見出し画像

僕の夢物語 理想の町7                 ~移住促進、工業団地参入~

 吾一が来てから年を経るごとに、町は活気に満ち溢れ、近隣の市町村とは比べようもなく、県下一、いや全国一の元気都市になっていった。
 人口減少が言われる地方にあって、これほど人口が増加しているのは、間違いなく全国一である。何より、高齢化が進む我が県にあっては、高齢化率が下がっていく唯一の自治体は夢野市だけである。
 様々な形で次々と外貨は市に流れ込み、それにより市民一人当たりの所得も増加して、全国一の所得水準になり、生活は豊かになっていった。
 次々にインフラが整備され、東京から一番遠い町と揶揄されたへき地から変貌し、美術館や博物館などの文化施設や野球場やサッカー場などのスポーツ施設をはじめ、保育園や介護施設などの社会保障施設も充実し、今や全国一住みたい町になっている。
 移住者はどんどんやってくる。
 雇用の場はいくらでもある。
 自分がやってみたいことは、行政で対応する範囲を超えている場合でも、吾一の会社がバックアップしてくれた。
 資金のない若者であっても、開業資金はもとより、生活が成り立つ財政支援がされるので、経営ベースに乗るまで、長期的なスタンスで事業展開をしていくことができた。
 意欲のある若者は、生活の心配をすることもなく事業に専心し、俄然その能力を駆使し、大抵の者は数年のうちに、成果を上げる結果を導き出していた。
 その成功は個人にとどまらず、夢野市の評価を上げることに繋がり、ますます移住促進が図られることとなった。
 
 夢野の最も素晴らしい環境として港湾がある。自然の良港で、戦時中には海軍の基地として利用されていた。
 吾一が夢野市に進出する以前から国の重要港湾に指定され整備は進んでいた。定期的に豪華客船が寄港して、歓迎セレモニーなど行い、観光事業の一つとして活用されていた。
 ところが重要港湾の本来の目的である工業団地としては未だ活用されないでいた。
 工業団地の区画が整備され、分譲できる状態になっても一向に希望者はあらわれない状態であった。県と市が一体となって様々なセールスを行っていたが、一向に好転の兆しはなかった。
 そこに、吾一の企業が進出することとなった。
 吾一の企業は、すでに市街地に会社を構え、港湾とは反対方向になる夢野市東部の広大な土地に倉庫や工場を建設していた。
 夢野市には港湾の工業団地とは別にもう一つ工業団地があり、吾一の工場の多くは、夢野市東部の工業団地に建設されていた。港湾地域と比べ、道路など環境が早くから整っていたことと津波浸水域外であるということが大きな理由であった。
 しかし、進出当初から、東部の工業団地だけではなく、素晴らしい港湾を有している夢野市の地の利を最大限生かすために造船事業を新たに立ち上げ、この港湾の工業団地への展開も視野に入れていたのである。

僕の夢物語 理想の町8 ~スポーツシティ夢野~ へ続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?