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どうして会社を作ろうと思ったのですか?

答:「こんなこと出来ませんか」と頼まれた仕事をしている内に、自然と会社になりました。「よし、声優プロダクションを作るぞ」と意気込んで登記所に向かったわけではありません。オフィスを構え、スタッフも増えて、いつもの間にか会社らしくなりました。今回は、私が代表を務める"株式会社コトリボイス"が創業された前後のあらましをお話ししたいと思います。

三十代半ばに東京で暮らし始めた当時、私は渋谷のベンチャー企業で働いていました。十名くらいのスタッフでwebサービスやゲームを作ったり、運営したりしていました。ジンガ社のファームビルがヒットすればfacebookで農場ゲームを作ったし、当時流行のタワーディフェンス系のアプリには可愛いキャラを組み合わせました。ブラウザで完結するADVゲームのツクールも作ったし、最後にはPinterestに挑む画像収集SNSも開発しました。すごいスピードで、次々に企画を立ち上げてはリリースすることを繰り返していました。

私は社内で一番年若く、使いっ走りでした。音楽と英語が多少は使えましたが、ワードやエクセルも初めて触ります。他の社員の名刺には"Engineer"や"Designer"と書いてあるのに、私の名刺には肩書きがありません。とにかく何でも手伝いました。小さい会社なので、手を上げれば挑戦させて貰えました。企画書や営業用の資料を作るところから始まり、エンジニアやデザイナーと一緒に仕事をする上での知識も必要、それにオンラインゲームを運営するための分析手法やweb広告も一通り勉強しました。

二年にも満たない会社員生活でしたが、膨大な経験と技術を身に付けたお陰で、退社後はフリーランスとして身を立てることが出来ました。名刺には「プロデューサー、ディレクター、マーケター」と併記しました。ある会社ではwebサービスの企画を担当し、またある会社ではゲームソフトの販売戦略に関わり、常時4〜5社の仕事を掛け持ちしていました。

ある時、電子コミックを配信するサービスの運営を任されました。現在のように大手出版社発の漫画がアプリで読めたり、テレビCMをガンガン流している時代ではありません。黎明期でした。まだまだ紙の本が優勢で、ダウンロードは今一つ伸びません。冊子で読むのとは明確な違いが欲しい・・・そうだ、吹き出しをタップしたらセリフの音声が流れるってのは?これは電子コミックにしか出来ないことだ、と思い付きます。

運営会社からはゴーサインが出て、予算も付けて貰いました。私にはサウンド周りの知識があったので、声優と録音スタジオさえ揃えば何とかなるだろう、と思っていました。ちょうどその頃、若い声優の方たちと知り合う機会がありました。メディアフォースという声優事務所に在籍していた方たちです。その年の初頭に所属事務所が解散してしまい、行き先を模索している状況で快く手伝ってくれました。現在も弊社に所属している得本綾や藤野裕規は、この頃からの付き合いです。

男女数名のメンバーに役を割り振りながら、どんどん録ってゆきます。収録には、東急田園都市線沿いの三宿(みしゅく)にあるスタジオを借りていました。料金は一時間五千円。住宅街にあるマンションの階段を上った二階の一室です。入り口すぐの待合スペースには冷房がなかったので、暑い日はドアを全開にしていたことをよく覚えています。

スタジオのエンジニアの方にProtoolsの使い方を教えて貰い、自分で録音をしました。データは家に持ち帰り、ノイズを取り除いてボリュームを合わせ、吹き出しのセリフごとに切り出します。プログラマーの方に作って貰ったツールを使って組み込むと、吹き出しをタップした時に、先ほどスタジオで録った音声が流れます。モノ作りは楽しいです。

この音声付きコミックの売り上げは今一つだったのですが、コミックの作者の方たちには喜んで貰えました。ご自分のキャラクターが喋るのは、嬉しいものなんですね。作ってよかった、と心から思いました。私はディレクターとして運営会社から月給を受け取っていましたし、出演声優の方たちはそれぞれの請求書を作り、運営会社から出演料を支払って貰いました。

マーケティングを手伝っていた会社の社長は、ちょうどドラマCDを企画しているとのこと。付き合いのあった別の会社からも、製作中のアプリゲームに音声を入れてみたい、と相談を受けます。どちらも喜んで引き受けました。"クラウドソーシング"も"宅録"も珍しかった頃のことです。「音声」が欲しい人は、意外と周りにいるのかもしれません。事業をスタートすることにしました。それには、私がお客さんに制作費を一括で請求し、そこから出演声優に報酬を支払う仕組みが必要です。この事業を行う上での"ハコ"を持とう、取り合えず法人登記をしようと即決しました。自分の本業であるプロデューサー業やディレクター業の副業になればという程度に考えていました。

音声を扱うので、社名は『○○ボイス』にしよう。これは最初に決めました。○○は小じんまりとして、親しいイメージを喚起する動物がよい。大きな会社に成長させようという欲もなく、細々とやりたかったからです。そんなわけで、会社名は"コトリボイス"になりました。分かりやすい、と褒めて貰う機会が多くて嬉しいです。もっと嬉しいのは、スタッフや所属声優の方たちがこの名前を気に入ってくれたことです。

webサイトは中学時代の同級生が立ち上げたデザイン会社に頼みました。会社のポリシーを説明すると、スマートなデザインを上げてくれました。ロゴから名刺、封筒、webサイトに至るまで素晴らしい出来映えなので、よく褒めて貰えます。ウチもこういうサイトが欲しい!という方を度々紹介しており、友情価格で作ってもらった恩は返せているのかもしれませんね。

オフィスを借りるお金はないのですが、会社には"登記地"が必要です。三宿のスタジオの社長に相談しました。定期的にスタジオを利用していることもあり、快くOKしてくれました。収録日以外でも、2~3日に一度は自転車で郵便物を受け取りに通うことにします。何はともあれ、株式会社コトリボイスは三宿の地で間借りしてスタートです。社員はいません。社長の私と手伝ってくれる数名の声優だけです。

収録が終わると、246号線沿いや茶沢通りに通じる商店街の居酒屋に、出演声優の方たちとよく集まっていました。コトリボイスの仕事は、まだ私にとって本業の合間の楽しみでした。サークルや部活動的なノリがあったと思います。三軒茶屋駅で解散し、私は徒歩で帰宅します。当時の私は、三軒茶屋の駅前で友人二人と3DKの部屋をルームシェアしていました。

一年目の売上は七十~八十万円くらいだったと思います。私の役員報酬はゼロです。一週間の内、5日を本業に充てて生活費を稼ぎ、残りの1~2日でコトリボイスの仕事をしました。登記手続きの他に印鑑や名刺を作り、webサイトの制作も含めたスタート費用が三十万円。それに出演費を払い、スタジオ代を払ってしまえば赤字でした。

お取引いただける企業の幅も広がり、ある日"モーションコミック"を制作されている会社から声が掛かりました。コミックの絵を切り抜いて、瞬きや手の仕草などちょっとだけキャラクターを動かし、アニメーション作品のように見せる動画の技術です。今も、コミックのプロモーション映像ではよく見かけますよね。当時はwebコミック隆盛の時期でもあり、人気のあるwebコミックを片っ端からモーションコミック化してしまおう、という企画でした。動画コンテンツなので、もちろん音声が必要です。

忙しくなってきました。これまでは仲間内で回していたのですが、収録タイトルも増えてきたので、メンバーの知り合いの声優の方たちにもどんどん声を掛けました。笹島かほるや土屋実紀にも、この頃に知り合いました。プロダクションに所属されている方もいたので、マネージャーの方々との親交も始まります。報酬の基準もロクに知らなかったので、信じられないくらい安い出演料でベテランの方にご出演いただいたこともありました。私は渋谷のキンコーズへ通って台本を刷り出しその足で郵便局へ、収録現場では演出を声優のメンバーが持ち回りで担当していました。

その後もお客さんから別のお客さんにご紹介いただいたり、メンバー経由だったり、ホームページを見てご連絡をいただいたりと、お仕事は途切れませんでした。三宿のスタジオにこもり、コツコツと録り続ける日々です。転機となったのは『トリックスター~召喚士になりたい~』というアプリゲームです。これまで担当してきた作品に比べ規模も大きく、プロモーションの面から人気声優の方たちもアサインしなければなりません。今まで通りのやり方では難しそうです。初めて音響監督の方を雇いました。都心の広いスタジオが必要だったので、ネイロ株式会社の平井社長に相談し、録音スタジオを貸して貰いました。

こうして二年目は売り上げも増え、私も毎月八万円の給料(役員報酬)を受け取っていました。副業としては十分な金額です。三年目になるとさらに売り上げは増え、私も食べていけるだけのお給料を取れるようになりました。仕事の量も増えたので、もはや片手間では捌けません。それまで本業でやっていたコンテンツ系の仕事を整理し、オフィスを探し始めました。京王線の仙川によい物件を見付け、防音ブースも導入して録音を出来るようにしました。スタッフをアルバイトで雇いました。そして、同時に"声優プロダクション"として看板を掲げる決断をします。

私自身はお客さんの依頼に応えていればよかったのですが、私に付き合ってくれている声優の方たちの希望は、あくまで"声優"として活動することです。これまでも仕事の合間にボイスサンプルを録ったり、営業資料を作ったりと水面下で準備をしていました。出演の仕事が貰えそうなところには、売り込んでいました。それぞれはフリーランスの声優ですが、コトリボイスで彼彼女たちを紹介しているという形です。しかしながら、思うように出演機会は得られません。いい役者がいますよ、という"紹介"ではお客さんにも真剣に取り合って貰えない。本腰を入れてマネージメントに取り組むなら、"声優プロダクション"化しなければダメだと思いました。

自身のブランドが命の声優の方たちにとって、新興のプロダクションに関わるのは大きなリスクです。大きな事務所に所属していれば、何となく凄い、誰も知らない事務所に入れば、大したことのない声優と周りから見られてしまう、そう考えるでしょう。だから、海のものとも山のものとも知れない"コトリボイス"という看板の下に集まってくれた人たちは、大した決断をしたものです(…いや、違った。所属事務所の看板に頼るような、つまらない役者は一人もいません)とにかく感謝しています。特に笹島かほるには、スタート時から多くの助言と励ましを貰いました。今でも重要な決定時には、顧問としてアドバイスを求めています。キャリアのある彼女の後ろ盾は、コトリボイスが一つの声優プロダクションとして世の中に認められる上で欠かせませんでした。


音声収録の仕事をするために会社を作り、ダメなら2~3年で畳んで個人事業に戻ればいいや、そのくらい気楽に考えていました。会社を作ること自体、大したことではありません。現在は株式会社の設立にあたって資本規制もないので、元手がなくても登記出来ます。行政書士さんに手伝って貰って、株式会社なら二十万円くらいあれば作れるのではないでしょうか。何かやりたいことがあって、その為に"会社"というハコが必要であれば、作ればいいのです。

幸い、お客さんや声優の方たち、地域の人たちにも応援をしていただき、これまで六年近くやって来られました。とっくに私一人の会社ではなく、後は世の中に必要とされる限り勝手に歩いてゆくでしょう。私は淡々と自分に与えられた仕事、リーダーシップを執るのみです。

それでも、会社は単なる"ハコ"です。ツールであり、目的ではありません。この記事の最初に書いたベンチャー企業に私を拾ってくれた方が教えてくれました。経営者としての私の師です。仕事をするために必要なツール。"声優プロダクション"もそうですよね。看板そのものが大事なのではなく、その看板に誰が集まったのか、が大事だと思います。何を成し遂げるために始めたのか、時々は初心に帰るためにも記事を書いています。よろしければ、この先もお付き合いください。


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