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ボルボXC60リチャージ02:ちょっとおかしな私のクルマ偏愛歴1=独身時代の9台

 ボルボの若き担当者Yさんは、笑顔で私に尋ねました。

「どのクルマをお選びになりますか?」

 ええええええええ。 本当に車種も選べるのか?好きなクルマでいいのか?

「色やオプションは選べないのですが、車種は選べます。」

 ううう。 そう言われると逆に選べなくなります。ホントです。

 実は、ワタクシ、クルマ選びに、ちょっと変わった性癖があるのです。


 その説明には、これまで私が乗り継いできたクルマ、愛したクルマについてご紹介するのが良いでしょう。

 おそらくは、ほとんどの方が、生涯、一度も選ばないクルマたち。

 私にとっては、美しくも愛らしいクルマ、ヒトクセもフタクセもある尖った個性的なクルマたちです。

 私自身が選んだクルマもありますし、やはり人と違ったクルマの趣味を持つ亡き父が選んだクルマ、会社の業務上、社員のみなさんが選んだクルマもあります。

 おかげで、いつかはクラウンとか、親子三代ベンツみたいな、堅苦しい選択をすることなく、これまで多彩なクルマを愛してきました。

 金子みすゞよろしく「みんな違って、みんないい」クルマたちの思い出。


■1.ISUZUエルフ150 2tトラック

0201いすずエルフ


ISUZUエルフミュージアムより

 さて、私の運転デビューは、こんなクルマです。

 大学に入学して免許を取ると、真っ先に乗ったのが、いや乗らされたのが、いすずエルフでした。後ろに大きなパネルのカーゴのついた2トントラックです。

 わが家の家業は、日本で最初にTシャツ(色丸首)を作ったメーカー。墨田区にある本社と、千葉県印西市の工場の間を、どれだけ往復したことか。そのまま、日本橋横山町の繊維問屋街や青山のアパレルメーカーに、何度配達したことか。

 おかげで、運転には慣れました。なにせ巨大な箱を背負うおかげでバックミラーが使えないトラックで、細に路地に入ったり、車庫入れをしたりするのですからね。その結果、コラムシフトのマニュアル車で、Wクラッチを踏んでカーブを曲がれるまでになったのです。

 人は、トラックと笑うかもしれませんが、ボンネットなき高い荷台の上から、千葉の田園風景を眺めつつ走る楽しさ爽快さは、フェラーリやランボルギーニに乗っている人には、ちょっとわからないかもしれません。


■2.日産グロリア ブロアム 331型

0202グロリア

wikipediaより

 乗用車として初めて乗ったのは、なぜか父自身が運転していた黒塗りの社用車です。

 亡き父は、小さな路地裏で肌着の下請けをしていた町工場を、Tシャツメーカーに飛躍させた二代目経営者でした。VANやJUNのTシャツ生産を皮切りに、ケンとメリー、24時間テレビなどのTシャツを請け負って成長しながら、自社で定番品を在庫してFAXで異業種に全国販売するビジネスモデルを展開しました。

 私にとって、幼少期のドライブは、父がトラックを運転するノーヒンでしたが、会社が成長するにつれ、自家用車も充実して、赤い日産ローレルになり、黒いグロリアになりました。ケンメリのTシャツでお世話になったので、日産車だったのですね。

 四角くて、大きなセダン。このクルマを借りて、夜な夜な、当時は何も無い真っ暗なお台場に繰り出して練習....というよりアテもなく走ったことを思い出します。お気に入りのビートルズ.ストーンズ.ドアーズ.ジャニス.ジミヘンなどのレコードを編集したカセットテープ(死語)を聴きながら。

 当時の日産プリンスの最高級車種を乗り回す小僧というのは嫌な感じですし、私ももっと若いクルマに乗りたかったのですが、なにせクルマを運転するのが、楽しくてたまらなかったのです。


■3.ISUZUピアッツア(初代)XG

0203ピアッツア

ベストカーwebより

 さて、初めての自分専用車は、巨匠ジウジアーロがデザインした半ばコンセプトカーのごとき美しいクルマ。今でも、このクルマを売っていたら乗りたい、EV化してくれるなら、ぜひ買いたい特別なクルマです。

 赤いピアッツアはケチャップのようだと揶揄する友人もいましたが、フェンダーミラーをドアミラーに変えると、まるで未来から来た乗り物のよう。インパネ周りも宇宙船のようでした。

 内外装とも斬新でしたが、中身はラリーでも活躍したジェミニZZのデラックス版。私が選んだXGは、DOHC.バケットシート.リミテッドスリップデフ.ポテンザのタイヤ.マニュアルシフトを奢った「羊の皮を被った狼」だったのです。ほんわかカワイイクルマが山道をドリフトして走るのは、きっと異様な光景だったでしょう。

 無理やり、後付けのサンルーフを開けたり、イタルボランテのステアリングに取り替えたり、オートバックス通いをして、自分流のクルマに変えていく楽しみも味わいました。今はなき名門SANSUIのグライコやパワーアンプつきのカーオーディオをDIYで苦労して組み込んだのも懐かしい想い出です。


■4.HONDAシティ 初代マンハッタンルーフ

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CITY OF LIFEより

 社用車で使われていた初代シティも楽しいクルマでした。デザインもコンセプトもテレビCMも素敵な、まさにホンダらしいクルマ。全長は短いけれど全高が高く、チョロQのようなオモチャ感覚だったのです。もちろん馬力もないので、アクセルをいっぱいに踏まないと坂道もなかなか上りません。かわいいでしょう?

 そう、私は馬力の無いクルマが好きなのです。一所懸命アクセルを踏まないと、周りについていけないような愛らしいクルマ。大排気量でアクセルを踏むだけでスピードが出るクルマに乗っていても、面白いと思えないのです。

 私は今でも大きくてイバリの効いたクルマよりもカワイイクルマが好きなのですが、おそらく、この初代シティの影響が大きいと思うのです。シティのカブリオレがEVになったら、やっぱり買ってしまうかも。


■5.日産プレジデント ソブリンVIP 250型

0205プレジデント

 wikipediaより

 もちろん父の社用車です。日産の....というより日本における最高級車種といって良いでしょう。名前もスゴイですね。ソブリンでVIPですよ。ちょっと恥ずかしい。

 初めてこのクルマを借りて、夜の晴海(当時は真っ暗)を走った時の感激は今も忘れられません。V8エンジンは音もなく加速していきます。社外のノイズは何一つ入ってこないのです。まさに異次元の感覚でした。

 もうひとつ異次元と言えばボンネットとトランクの長さ。尋常ではありませんでした。トランクが普通のクルマのボンネットより長いのです。車庫入れも縦列駐車も至難の業。あらためて、世のプロ運転手の凄さを実感できます。エルフのトラックと合わせて、私の車両感覚力を大いに磨いた1台でした。


■6.HONDA1300クーペ9

0206ホンダクーペ9

HONDAニュースリリースより
 
 既に20台半ばにして、妙なクルマを乗り継いだせいか、フツーのクルマでは満足できなくなっていた私。何を血迷ったか、カーセンサーで見つけた45万円の旧車を衝動買いしました。

 かの本田宗一郎氏が空冷エンジンにこだわって作った最後のクルマ。4連CVキャブ、強制空冷のエンジンは1万回転以上もスルスル回るのです。このクルマはレース仕様で内張りもはがされて、レカロシートと6点式シートベルトがもともと装着されていた異様なクルマ。もちろんエアコンなど無く、三角窓から風を入れるのです。

 ホンダのサービスセンターに通っては。コツコツ部品を買ってはレストアしました。全塗装もお願いして、深いグリーンのメタリックの美しいクルマに蘇りました。ところが、記念すべき完成記念ドライブで、首都高下り新宿出口の右カーブにてスピードを出し過ぎました。曲がり損ねて、いわゆるタックイン。ピンボール状態で右に左にぶつかって大破しました。何が起きたのか、何度ぶつかったのか、わからないままに停車。

 そうです。このクルマ、ホンダ初のFF車で、曲がるのは苦手だったのです。よく生きていたなあと現場検証の警察官に言われました。レカロシートとシートベルトのおかげですね。

 そのままレッカーで運ばれ、その日は電車と歩きでトボトボと日本武道館へ。そう、U2とBBキングのコンサートがあったのです。素晴らしいコンサートだったのですが....それだけに涙。

 心を込めて造り上げたものでも、調子に乗って、たった一度の不注意をしただけで、すべてが水泡に帰すことを、100万円の出費と半年のレストア作業を通じて勉強させていただきました。


■7.アルファロメオ スパイダー シリーズ3

0207アルファロメオ

wikipediaより

 これも何を考えたのか、亡き父が突然、アルファのオープンカー、しかもマニュアル車を購入。どうやら昔からの憧れだったようなのです。あまりにじゃじゃ馬なので、本人は、ほとんど運転をしませんでしたが。

 時には、私も借り出して、古典的なイタリアンスポーツカーを堪能しました。どこから見ても美しく、このスパイダーも、いつかEV化して欲しいクルマのひとつです。

 一番の想い出は、日興證券時代の元上司にして晩年はトーマツの顧問もされていた営業の神様、故笠 栄一さんと、伊勢神宮、比叡山、高野山を巡る願掛けドライブに出かけたこと。日興証券を退職して、家業を継ぐ際に、それなら、お参りをした方がいいと勧められたのです。

 男二人、赤いオープンカーで風を受けながら、日本を代表する神仏習合の聖地巡礼をしたのは、おそらく私たちぐらいかもしれません。

 帰りの東名高速を、幌全開で風を感じながら、月や星と語り合いながら、ロングドライブしたことは今でも忘れられません。これから、私も家業で経営者道を歩まなければならない期待と不安を胸に抱きながら...。


■8.HONDAシビックシャトル

0208シビック

wikipediaより

 家業に戻ると、配達に使われていた社用車が、このクルマでした。いわゆるSUV=スポーツ・ユーティリティ・ビークル前夜のクルマですね。

 コンパクトながらノッポな5ドアハッチバックで4人乗っても荷物が積める。しかも、ビスカス・カップリングを介したお手軽なリアルタイム4WD。つまり、滑ったら四駆になるという仕組みです。
 
 このクルマで、何度かスキーにも行きましたが、オールシーズンタイヤで十分に走破できたことを、思い出しました。スタッドレスタイヤだったら、大抵の雪道も大丈夫だったことでしょう。

 同じ名前で、近く、ホンダお得意のハイブリッドを積んだクルマが出るとのうわさもありますね。そうすると、低燃費でバランスの良いファミリーカーとして人気を博すかもしれません。


■9.ランチアプリズマ1600

0209ランチアプリズマ

wkipediaより

 ああ、今見ても美しい。小さくてカクカクしていて地味なのですが、何とも言えない可愛らしさと品格を兼ね備えるクルマでした。当時、ラリーで、姉妹車のランチデルタインテグラーレが大活躍していたので人気でしたが、私はこちらが好み。ミニクーパーよりヴァンデンプラス・プリンセスが好きというのと同じ感覚ですね。

 何しろ、市松模様のシート地はゼニア製だったのです。それでいながらウェーバーのキャブ仕様で豪快な吸気音も楽しめる不思議なクルマでした。もちろんボディ色は紺。

 深夜、環八の中古車屋さんで見かけて、その場で名刺をはさんで購入宣言。たしか88万円でした。

 しかし、そこはイタリア車。しかも中古ですから、乗るのに覚悟が要ります。とにかくオーバーヒートに悩まされ、いつも水温計とにらめっこ。ペットボトルに水を常備して危なくなるとラジエーターに足してましたが、日本橋の交差点に停めての作業中、油田のように熱湯が噴き出した時は通行人の注目を一心に浴びることができました。

 アルファロメオにしろランチアにしろ、無事に帰ってこれると手を合わせたくなる感覚。今となっては懐かしいですね。独身時代しか乗れないかもしれませんが...


後半ファミリー編に続く


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