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僕の夢物語 理想の町5                                         ~日本一住みたい町~

 雇用の場が増え、そこで働く若者が増え、夢野市の人口は、どんどん増加していった。
 若者の増加により、結婚や子育て支援のニーズが増加し、それに応え、ますます子育て支援の体制が充実されていった。
 生まれた時から大学進学まで手厚く経済支援され、子どもが多いほど支援を充実させたことから、何人子どもがいても経済的負担感が少なく、4人、5人の子どもがいる世帯が標準的になり、特殊出生率が、1.3人ほどの全国平均とは比べようもないほど大きく上回わっていった。
 子どもが多くなると、子どものための保育園や遊園地などさらに雇用の場も拡大され、人口増加を加速した。

 一つの企業の進出からその企業を核に農林水産業にいたるまで産業が再構築され、それに伴い、様々なインフラが整備された。自治体だけでは簡単に実施できないサービスも、民間企業が一部を肩代わりするような形で追加実施され、人口や経済活動が活発になり、活性化が図られることとなった。
 好循環は好循環を生み、先行投資した資金がその数倍にもなり、吾一の企業にも還流され、吾一の企業は発展をし続けた。

 吾一は、この還流された資金をもとにさらにインフラの整備を行なった。
 特別養護老人ホームや病院なども一企業によって更に整備され、安心して暮らしていける環境がどんどん整備されていった。
 この活況は、様々なメディに取り上げられ、全国に発信され、日本全国から夢野市への移住希望者が日に日に増加していった。
夢野市では、移住促進のための専門部署を設置し積極的に受け入れた。
希望者がどんどん現実に移住を始めた。
 雇用の場や生活環境が整っているうえに、起業を希望する移住者にも積極的に対応し、行政だけではできないことは、吾一の企業が積極的に協力を行って、他の市町村では決してできないであろう手厚い支援が行われていった。
 多種多様な人間が夢野市に移住し、ユニークな活動はどんどん広がり、それが経営として成り立ち、更に夢野市を豊かな町にしていくこととなった。
 吾一の企業の積極的な支援により、短期では採算の合わない部門でも、長期的展望に立ち財政支援を行ったことから、財力のない移住者でも、その意欲が認められれば、夢野市では現実に起業することができた。
 採算の合わない手作りの製品や昔ながらに引き継がれている製品、あるいは、現代の価値観から見ればとても評価されそうもないものまで、吾一の企業により買い上げられ、付加価値のあるものとして形を変え販売され、多くの利益を生むこととなっていった。
 発想や価値観を変えて考えることによって、新たな価値を生み、経済を潤すこととなっていった。
 このような取り組みは、自身のネットワークで宣伝するとともに、毎日のようにテレビワイドショーやインターネットでも取り上げられ、住みたいまち日本一として、更に移住者を呼び込むこととなっていった。
 
僕の夢物語 理想の町6 ~僕と吾一~に続く


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