見出し画像

古典を学ぶ必要はあるのか?

最近、話題になってますね。

「春は揚げ物」の面白さが分からなくなる、みたいなジョーク言説まで飛び出してますが、そもそも

「春は揚げ物」

に面白さを微塵も感じません。

なるほど、松本人志のいない世界はこうなるのか…と思った次第です。

こういう話になると必ず出てくるのが、「効能」の話。

古典を学ぶと、こういういいことがある。

だから学んだ方が良い。

という色んな角度からの列挙ね。

でもね、それって実は本質ではないのでは?と思うのです。

この「古典を学ぶ必要があるのか」という問いは、いわば「教養」あるいは「リベラルアーツ」をどの程度学ぶべきか…という問いであり、

その問いの震源地は、

「世の中がマウスイヤーと言われるほど、変化進化していく中で、学ばなければならない新しい知識や理論が『山ほど』生まれてきていて、さらにこれからも加速度的に増えるのに、いつまで、この若者の限られた時間の中で優先順位を高く持っていくのか?」

という部分にあるのだと思います。

簡単に言うと、

「ほかにやらないいかんこと沢山あるやろ」

みたいな話です。

具体的には、AI,、ブロックチェーン、プログラミング、金融教育、性教育、中国語などなどです。

つまり、抜本的な教育改革を行わなければならない中で、時間は限られている。

その中で「リベラルアーツ」及び「実学」を学ばなければならないとしたら、20世紀を主に生きてきたあなたの感性ではなく、21世紀を、なんなら22世紀を生きる人間に必要なものを優先順位で捉えなおそう…という動きなわけです。

もうちょっと具体的に言いましょうか。

代数、幾何、三角法、解析幾何、統計、微積分、英文法、英語長文、英会話、英作文、英語のリスニング、物理、化学、生物、地学、日本史、世界史、日本地理、世界地理、現代社会、倫理、政治経済、現代文、古文、漢文、ここに、プログラミング、金融、性教育、中国語…

みたいな学習内容があったとして、

24時間のうち学校でやるのが6時間だとして、
さぁ、この6時間をどう振り分けますか?

という話です。

ちなみに、当然ですが、これはあくまで一例です。本来もっとあるはずです。「スペイン語」や「イタリア語」「韓国語」「ドイツ語」といった言語系はもちろん、「礼儀作法」とか「ビジネスマナー」「法律」と言ったことまで。

「使える」「使えない」とか、そう言う話とも違う。

シンプルにリソースが限られている中で、
しかもめちゃくちゃ時代が変化している中で、
「いや、明治時代からやってることをやっててもいいの?ホントに?」

という話です。

「ゼロベース」で考える話なんです。

「教養は大切だ」という主張はわかる。

なんかね、「頭の良い」「偉い人」たちの言説って、「人間の芯みたいなものを涵養しなければ」とか言うんですけどね、「そもそも食えない人が増えてて、文字も数字もまともに「読む」のすら忌避してる子どもがめちゃくちゃ増えている現実」を知らなすぎなんです。

世間知らずの机上の空論。

それか、ギリシャ時代のアリストテレスが「我々が哲学できているのは奴隷のおかげ」と言ったそうなのですが、

「一通り終わって人生すごろくに上がった暇な爺さん」が「教養は大事だよ。ちゃんと勉強しなさい」と言ってるに過ぎないんじゃね?と思っちゃうんです。

で、僕から言わせればね、優先順位としては圧倒的に「低い」ですよ、古典は。

これ、良く例で出すんですが、

慶應義塾大学の経済学部の日本史は「1600年以降しか出さない」と。世界史は「大航海時代以降しか出さない」。

で、これを知っている受験生ってあまりいない。

これを知った今、どこから勉強する?

というと、「1600年以降です。関ヶ原以降です」
と答えます。

じゃあ、君は今までどこから勉強してたの?

というと、「旧石器時代です」と答えます。

これは「笑い話」のようですが、本当にこういうことがよくあります。

で、たまに「教養の鬼」みたいなお父様からは「いやいや、受験に必要だからそこだけやるというのは邪道だ」とおっしゃる。

僕は「そうですかね。僕が話してるのは優先順位の話なんです。1600年以降からやって、慶應の経済学部の合格点取れてから、「歴史」が得意で「興味を持ったら」旧石器時代からやれば良いと思うんですが。そもそも慶應の経済学部がなぜ旧石器時代からとしなかったか?という意図を踏まえて行動できる人材を求めてるんだと思ってます。もちろん、お父様みたいな教養豊かな人に憧れるんですが、僕みたいな凡人は戦い方を選ばないと生き残っていけないんです。君はどう?お父さんみたいなスーパーエリート?それとも僕みたいな凡人?」

と答えます。

要は、「暇になってからやれ」という話です。
それか、小、中、高の12年間で5時間だけとか決めてやるとかね。

そしたらその5時間で「うわ、古典おもろ!これを生涯研究したい!」となる子もいるでしょう。そしたら、そんな子は「普通の学校」の古典の授業ではすぐに物足りなくなりますよ。

要するに、本当に基礎的なことを「最低限」の時間にして、あとは選べるようにした方がいいよね、とそう言う話なんだと思います。

そのためには、まず学校の先生の「時間」を解放しないといけない。

僕がお勧めするのは、「授業」は、スーパー講師(例えば、英語で言えば安河内先生とか、現代文だったら林先生とか)が台本を作って、

ポケモンやスーパーアイドル、ガンダムやらパウパトロールやらが「先生」とした映像授業を政府主導で作る。

そして、それを家で見てきて、学校ではアウトプット(テスト)や「質問」をする。

生徒一人一人は進度は自由…。

こう言う形にすれば、「魅力あるキャラクター」が「先生」で、めちゃくちゃ身につくやろ…と思うのです。

個人的には、

「有村架純の古典文法」

とかやりたいです笑

そしたら、社会的に「古典は必要か?」

「必要に決まってるだろ、アホか」

という声が圧倒的に増えると思います。

有村架純さんが「春はあけぼの」と仰るところをめちゃくちゃ見てみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?