少年の国 第15話 川での事件
夏になると、例の仲間たちを集めて、スイカや瓜の畑を狙った。夜の闇に紛れて川の向こうの畑を目指す。川は僕の集落の側が浅瀬で、向こう岸近くが深くなっている。そこで泳ぎの得意な年長者が向こう岸に二人ほど渡り、畑を物色する。農家の人の警備があるから、事は慎重に運ばなければならない。
スイカを手に入れるとそっと川岸に戻る。岸近くの深みには、立ち泳ぎをして待っている仲間がいて、それを受け取り、浅瀬にいる仲間に渡す。さらにこちら側の岸に上がって、所定の場所に貯めておく。これを繰り返して、「戦利品」にみんなでかぶりつくのだ。完全なチームプレーだった。
一番難しいのは、大声を出せないために、向こう岸から水中にいる仲間に渡すところだ。どうしても放り投げることになるため、ときにキャッチに失敗する。その水音で警備の人に気づかれてしまうのだ。
「こらー!」
その声が聞こえたら「作戦」は、即中止しなければならない。もっとも警備の人が、川を渡って追ってくることはないから、いったん撤収してみんなで戦利品を味わうことになる。夏場の暑さもあり、渇いた喉にはたまらない味だ。
「うまいなあ」
「それにしても今日はうまくいったな」
「お前が受け損なったときは、どきっとしたぜ」
口々にいろんなことを言いながら、むしゃぶりつく。とくに甘いお菓子は貴重品だったので、果物の甘味は身に沁みるようだった。
実は、この川でも僕は溺れかかったことがある。横浜の運河で溺れ、貯水池の氷を割って水に落ち、この川で溺れかかったのだから、もう「得意種目」と呼んでもいいくらいだ。
その時は魚を獲ろうとしていた。川の水面に顔をつけ、川底に潜む魚を銛で突くやり方だ。最初は浅瀬を泳いでいた。ところがいつの間にか深みの方に入っていたらしい。それに気づいた途端に慌ててしまったのだ。
「深い」と思ったところで、立とうとしたが、当然足が底に届かない。またしても、ぶくぶくと沈んでいく。それでも沈みつつ、ある知恵を思い出した。
いっそのこと、深く沈んでしまい、川底を蹴って、その力を利用して浮き上がる方法である。とにかく足が川底に届くまでは沈むしかない。この方法は見事に成功した。水に沈むのも三度目になると「経験」が生きてくるのだ。もっとも何の自慢にもならないのだが……。
この川ではもっと嫌な思い出もあった。ある夜、魚を獲るために松明を持って川に向かった。魚は火に集まって来る。そこを網で掬うのだが、この方法は面白いほど魚が獲れる。 僕らが夢中になっているところに、隣の集落の連中が現れた。しかも上級生だ。
「お前ら、誰の許しを得て、ここで魚を獲ってるんだよ」
いきなり凄みのある声が聞こえてきた。
「何でここで魚を獲るのに許しがいるんですか?」
精一杯抗議してみたが、全然通用しそうもない。ふだんから乱暴なことで知られている連中だから、ここは黙って引き揚げようとしたとき、また凄みのある声が聞こえた。
「今夜のことは後でケリをつけてやるから、そのつもりでいろよ」
そのときは意味が分からなかったが、翌日になって嫌というほど思い知った。学校で彼らの一人に、放課後、鶴城公園に来るように申し渡されたのだ。
やむなく僕は「分かりました」と返事するしかなかった。公園に行ってみると、昨夜のメンバーが四人も待ち構えていた。
「夕べはよくも俺たちの縄張りを荒らしてくれたな」
「そんな、縄張りも何も、あの川で魚を獲るのは勝手じゃ……」
言うか言わないうちに、僕の左の頬に衝撃が走った。横にいた男にいきなり殴りつけられていたのだ。さらに暴行が続く。
四人総掛かりで、殴る、蹴るが繰り返される。堪らずに倒れた僕に蹴りが入る。苦しくて息ができない。それでも彼らの暴行はやまない。うっすら意識がなくなった頃に、彼らは僕につばを吐きかけて去っていった。
僕はしばらく立ち上がることができず、そのままの姿勢で空を眺めていた。やっと立ち上がれたときには、太陽は西に傾き始めていた。家に帰り着くと、叔父が「どうしたんだ」と尋ねてきたが、口の内も切っているのでうまく話せなかった。
その夜は熱が出て眠るのも大変だった。ハンメは膏薬と濡れ手拭いで、僕の身体を冷やしながら看病してくれた。
二日ほど学校を休むはめになったが、日頃の体力がものを言ったと見えて、回復するのも早かった。
龍大や永吉も「復讐してやる」と憤慨していたが、僕は彼らを止めた。いつか自力で決着をつける、そう考えていたからだ。
それから一ヵ月ほど後のことだった。叔父と二人で鶴城公園の近くを歩いていたとき、僕を痛めつけた連中のリーダー格の奴が、一人向こうから歩いてきたのだ。
「叔父さん、あいつだ。この間僕をあんな目に遭わせたのは」
僕のささやきに叔父はすぐに反応した。僕を背中に隠すと、彼が近づいてくるのを待ち構えた。
「おい、そこのお前! この前は俺の甥に、ずいぶんなことをしたようだな」
「はあ、何の話ですか?」
「海守、こいつで間違いないんだな?」
僕が前に出て、うなずくと彼の顔色が変わった。叔父は素早く彼の襟首を掴んで、上に引き上げた。
「何をするんですか? 大の大人がおかしいじゃないですか」
彼が必死で弁明する。叔父は彼をいったん地上に下ろすと、
「じゃあ、お前らより年下のこいつに四人で乱暴したのはおかしくないのか」
「…………」
「黙ってないで何とか言え!」
彼の頭に拳骨を一発お見舞いした。
「痛い!」
「痛いに決まってるだろう。殴られれば誰だって痛いんだ。こいつの痛さはこんなもんじゃなかったんだぞ! どのくらい痛かったか教えてやろうか!」
叔父は再び拳を振り上げた。今度はもっと強いのをお見舞いするようだ。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
彼は必死に頭を抱えて、謝り続ける。
「謝る相手が違うだろう!」
叔父が僕の方を見ると、彼は慌てて僕に「ごめんなさい、許してください」と泣きながら頭を下げた。
しかし、僕の腹の虫は治まらない。
「そんなんで許せるわけがないだろう!」
そう叫ぶと力いっぱい彼を蹴り上げた。彼は慌てて僕の蹴りをかわしたが、つま先が口元をこすったのか、痛そうにその場にうずくまった。
「お前の蹴りはこんなんじゃなかったぞ!」
僕が再び彼を蹴り上げようとしたそのとき、
「海守! いい加減にしろ」
萬守叔父が慌てて僕の襟首を掴まえた。
「この子は謝っただろう! お前は謝った子にも復讐をするのか!」
叔父は普段の優しい顔からは想像できない、怖い顔で僕をしかりつけた。
「でも、叔父さん、こいつは……」
「男なら我慢しろ!」
叔父の迫力に、僕はしぶしぶ蹴り上げようとした足を下ろした。
「おい、大丈夫か?」
叔父は心配そうに彼の傷口を見た。彼の口元からはぽたぽたと血が流れている。叔父は手拭いを取り出すとそっと、彼の口元を拭ってあげた。
「これで押さえていれば大丈夫だ」
彼は以前の威勢はどこへ行ったのか、神妙な顔でポロポロと涙をながしていた。
「どうだ、殴られても蹴られても、こんなに痛いだろう。それが分かったなら、もうああいうことをしちゃ駄目だ」
「はい」
「たかが魚くらいで喧嘩するなんて恥ずかしいだろう」
叔父は今度は僕を手招きした。僕はしぶしぶ彼の隣にしゃがみ込んだ。
「二人とも、たとえ村は違っても同じ民族同士なんだ、そのことをこれからも忘れないで、仲良くしなさい」
彼は泣きながらうなずいた。僕もつられるように首を縦に振った。
「ほかの三人にも、このことを伝えてくれ。それから、あの川に縄張りなんかない。みんなで仲良く獲るんだ。お腹が空くのはみんな一緒だ。分かったな」
彼はもう一度頭を下げて立ち去った。その後ろ姿を見ながら、叔父は僕の手を握り、
「海守、悔しいのは分かるが、復讐なんて考えるのはよくないな……。そんなことをやっていたらキリがないだろう」
「でも、叔父さんだってあいつの頭を?」
「あれは復讐じゃない、彼に教えてあげただけだ。でも決していいことじゃなかったな……」
そこには優しく笑う、いつもの叔父の姿があった。
振り返ると、この時期になると食糧も不足し、人々の気持ちも荒み始めていたせいで、こんな事件が起こったのだろう。
田圃の脇の用水路をせき止めてつかまえた小魚は、おかずの足しになったし、秋には田圃に発生したイナゴを捕まえ、これもおかずになったほどだった。
後にこうした食糧は、ますます貴重なものになっていった。そして、それと同時に、時代は内戦に向かって荒々しい動きを見せ始めていたのだった。
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