまで「売れる」ように努めることしかできないと思うと
自分で決められないことを思うように動かしていくという難しさを改めて再認識させられるものである。

人も同じ、仕事も同じ、広くいえば人生も同じ
意外なほどにコントロールできることは少ない。

私は、仕事をしていて
販売をすれば、購入が確実でないこと
市場に出荷をすれば、相場は決められないこと

にしばしば頭を悩ませるのだが
別の視点で捉えると
販売では、売値や在庫数は決められること
出荷では、出荷数は決められること

と、決められる要素も少なからずあるのだと気づく。

「Focus on what you can control.」
という言葉があるが

確かに自身で決められること、決められないことを分別し
決められることを十分に選択/行動すること
そして確実ではなくとも思う方向に寄せていくだけで

大体の悩みは悩んでも無駄と切り捨てられるのではないかなと捉えている。
(とはいえ人間なので、舵取りに悩むことなど日常茶飯事ではあるけれど)

できないことを悩むことが多い一方
できることをできないと感覚で判断していることも実はとても多い気がする。

人それぞれ事情があると思うので、一概にはいえないんだけど

例えば、おそらく、会社は自分の意思で辞められる。

・心の声
我々の業界(農業なんですけど)ならば、
低賃金とか、休みがないとかよく言われるものだけど
いやいやちゃうねん、そういう選択をした事業者が多いってことでしょ!
収入(利益)増やすなり、人を多く雇うなり、そう言った努めの末に
選択をすればできるでしょ!できるよね!とか思っている

そして選択する場面ってのは限られているが、選択肢を増やすことはできるよな、とも思う。

お金があれば、買うものを増やしたりいいものを買うこともできるように
経験があれば、自分にとってより良い職場や環境に行けるように

そう言った豊かな選択肢に向かっての一歩として選べることを精査していくのが重要なんじゃないかなと極々当たり前で平凡ながら見失いがちなことを思いました。


ちょっと、いいコーヒーが好きです