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教育虐待:被害者が加害者になるとき

先日、佐賀県鳥栖市に行ってきました。鳥栖両親殺人事件の起きた場所です。福岡県の博多の通勤圏内で、郊外の住民の意識は、佐賀よりも都市である博多に、経済的に豊かと思われている土地に向きがちな地だと聞きました。

いくつかのメディアと事件の関係者にお会いすることができ、いろいろと考えさせられました。ここのところ、教育虐待に関する取材が続き、1月22日にNHKあさイチ「人に言えないハナシ、教育やりすぎ?!」にゲスト出演したことなどもあって(この番組では、教育虐待という言葉は全く使いませんでした。もっと一般化した内容ということで、やりすぎ教育、という言葉を用いました。これは2019年の番組を踏襲して2回目です)、さらにまたいろいろな情報を得て、考える機会が増えています。

「あさイチ」には1時間の間に1600件もメールやFAXが届きました。
秋のYahoo記事(2つ)のコメントも1800件とか、数百件とか。
朝日新聞のアンケートも数百件の回答があったそうです(これについては別途アップされる予定です。また別の朝日新聞の記事が2月に出ます)。
とにかく多くの方がこの問題に関心を寄せてくたさっていて、
その中には、自分は被害を受けていた、同じだった、というコメントも少なくありません。

あさイチの番組は、加害者になりうる親の立場に立ったものでした。
その中で、親の悩みに寄り添う形のコメントをしました。
それは大変に好評でした。
受験直前というタイミングもあって、慎重に検討を重ねた結果、そういう番組となり、時間の限られた中ですべてを扱うことは不可能ですから、とてもよい番組だったと思います。

しかしながら、一方で、被害者の側である子どもたちの「悲惨な」思いについては、十分に焦点を当てることができませんでした。
それはこれからの課題として残されており、この課題については、次に扱っていくことになるでしょう。

放映が22日で、北海道新聞の単独インタビューの記事が出たのが24日、
鳥栖に行ったのが、25日、現地の複数のテレビや新聞の取材を受けたり話を聞いたりしたのが、26-28日にかけてでした。

この流れの中で強く感じたのは、

これ以上、被害者を加害者にしないためにできることは何か。

でした。

鳥栖両親殺人事件の加害者は、父親による教育虐待の被害者でした。
被害から逃れるために、加害をしました
加害を止めようと父親の前に立った母親も殺害したために、両親2人の殺人者となり、19歳だった彼が、刑務所から出てくるのは、24年先の44歳のときになる予定です(最終的な確定は3月です)。

覚悟の上の実行であったと思われます(ただし、母親の加害は想定外だったと思います。それで量刑が延びたのでしょう。とはいえ、通常の殺人に比べると大幅な減刑になっています。情状酌量されたと考えられます)。
そうでもしないと、この社会の中で生きていくことは無理だと思い込んで、彼は、社会的な死を選びました。
彼は、これから24年間、刑務所の中でどのように生き、
どのような形で、その後の人生を歩んでいくのでしょうか。

私は彼が刑務所から出てくるまでに、日本社会が、彼のような被害者をもう二度とうまない社会にしなければと思います。
彼が出てきたときに、彼を迎え入れる社会が温かいものであるようにしたいと思います。
彼のような「犯罪者」がしっかりと自分の人生を見つめ、深く思考し、成長して出て来られるような刑務所になるように、
そして、出てきた社会が、彼のような人を受け止められるように、
刑務所の外にいる私たちが、日本社会が、努力する必要があると思います。

彼は無力な子どもだったのです。
彼の父親は、殺されたにもかかわらず、擁護する人がほとんどいなかったそうです。社会的・経済的には成功していたようですが、周囲の人たちにハラスメントしてしまう人だったために、親族も、加害者の息子の減刑嘆願をしています。

今となっては、彼の父親の過去を知ることは難しくなっていますが、
父親もまた、ギャンブルにはまった「学歴バカ(父親の言葉)」の父(加害者の祖父)を持ち、ゆがんだ考えを持ってしまった人であったように思われます。専門学校卒であるにもかかわらず、九大中退と学歴詐称していた心情はいかなるものだったのでしょうか。反社会性パーソナリティ障害だった可能性があると私は思っています。

そういう意味では、名古屋小六受験殺人事件と同じような父親であったのかもしれないと思います。ただし、名古屋の事件では被害者は父親に殺されています。殺すか殺されるかの世界だったのです。

加害者となった九大生が受けていた教育虐待は悲惨なもので、それに対し、母親は彼を守ろうとしたけれど、父親との間に入って却ってことが大きくならないようにすることに心を砕いていて、彼の味方にはなり得なかったようです。

もし自分が、彼と同じ立場に置かれたら、どうすることができたでしょうか。
子どもの頃から、専制的な父親に支配され、自分の人生を歩むことができず、他の近隣の家族とも没交渉で、家庭というものの温かさを知るすべも逃れるすべもなく、小さな視野の中で生きていた「子ども」だったら。

母親も救ってくれず、学校も頑張って勉強することはいいことだとみんなが思っている場であったら、子どもになすすべはあったのでしょうか。

そして、自分に力を得たときに復讐しようと考え、自分を押し殺して勉強をして、周囲に対して良い人として生きつつ、じっとその機会を狙いながら、生きた10代だったら。

実は、この事件の報道に対して、「まさに自分もそうだった」というコメントがたくさんついています。今も「毒親」というハッシュタグのついた投稿がTwitterにはたくさん出ています。教育虐待に限らず、親によって大変な思いをして生きている子どもたちはたくさんいるのです。

被害に気づいていなかったけれど、報道や私の投稿などを読んで、自分がされていたのは虐待だったと今になって気づいたというコメントもあります。

近年は、毎年のように、教育虐待の事例が報道されています。
これは氷山の一角でしょう。

この父親のように、「なぜ?どうして自分が息子に殺されなければならないのだ?」と自分がしてきたことの相手にとっての意味に全く気が付かずに、自分が正しいと思い込んでいるとしたら?

私のところには、「自分の親はこういう事件の報道を他人ごとのようにテレビで見ながらコメントしているんです。あの人は一生、自分が子どもにしたこと、今もなおしていることに気がつきそうにありません」という被害者からの言葉が次々と届いています。

「あきらめました」「逃げました」「自分は自分で幸せになります」と言いつつ、恨みを隠せない被害者たちです。なんとか自分がされたことの辛さを親に気づいてもらいたいのです。でも、無理なのだと。そして今さら責めてもと、矛を収めようとするのです。相手は、「愛してほしかった親」だからです。

先ほど、これ以上、被害者を加害者にしないためにできることは何か。と書きました。

それは、鳥栖の事件のように、教育虐待の被害者を新たな事件の加害者にしない、という意味でもあり、また、
社会の価値観に巻き込まれたり、祖父母や学校の歪んだ教育観の中で育って、自分の子どもに対する加害者になってしまう親たちを、これ以上、加害者にしない、という意味でもあります。殺された父親もまた、丁寧にその人生を辿って行けば、きっとどこかで救いや治療が必要だった人なのだろうと思います。

加害の連鎖は、第三者が介入して断ち切らなくてはなりません。

今回の事件で被害者であった加害者=息子のために、
加害者であったけれど、自らも被害者であったかもしれない父親のために、
同じような思いをしてきた多くの「加害者になりうる被害者」や「泣き寝入りしている被害者」「気づかずに苦しんでいる被害者や加害者」のために、

社会の価値観が生み出しているマルトリートメントをなくしていくことが必要です。

次の事件が起きないように。

祈るだけではなく、アクションを起こす必要があります。


※ 7月14日(日)15日(祝)に、名古屋において、第2回社会的マルトリートメント予防全国集会を開催予定です。子育ての中で起きてくるマルトリートメントを考え、予防のアクションを各地で起こしていこうという集会です。

※ 現在、やりすぎ教育や教育虐待の問題を抱えておられる方たち対象に、オンラインで小さな相談の機会を作れないかと思っています。ニーズはきっとあると思うのですが、どうでしょうか。


※ 撮影 室伏淳史氏  2024 1/27 恋人岬にて

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