見出し画像

39歳で亡くなった父のこと。娘たちとの20年後の約束

20年後に大切なひとと「約束のよなよなエール」

今夏、あるビール会社の企画が話題になりました。

10年、20年後に一緒にお酒を飲みたい人へのメッセージを書き、缶型タイムカプセルに封入。すると、本当にその年にビールが届き、一緒に飲めるというもの。

素敵な企画ですね。応募が殺到してすぐに募集停止になりました。ぜひこの会社(株式会社ヤッホーブルーイング)には10年後、20年後も健在してもらいたいなと。応募は終了しましたが、素敵なLPなのでぜひお読みください。

この漫画がまた味があるんです。

(続きは、企画の公式サイトへ)
ヤッホーブルーイングは参入障壁が高いビール業界で独自の地位を築きつつある、ベンチャー企業です。採用情報が素敵なので、就職・転職を考えていない人もぜひ読んでもらいたいです。https://yohobrewing.com/recruit/mission/

娘たちと飲みたいなと思って応募しました

二人の娘は今年4歳と2歳なので、一緒にビールを飲むのは20年後。僕は57歳。娘たちは大学生か、働き始めたくらい。

余談ですが、義父は娘(僕の妻)が酒が飲めないので、結婚相手には酒が飲める男がいいと思っていたそうです。

(20代前半までの僕は酒乱でした。酒のせいで友人と馴染みの店からban食ったこと数知れず。しかし、20代後半になって改心して年1くらいしかヤラカシをやらなくなりました👏)

子育ての一区切りが成人と言われているので、「子供がハタチになったら一緒にお酒を飲みたい」というのはどの親も持っている小さな願いなんでしょうね。タイムカプセルに約束を書き、10年、20年後に本当にビールが届く。本当に素晴らしい企画です。

39歳で亡くなった父のこと

僕が娘たちに約束したのと同様に、僕の父も「息子が大人になったら一緒に酒を飲みたいな」と願っていたのではないかと想像してみる。

きっとそうに違いない。しかし、残念ながらそれは果たされぬ約束に終わってしまった。

父は39歳で亡くなり、僕はまだ4歳だった。火事で亡くなったため思い出の品もほとんど残らなかった。なので、僕と父が一緒に写った写真はこれしかない。

生後1ヶ月半。当たり前だけど、この写真から思い出せることは何もない。たぶん天井の模様をながめながら、「早くおっぱいの時間にならないかな」くらいだろう(笑)

思い出の量は、物や記録媒体に比例する。記憶は、自分の頭だけで再現することが難しい。だから僕らは写真や記録を取る。

ひと昔前は各家庭に写真アルバムがあり、それをネタに話すことによって思い出を強化してきた。

この前、妻が両親と10年前に行ったイタリア旅行の写真を眺めていた。

「ミラノの街中でトイレが見つからなくて、お父さんは観光そっちのけでトイレ探しに奔走していたね」と3人で笑っていた。

意外と写真には残らないディティールのほうが脳に焼き付いていたりする。僕にはそういった思い出も記録もないので羨ましいなと思った。

あと2年で死ぬなら何を残せるのだろうか

「あと1年で死ぬとしたらどうする?」が映画や小説の定番のネタになっているのは、誰もが同じことを想像するからだろう。みなさんは具体的に考えたことはありますか? 僕はほとんどありません。

今年僕は37歳。父が亡くなった年齢までにあと2年しかない。気づけばこの歳になっていたし、何かを成しておこうとか遺しておこうと思って生きてきたわけではない。子供のために見本となるような人間になれるとも思っていない。

「養育費」と「思い出」くらいかなと。平凡な回答ですが。何か浮かんだらまたnoteに書きたいと思います。

僕が死んでも養育費は何とかなるように計画はしています。来年、また新しいマンションを買うことにしました。

住宅ローンを組む時には「団体信用保険」というものが付帯される。名義人が死んでも家族はローン残金を払うことなく物件を手に入れることができる。

早く死ねば死ぬほど残金が残るお得な契約だが、もちろん僕はそんなに早く死にたくない。とはいえ、ノブトウ家の男は総じて早死になので(平均寿命50歳)、トータルで支払う金額が高くなっても長期でローンを組む方が個人的には安心と言える。

賢い伴侶が入ればこそ

身もふたもない話だけど、母親がしっかりしていれば家庭はどうにかなる。父親不在のわが家が何とかなったのは、母がしっかりしていたからに尽きる。

友人知人を見渡しても、母親がしっかりしている家庭はやはりちゃんと落ち着くところに落ち着いている。

もし万が一、妻が先立ったら僕と娘二人は路頭に迷うことになるけど(明日のご飯も作れない笑)、僕が先に死んでもわりと平穏に暮らせるはずだ。

というか、その確信があるから僕は子供を持とうと思った。独身時代は子どもを欲しくないと思っていたので、結婚後は「父親をやらせてもらっている」という感覚がいつもある。

ということで、僕がもし男性から子育てについてアドバイスを求められたら、こう答えるだろう。

「奥さん次第で家庭の未来は変わる。運転手はあなたではない。われわれ男にできることは車が動くための燃料をしっかり調達することだ」と。

20年後のきみたちへ

「思い出」に関して。娘たちの物心がついて少し落ち着くまでは生きたいなと思っている。具体的には10歳くらい。僕は4歳で父を亡くしたが、父の記憶というのはやはり多くはない。単純に一緒に過ごした期間が短かったというだけでなく、言語が未発達のうちは記憶も形成できないのだ。

長女が4歳なのであと6年かというと、わりとすぐのような気もする。もちろんこれは最低限の願いであって、できる限り長生きできたらいいなと思っている。

もし子どもたちが成人して一緒に「よなよなエール」を飲める日まで生きることができたら、本当に嬉しい。実はタイムカプセルにどんなメッセージを書いたかすでに覚えていない。あまりかしこまった内容ではなく、37歳の未熟な父親の素直な気持ちを綴ったのではないかと。

開封は20年後。娘たちも僕も元気でビールが飲めますように。

最後まで読んでくれてありがとうございます。よかったら「スキ❤️」も押してくれると嬉しいです🐾

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?