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新年の所感と目標

こういうのって、いつもなら元日や三が日に書くんだろうけど、暮れから部屋は片付かないし眠いしであまり落ち着かなかったこともあり、月末になった今頃書くことに。
 
昨年、抱負や目標は特に立てなかったけれど、何のプランもないと、何もしなくなってしまう虞れもある。そこで、
 
(1) 読書は続ける(目標:最低200冊)
(2) 映画も観る(目標:月イチ)
(3) 語学の勉強
(4) アウトプットする(目標:noteに月イチ書く)
(5) 息子と過ごす
(6) 海外旅行する
 
と6つ目標をつくってみた。
 
海外旅行というのはいささか時期尚早な気もするけど、必ず実現しますという結論に急がなくとも、貯金をしたり、時間を確保したり、計画を立ててみるのも楽しみのひとつであって、どうせ無理だから、どうせ叶わないから、などと喚いても自分は成長できないと思うから。
制限制約があっても、いや制限制約があるからこそ、考えが及ぶこと、気づかされることもあるのだと思うようにしている。

制限制約とは少し違うけど、超えられない壁って大事なんだなと思う。
歳をとるにつれて、人はどんどん面倒くさいことを遠ざけてしまい、自分に都合のいい話だけを聞くようになってしまう気がする。
そんな時に、絶対敵わない人がいるって自覚があれば、いろんな場面で謙虚になれるし、ややこしいことを聞く耳も持てる。
僕がこの歳でも恩師のフランス語講座を懲りずに受講しているのも、偏にこの越えられない壁を自覚していたいから、という思いが強い。

数年前から社会の分断って言葉が聞こえるようになって、日本でも、いわゆる弱者を切り捨てる社会は悪といった文脈でこの単語が用いられているような気がする。
しかしながら、この言い方に僕には違和感があって、というのも、僕もそのど真ん中で経験し、皆がこぞって邁進した受験戦争とか就活って、他人を出し抜いて自分を出来るだけいいポジションに置きたいが為の手立て、いわば自分から分断をつくってきたことに他ならないじゃないか、って思うから。

自ら進んで身を乗り出してきた道のなれの果てを見て、それが思い通りではなかったからといって人のせい、社会のせい、政権与党のせい等々にすべきではないだろう。自分で選んだんだから。

自分で選んだ道が間違っているのならば自分で軌道を修正しなくてはなるまいし、事を始めるのに遅すぎることはないと信ずるので、自分が本当にやりたいこと、なりたいものって何なんだろうということを、齢45にして今一度考えながら、2022年・令和4年を歩みたいと思っています。

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