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私がMost Likely to Succeedについて クリティカルに書く4つの理由

著書『やりすぎ教育』(ポプラ新書)の中で、Most Likely to Succeed という映画について書きました(p30)。長くなりますが、引用します。

「受験の成果を学校、もしくは教師の教育力と個人の学力や努力の結果の関数であるとみなした場合、学力は「必要なこと」をICTで個別最適化して個人に身につけさせればいいということになりますし、さらに個人が社会で活躍する術を身につけさせるには、生徒たちが協働して「成果」を出すトレーニングをさせれば、いい教育ができるというわけです。
 もし、貧困層の子どもがこのような勉学の機会を得て、素晴らしい教師や学友と出会い、有名大学に入れば、それが素晴らしい学校教育モデルであるということになるのです。日本でも組織的に上映会を開いて感動を呼んでいる米国の映画「Most Likely to Succeed」は、ある地域の貧困層の子どもたちの中から選ばれた幾人かが、最高の探究的な学習環境を得ることでエンパワーされて驚くべき成長を遂げたというドキュメンタリーですが、それはこの典型例でしょう・・・これは、能力や学力を個人の才能と考え、他者と比較し、その結果、競争を生んで、勝者と敗者を生む(それにより必ず誰かが落ちているのですから)考え方と言えるでしょう。」

この映画は数百円で見ることができます。こちら↓

こんなに絶賛されている映画をどうしてクリティカルに評するのか?という質問がありましたし、私自身、まだ説明し残していると思っていましたので、ここで補足説明を試みようと思います。

FutureEdu Tokyoのウェブサイトによれば、「Most Likely to Succeed」 は、

「人工知能 (AI) やロボットが生活に浸透していく21世紀の子ども達にとって必要な教育とはどのようなものか?」というテーマについて、「学校は創造性を殺しているのか?」TEDトークで著名なケン・ロビンソン卿、カーンアカデミーのサルマン・カーン氏、ハーバード・イノベーション・ラボ所属の、トニー・ワグナー氏などの有識者や多くの学校取材を2年間積み重ねられ制作されたドキュメンタリー作品です。2015年の公開以来、7000以上の学校や図書館、公民館といった公共施設や、SXSW edu を含む教育カンファレンスなどで上映されています。

ということです。

私は精神分析や教育心理学を学んできた者ですので、人の可能性が環境によって伸びるということは前提として考えています。ですから、不利な条件の子どもたちによい環境を与えればその子どもたちが成功する、というのは、当然のことだと思っています。

また、探究型の学習は、日本を含めた世界各国で観察してきましたので、映画に出てくる学習の様子が特に珍しいという感覚はあまりなく、でも、そういう学びの在り方が必要で、まだ広がっていないし、アメリカでも日本でも知らなかった人たちにとっては衝撃的だし、そういう意味で、このような学びを伝えるためにいい映画なのだろうと思います。

ですから、「不利な条件の子どもたちが探究型学習で伸びる」というこの映画の価値は評価しています。

その上で、私がこの映画を称賛することが難しいのは、

1)いい先生だけを任期付きで集めていい授業を展開する学校は、一つの国で、果たして実際にどの位作ることができるのか。モデル校としての価値は高く、その存在も必要であると思うが、「あこがれ」てそこをめざして競うという動きが生じてしまいがちな現代日本の「競争社会」のバックグラウンドを考えたとき、そこに向かってみんなが行こうとすることについて、誰かが「ちょっと立ち止まって」という必要があるのではないか。

素晴らしい調理人が、素晴らしい材料で作ったおいしい料理があって、それを食べられるのが、50人だとして、そればかりか日頃の食事も充分に食べられない人たちが、500人いたとしたら、その社会はいい社会だろうかと私は考えるのです。その500人全員をしっかりと食べさせることこそが、教育をつかさどる者たちが考えるべきことではないでしょうか。

2)一部の恵まれない環境にいる子どもたちの力を伸ばした結果、子どもたちがエリートになったとして、その子たちがエリートになったら、結局ヒエラルキーはキープされるだけではないか。熾烈な勝ち残り競争に、これまで参加資格のなかったような層に参加資格を拡大させたという意義はあるが、それはそもそも20世紀的なパラダイムが正しいという前提にたった話。今、日本において大切なのは、上に上がれないでいるすべての子どもたちが、それぞれそれなりに人生を歩んでいくことができるようにする教育ではないか。大事なことは新しいパラダイムではないのか。

この映画が拡がることはいいのですが、そこで集まった人たちが、アメリカのように自分だけは下に落ちないようにと、上へ上へと目指す思考にはまってしまうことが心配なのです。

3)一つの学校の事例をもって、これが日本の教育が目指す道だ、としてしまうことの難しさ。それが国家によってなされることの課題。総合的な学習の導入の時に、長野の伊那小学校が、あるいは愛知の緒川小学校が、モデルとして目指されたけれど、それらはどこまで現場に拡がっていったのか。そして、結果はどうなっているか。そこで起きたことの問題点、課題、改善店は何か。

こういったことについて、この映画を見た人たちが、きちんとクリティカルに認識して、その上で考えてくれるといいなあと思っているのです。ところが、インターネット上のコメントは、「すばらしい」「ここをめざそう」というものばかり。

そのことこそが、日本の教育の課題なのではないか、つまり、エリートを作ることやよい授業を作って発表することに意を注ぐあまり、そこに憧れるあまり、そこに当てはまらない子どもや教師や学校を切り捨て、次のいい学校が現れればそちらに走る、ということが起きがちではないかと思うのです。

4)加えて言えば、今、話題のユニセフ調査『レポートカード16-子どもたちに影響する世界:先進国の子どもの幸福度を形作るものは何か(原題:Worlds of Influence: Understanding what shapes child well-being in rich countries)』において、子どものウェルビーイングに関して、アメリカが常に下から数えたほうが早い位置にあることをご存じでしょうか(近年、32位⇒38位⇒32位⇒36位 38か国中)。2007年に参加国が21か国だったときも英国と並んで最低で、参加国が増えても下の方を低迷しているのです。

ユニセフの報告書 ↓

https://www.unicef.or.jp/library/pdf/labo_rc16j.pdf

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しかも、子どもの権利条約を世界で唯一、批准していない国。そういうバックグラウンドを持つ国は、子どもの教育に関して進んでいる、いい教育をしている、その国から学ぼう、と言って大丈夫なのか。英語以外の言語を学ぶ必要がなく、英語でさえ危うい国民が少なくない国の教育。そういう国で若者たちがここ何年も、銃乱射事件などを起こしていることをどういう教育の成果だと捉えるのか。そういう自国の教育を見てきているアメリカで高く評価されている映画を、高評価を得ている映画、と言い切っていいのか。アメリカの優秀な大学は、発展途上国の留学生たちによって支えられている面があるけれど、それをアメリカの教育の成果と呼んでいいのか。というような疑問がいろいろと湧いてくるのです。

また、映画「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」をご覧になったことがあるでしょうか。そう、youtube で、フィンランドの教育を取材した動画が流れているものです。


そこで、マイケル・ムーアはアメリカの教育とフィンランドの教育を比較して、驚いて見せています。アメリカの教育の問題点を指摘しています。ぜひ、こちらも見てみて下さい。

もちろん、アメリカの教育批判が、この映画やここで出てくる学校の批判に直接的につながるわけではありません。でも、私たちが、日本という国の教育を考える際には、このようなバックグラウンドを頭に入れておくことは大事なことではないかと私は思います。

日本国内にもいろいろ探究型の工夫をしているいい学校、いい学級があるし、アメリカも含めて他国にはいろいろ学ぶべき事例があります。アメリカが一番、というちょっと昭和な思考がもし自分の中に残っている可能性があるなら、まださまざまなオルタナティブ教育の存在に気づいていないなら、まずはもう少し広く情報を集めてみませんか。その上で、考えていきましょう。

例えば、こんなのもありますね。


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