《卒業記念インタビュー Part2》 雪に耐えて梅花麗し〜諦めず挑戦する先にきっと咲く 【週刊新陽 #151】
64期生の卒業記念インタビュー第2弾は、進学コースで学び、男子硬式野球部でピッチャーとして活躍した細野龍之介さんです。(一人目は「一水賞」を受賞した伊藤きあるさん。詳しくは先週の週刊新陽#150をご覧ください。)
昨年プロ野球志望届を出し、北海道のドラフト候補の高校生の一人として注目されていた細野さん。10月26日に行われたドラフト会議の中継を、本人そして男子硬式野球部の丸山先生と小崎先生と一緒に私も校長室で固唾を飲んで見守っていました。
あの日は残念ながら細野さんの名前が呼ばれることはなかったのですが、その後、気持ちを切り替えて大学に進学することを決めました。
今回、10月にインタビューした内容に、卒業式前日にあらためて聞かせてもらった話を加えて公開します。
チームで掴む勝利が野球の魅力
-- 野球を始めてプロを目指すようになったのはいつですか。
野球は小学校4年生の時、兄と一緒に始めました。最初は内野手、そのあとピッチャーに。中学校では軟式野球部でピッチャーでした。
野球を始めた時から「夢はプロ野球選手」でしたが、現実味を帯びたのは高校2年生の春と夏の大会。東海大札幌高校の(2022年のドラフト会議で阪神タイガースから2位指名され2023年に1軍デビューした)門別さんと投げ合った経験が転機となりました。
門別さんの胸を借り、応援にも力をもらって、春夏とも自分の力以上が出せた試合でした。同時に負けたことがすごく悔しくて、もっと強くなりたいとプロを意識するようになりました。
-- 野球の魅力はなんでしょうか。
野球は一つ一つの展開が頭を使うスポーツ。流れが大事で、それをどう引き寄せるかチームとして常に考えなければいけません。試合中の監督のサインは絶対ですが、結局動くのは選手一人一人なので、日頃から関係を築くことが重要です。
その仲間たちと厳しい練習に耐えて一緒に勝利するのが野球の醍醐味だと思います。苦しくても諦めずに頑張った結果を、仲間と一緒に喜ぶ瞬間が好きです。
それから自分は「超」がつくほどの負けず嫌い。野球だけでなく勉強でも遊びでも負けるのは嫌だし、自分より強い人を超えたいと思ってしまいます。こういう性格も、チームとして勝ちにこだわることに影響しているかもしれません。
-- どんな選手になりたいですか。
憧れは黒田博樹さん。プロ野球でもメジャーリーグでも活躍され、投手としてももちろん素晴らしいのですが、誠実な性格でチームメイトからの信頼も厚かったと聞きます。黒田さんが日米で長く活躍されたのはその人間性からだと思うんです。
野球部の監督の小崎先生がいつも「応援されるチームになろう」と仰っていて、ずっとそういうチームを目指してきました。また、高校1年の時の担任の山本先生からは「愛され応援される人になりなさい」と言われていました。その言葉がずっと自分の中にあって、野球に限らず何事においてもそういう人になりたい、といつも思っています。
挫折や引け目を経験したから今がある
-- 新陽に入学したきっかけは。
中学生の時、最初に小崎先生に声をかけていただき新陽を知りました。チームの様子をパソコン越しで見せてもらうと画面からも楽しそうな雰囲気が伝わってきて、このチームで野球をしているイメージが自然と湧きました。
-- 新陽は野球の強豪校ではないけど、そこは気になりませんでしたか。
普通の中学3年生なら気になるかもしれません。でも自分は「人と違うことをしたい」という感覚が強いんです。野球マンガなどである、弱いチームが強いチームを倒すのに憧れている部分もありました。
「雪に耐えて梅花麗し」という好きな言葉があります(西郷隆盛の漢詩の一節。「厳しい雪の寒さに耐えてこそ梅の花は美しく咲く。人間も多くの困難を経験してこそ、大きなことを成し遂げられる。」という意味)。
小学校の時、道徳の教科書で黒田さんの座右の銘と知りました。中学校で部活動を始め雪の中で野球をやるようになり、北海道で野球するということは言葉どおり「雪に耐える」ことなんだ、と実感しました(笑)。
多くの困難を経て…という意味では、高校1年で出させてもらった公式戦の初先発で、年上とのレベルの差を痛感。自分はもっとできると思っていたので、高校で全く通用しないことにかなり凹みましたね。2年の時も悔しい思いをしました。新陽初の全道大会出場を目指して春季・秋季ともに決勝まで行ったのに勝ちきれなかった。
そこから立ち直れたのは周りの人たちのおかげ。応援してもらえる喜びと、応援が力になり自分の力以上のものを出させてくれることを知りました。
特に支えられたのが母からの「なるようになるよ」という言葉。「どれだけやっても実らないこともある。でも諦めずにやり続けることが大切。落ち込むのはわかるけど、少し休んだら頑張りなさい。」と。
いつしか、こういう経験があるから次がある、レベルアップのチャンスと捉えよう、と思うようになりました。
-- 新陽の後輩や中学生にメッセージをお願いします。
自分は入学当初、周りの個性が強いのに圧倒されて一歩引いてしまいました。例えば思努(J1北海道コンサドーレ札幌トップ昇格が決定した出間思努くん)のようにスポーツで秀でた人や、絵が上手い人、頭がいい人、話が上手い人など、新陽には自分が持っていないものを持っている同級生や先輩後輩がたくさんいます。
でも、自分は自分。周りと比べて自分ができないことを引け目に感じる必要はない。自分の夢や目標に向かって、今やるべきことを最優先に考えて取り組んでいけば必ず自分の向かう方向に導かれていくはず。
今では皆それぞれすごいと素直に思えるように、そしてむしろそういうすごい人たちが仲間にいることを誇りに思うようになりました。
卒業、そしてこれから
-- 明日卒業式ですね。今の気持ちを聞かせてください。
あっという間でしたね。新型コロナで1〜2年生の時はオンライン授業も多く、どんどん過ぎてしまった感覚です。でもとても楽しい3年間でした。
入学した頃は「高校3年間長いなぁ」と思っていたのですが、友達も増え先生方とも関係が築けた今は「もう少し長くいたかった」という気持ちになっています。離れるのは寂しい気持ちもありますが、同時に、次のステージが楽しみでもあります。
-- 次のステージは大学進学、富士大学で野球をやるんですよね。
ドラフトの後、実はいろいろ悩みました。うちは母子家庭なのでお金のこともあり、高校でプロになれなかったら野球を続けるかどうか考えなければ、と思っていました。レベルが高い本州のチームで結果を出さなければ4年後のプロ野球はないので、大学で野球をするなら道外と決めていたからです。
でも母も周りも、みんなから「ここであきらめたら叶わないよ」と言われて背中を押されました。絶対に結果を出して恩返ししたいと思っています。
富士大は今度の新入部員が40名程度、うち20名弱が早期で練習に参加させていただいているのですが、最初は人数の多さに圧倒されてしまって。選手が全体で200名近く、ピッチャーも数えきれないほどいます。ここでやっていけるのか一瞬不安にもなりましたが、まずはやるしかない!と。
正直、大学での練習方法や体の使い方、寮生活など初めてのことばかりで戸惑っています。新しい環境は苦手なタイプなので、これから少しずつ慣れていきます。
ただ、環境が変わっても「愛され応援される選手」を目指すことに変わりはありません。どこにいても、それが強い選手の条件だと思っています。
【ケニアにいる元担任からメッセージ】
JICA海外協力隊でケニア駐在中の山本雅茂先生から、細野くんへメッセージをいただきました。
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1年生の時、細野くんの担任をしていました。
野球部の顧問もしていた私は、細野くんのキャッチボールを初めてみた際、私の高校の同級生でWBC決勝戦で先発した今永昇太投手に球筋が似ていると思い、「もしかするとプロにいけるかもしれない」と思っていました。
それから彼と面談をする時は、勉強や学校生活に関する話は2割程度で、ほとんど野球や普段の生活での振る舞い、心構えについて話していました(笑)
僕が彼の担任をしていた時、クラスで常に「本気で挑戦」することの大切さを伝えていました。そしてそれを言葉だけでなく、自分自身の行動で見せるべく青年海外協力隊に応募し、ケニアで教育活動に携わることにしました。
これから彼は更に「本気で挑戦」する環境に飛び込んでいきます。新陽高校の3年間で身につけたものを存分に活かしていってくれたらと思います!
りゅうへ。これからもみんなから愛され応援される人を目指して、一つ一つ行動を積み重ねていってください。そして人生をかけて一緒に「本気で挑戦」し続けよう!!
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