台湾カフェストーリー7~台湾東海岸で出会った手作り炭火焼コーヒー
1月3日~7日の台湾ぐるっと旅行では、個性的なカフェに何軒も出会うことができた。今回紹介するカフェもその一つだ。
1.海辺の小さな集落にカフェ発見
台東縣の北端・長濱に別れを告げ、再びバスで南下する。旅行2日目は、次の町・成功まで移動すればよいので、時間に余裕がある。ならば、どこかで途中下車して、無名の集落にお邪魔するのも良いかも、と思い。Google mapでたまたま見かけた宜湾という村で降りてみることにした。地図によると、カフェが一軒あるが、食堂はなさそう。。。
バスを降り、集落の中にあるカフェを探す。少し歩くと、集落の中の小さな道沿いに、カフェらしきお店を発見した。「金宜灣炭火手炒咖啡」は、その名が示すように、何と炭火焼(しかも機械を使わず鉄鍋で炒る本格派!)のコーヒーが飲めるのだ。
2.日本で学んだ炭火焼コーヒー
この日のコーヒーは、ご主人おすすめの台東コーヒー「泰源」の豆で淹れてもらった。いつも言うことだが、台湾コーヒーは、産地により味わいもクオリティもかなり異なる。正直言って、飲みにくいコーヒーもあるので、毎回飲むときはドキドキするのだが、泰源コーヒーは、すっきりと飲みやすく、口の中に嫌な感じが残らない。
それにしても、炭火焼コーヒーは台湾でもかなり珍しいと思い話を切ってみると、オーナーはなんと日本の京都で炭火焼コーヒーの勉強をしてきたのだという。なので、日本語もある程度話せるので、詳しい話も聞くことができた。それにしても、台東の小さな村から異国の古都にコーヒーの勉強に行くなんて、台湾のコーヒー好きの皆さんの熱心さがひしひしと感じられる話だ。
筆者が手作業の炭火焼コーヒーを見たのは、苗栗縣南庄のカフェ以来たった2軒目。町の中ではやりづらいだろうし、第一手間がかかる。のんびりした田舎で時間をたっぷり使ってでないと、炭火焼もなかなかできないのかもしれない。
3.日本と台東をつなぐコーヒー秘話
「金宜灣」では、面白い話を聞いた。台東は日本統治時代にコーヒー豆の生産が始まり、いまでもゆかりがあるのだという。日本統治時代に花蓮縣や台東縣に日本からコーヒー豆が持ち込まれたことは何となく知っていたのだが、その当時、植えられたコーヒーの樹が、今でも残っているというのだ。
日本では有名なキーコーヒー。その創業者・柴田文次は、日本統治時代の1930年代に台湾でのコーヒー栽培事業を手掛けていた。(終戦とともに農園は手放した)
そのときに栽培されたコーヒーの木の一本が何と現存していることが分かった。この木は百年珈琲樹と名付けられ、今では整備・保存が進められた。2020年に100周年事業が行われ、台湾各紙の記事でも紹介されたという。
まさか、コーヒー業界大手のキーコーヒーが台湾そして台東と深いゆかりがあるなんて、今まで知らなかった。かつて柴田が夢見た、台湾でのコーヒー生産、それは別の形で台湾でも実を結んでいるが、いつか泰源の百年珈琲樹も訪れてみたいものだ。
4.サーファーが集う国際的なカフェ
さて、なぜこんな小さな集落でカフェが存続できるのだろう?その謎も解けた。これは台湾東海岸各地に当てはまることなのだが、この辺りはサーフィンに適した海岸が続いているのだそうだ。そのため、毎年たくさんのサーファーが、波乗りの後にここにやってきておいしいコーヒーでひと息つくのだという。その証拠に、お店のFacebookを見ると、世界各国からのサーファーや旅人が登場する。一般の日本人にとっては、あまり有名とは言えない花東の海岸エリアだが、サーフィンを愛する人々から見ると「目指すべき土地」なのかもしれない。
実は、コロナ前は、日本人のサーファーも結構訪れていたそうだ。だが、コロナ後はなかなか日本人が戻ってこないと少しさびしそうにしていた。サーファーは長期滞在をしたい人も多いらしく、そうなると円安で航空券が高止まりしている現在は、日本人サーファーにとってはやや着づらい状況なのかもしれない。
近い将来、日本人が何人も訪れる日々が戻ってきてほしいな。
【店舗情報】
「金宜灣炭火手炒咖啡」
住所:台東縣成功鎮宜灣路71號
営業時間:9:00~18:00(原則無休)
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